キミの音を聴きたくて




冬休みが明けて、ついに新学期が始まった。



あれから天音先輩に会うことはなかったけれど、毎日のように思い浮かべていた。



そして、会いたいと願っていた。





ついに今日。
私は錦戸くんを呼び出す。




「音中さん」



冬休み前、錦戸くんに告白された。



あのときは『男として見てほしい』と言われて曖昧にしたままだった。



けれど、今の私は違う。




「錦戸くん、ごめんなさい」



目を見て、思いきり頭を下げる。



どうやら彼は慌てているようだ。



もう迷わない。
自分の気持ちに素直でいると、決めたから。



「私、好きな人がいるんです。
だから……」



「それって誰?」




私の言葉を遮って、錦戸くんが尋ねる。



一瞬躊躇ったけれど、もう目を逸らさないと決めたから。



そして何よりも、私のことを好きになってくれた錦戸くんにはまっすぐにぶつかりたい。




「生徒会長の……天音先輩」



この気持ちを、初めて他の人に言った。



誰かに聞いてほしくて。
でも、届かない気持ちが怖くて。



ずっとずっと言えなかった。




言ってみると少しスッキリして、現実味が増した。



叶わない?
そんなことは知っている。



他の人になんて言われようと。
たとえ鼻で笑わたって。



私は、天音先輩のことが好きだ。



「はぁ……」



なんと返ってきたのはため息で、少し拍子抜けしてしまった。



え、その反応は一体……?




「やっぱり特別な関係だったんだな。
先輩相手じゃ敵わねーよなぁ」



錦戸くんはそう言って、自嘲気味に笑った。



そう言われて、以前に天音先輩と『デート』したことを思い出した。



一気に頬が熱を帯びる。




「えっと、その……あのときのは、違って……」



たとえそう言っても、信じてはもらえないだろう。
きっと怪しまれるだけだ。



それなら私は、ひたすらに素直でいよう。




それに、彼が無理にでも笑ってみせようとする心の裏側には。
きっと本心が隠れている。



誰だって、断られて悲しくない人なんていない。



「……俺、応援するよ。
だから頑張れよな、音中さん」



そう言うと彼はニカッと笑って、あの屈託のない顔を見せてくれた。



その笑顔が引きつらないように、頑張ってつくられたものだ。
ということは承知している。



でも、それだけで私の心が救われたことを、彼は知らないだろう。




「ありがとう、錦戸くん」




こんな私を好きになってくれた。



無愛想な私に声をかけてくれて。
友達になって、こんなに親しくしてくれて。



彼には感謝の気持ちでいっぱいだ。




「おう!」



だから私も、恐れずに伝えようと思う。
天音先輩には、諦めてほしくないから。



絶対に後悔なんてしてほしくない。
自分の思い描く道へ進んでほしいから。




だからこそ、私の気持ちを─────。



◇◆◇




「学校で呼び出すなんて珍しいな、陽葵」



白い息を吐きながら屋上までやって来たのは、天音先輩。



というか、私のことを「陽葵」と呼び捨てにする人なんて家族以外には彼しかいない。




「どうかしたか?」



不思議そうに顔を覗き込む天音先輩に、また胸が高鳴る。



いきなり顔が近くにきたら、耐性のない私は緊張してしまうに決まっている。




あの日からかなり時間が経っているから、先輩は忘れているだろう。




『ピアニストになりたかった』



彼はあのとき、確かにそう言い切った。



その気持ちは今でも変わっていないはずだ。



その夢を諦めるなんて、お姉ちゃんが許すはずない。



「私、待ち続けます」



冬の風が、静かに吹いた。




「いつか先輩と歌える、そのときがくるまで」



私が今叶えたいことは、私の夢なんかじゃない。



お姉ちゃんの願いでも、天音先輩の望みでもない。



ただ先輩のピアノを聴きたいの。




「は?バカじゃねーの?」



きっと彼はもうピアノを弾かないと決意したんだ。



ただでさえ曲がったことが嫌いな人だ。
1度決めたことは簡単にくつがえさないだろう。




「なんなんだよ……」



低い声が胸の奥まで振動して響く。



次に何を言われるか……。
そんな恐怖が襲ってくる中、目を瞑った。



「澄恋のことを掘り返して、そんなに楽しいか?
俺のことをからかっているのか?」



「違います!
そんなつもりじゃ……」




天音先輩のことをからかうなんて、そんなことするはずない。



だって彼を傷つけたいわけじゃない。
嘲笑いたいわけでもない。



ただ手を差し伸べたいだけなんだから。




「俺は……本気で、澄恋のことが好きだったんだよ……っ!」



「知っています。
お姉ちゃん、いつも天音先輩のことを話してくれていました」



あれが、最初で最後の恋愛トークだった。



今思えば、あの日以来はそんな話をしていない。




「クールで優しくて頼りになる人。
お姉ちゃんはそう言っていました」



その頃と比べれば比べる度、その通りだと思った。



ぶっきらぼうな言葉の中にも不器用な優しさが詰まっていて。



自分のことよりも他人を優先できる、そんな人。



「先輩はピアニストになりたいんでしょう?
それなら素直に音大に行けばいいじゃないですか」



訴えるように投げかけても、彼の表情は変わらない。



今何を思っているんだろう。



私には、ポーカーフェイスな彼の心は読めない。



でも、この考え方が1番楽観的で。
かつ素直になれる方法だと思う。




「先輩の言葉は、心にまで響きます」



お願い。
伝わってほしい。



この気持ちは私だけのものじゃない。



きっとお姉ちゃんも思っている、共通の願いだ。



「私は先輩の言葉で、また歌手になりたいって思えました。
希望を、夢をもてたんです」



先輩は黙って耳を傾けているようだ。



私の言葉なんて、心に響くような素晴らしいものではない。




でも、この思いだけは負けたくない。



お姉ちゃんにも、誰にも。



だってこんなにも好きで恋焦がれたのは初めてなんだから。



この気持ちは本物だと、証明したい。




「だからっ……先輩も後悔しないで、自分のしたいことに正面から向き合ってください!」



年下のくせに、って思われるかもしれない。



俺の気持ちなんてわからない、って思われても仕方ない。




でも、少しでもわかってほしい。



天音先輩と同じように傷ついて、それでも前を向けた人がいるってことを。