ピロン。
ピアノの音が鳴る。
天音先輩の奏でる音は、本当に綺麗だ。
聴いている人を優しく包むようなメロディー。
そして引きつける大人っぽい仕草。
お姉ちゃんの音にもどこか似ている気がする。
「陽葵!」
────『陽葵、みんなにこの音を聴かせよう!』
ほら。
やっぱりお姉ちゃんと天音先輩は似ている。
私を自分の世界にすぐ巻き込んでしまうところが、本当にそっくりだ。
そして、ピアノを弾いているときの満足そうな表情もよく似ている。
だから─────。
「はぁ、はぁ……」
歌い切った。
間違いなくそう言い切ることができる。
大好きな人と、憧れの人と一緒にステージに立てる。
こんなに幸せなことはないと思う。
今までにないくらい、楽しくて、充実していた。
体は疲れているけれど、そんなもの感じないくらいだ。
「よく、やったな。
陽葵」
久しぶりにピアノを弾いたせいか。
冬なのにも関わらず、彼の額にも汗がにじんでいる。
そして、その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
次の瞬間、その手が近づいてきて。
「えっ」
私の頭を撫でてから、体を引き寄せられた。
「……ありがとな。
お前のおかげで俺はまたピアノを弾ける」
その言葉が聞けただけで、私は満足です。
天音先輩からの「好き」って言葉を聞きたい。
そんな無謀な思いよりも、「ありがとう」「お前のおかげだ」って。
そんな言葉が聞きたかった。
天音先輩の役に立てたのなら。
お姉ちゃんの死によってできた傷を癒すことができたのなら。
これが私の、最高の歌だ。
「………好き、です」
聞こえないくらいの声で呟いた。
彼の耳に届いていたかどうかはわからない。
けれど、確かに彼がフッと笑った気がした。
「────卒業生、入場」
その言葉で拍手が起こり、会場が熱気に溢れる。
つられて私もそちらへ視線を向けると。
……いた。
前を向いて堂々と歩いている天音先輩の姿が見えた。
今日は、もう卒業式。
先輩がこの学校に通う最後の日だ。
目を瞑って、たくさんのことを思い返す。
まだ1年しかいないこの校舎で、十分なほど思い出をつくれた。
振り返ると、本当にあっという間だった。
あんなに人見知りで、他の人と関わろうとしなかった私に友達ができて。
なんと、憧れの好意を寄せる先輩までできた。
お姉ちゃんの死に向き合うことも、家族と支え合うこともできた。
「僕は3年前、とても大切な人を失いました。
当時は楽しかったことも楽しいと思えなくなるほど、ショックは大きかったです」
ステージにいる彼の言葉に、会場にいる全員が耳を傾けている。
まるで彼のつくる世界に引き込まれていくようだ。
「ですが、この学校でいろいろなことを学び、いろいろな人と出会い、生きていくことが楽しいと思えるようになりました」
“ いろいろな人 ”
私はその中に入っていますか?
私と過ごした時間は楽しかったですか?
「だから、友人にも先生方にもこの校舎にも感謝しています。
そして、僕が傷つけてしまった人に謝りたいです」
傷つけた、人……?
「自分も辛かったのに、向き合ってくれてありがとう。
僕にまた夢を見させてくれてありがとう」
先輩……。
それは、私のことだと思ってもいいですか?
────『お前は歌い続ける限り、自分の過ちに縛られるんだ』
『お前にだけは本性を見せられそうだな』
『澄恋の命日くらい、向き合ってくれよ!』
『お前なら、できるから』
『お前なんて大嫌いだ』
『俺は……音大に行って……っ、ピアニストになりたかった……』
『陽葵のことは、俺が守る』
『お前と─────弾きたい』
天音先輩と過ごした時間は辛くて苦しくて、けれど大好きだった。
先輩はそう言ってくれるけれど、私がそう思えたのは先輩のおかげだ。
そして、お姉ちゃんのおかげでもある。
やっぱり私達はどこか似ている。
同じように大切な人を失って、そこから動けないでいた。
けれど、お互いに出会って少しずつ時計が動き出した。
受け入れられない現実だってあった。
それでも私達は、進み続ける。
「僕がこの学校で過ごした毎日は、本当に色鮮やかでした。
僕は……卒業します。
次は在校生のみなさんが、さらに信じ合える学校をつくってください」
言っていることはありきたりかもしれないけれど。
彼の言っていることが、とても強く心臓を打つ。
「────卒業生代表、天音奏汰」
そう言ったと同時に、一斉に彼へと拍手が向けられた。
全員が聞き入っていたに違いない。
だって私も……泣いているのだから。
彼は微笑むと、ステージから降りていった。
その目に涙が光っていたことは、言わないでおこう。
────卒業式は、たくさんの涙に包まれて終了した。
私が1番感動したのは、卒業生の合唱だ。
もちろん天音先輩の卒業生代表の言葉も素晴らしかった。
けれどそれ以上に、彼がピアノの伴奏をしていることに驚きを隠せなかった。
良かった。
もう、天音先輩は大丈夫だ。
◇◆◇
「天音先輩っ!」
卒業式が終わった後、在校生はすぐに下校することになっている。
……にも関わらず、私は今3年生の教室がある階に来ている。
「陽葵?
お前、どうした?」
少し引きつった顔で、先輩は迎えてくれた。
やっぱりその目は腫れていて、泣いていたことがわかる。
それを隠すようにわざとらしくそっぽを向きながら会話を始める。
「卒業おめでとうございます」
素直に口をついて出てきたのは、それだった。
彼はハッと驚いたような顔をしてから。
「ありがとな」
と、笑った。