「ありがとう」
でも、今はそんなこと思っていない。
もちろん、罪悪感や自責の念は消えない。
けれど、それをいつまでも抱えて、不自由に生きていくのは間違っている。
だって、お姉ちゃんは心の中に居座ろうと思っているわけじゃないし。
ましてや、自分の存在が誰かを縛っているのなら、開放しようとするはずだから。
そう思えるようになった。
お姉ちゃんがいるから、私はまた頑張れる。
前を向いて、歩き出せる。
「大好き、だよっ……。
おね、ちゃ……っ」
誰もいないはずのお墓。
それに抱きついて、涙を流す。
「澄恋」
後ろから、あたたかいものに包まれるぬくもりを感じた。
嘘でしょう?
これは……天音先輩?
「せん、ぱ……?
どっ、して……」
いくらお姉ちゃんの妹だとしても。
私を抱きしめるなんて、お姉ちゃんの前でしていいことではない。
そんなこと、先輩もわかっているはずなのに……。
どうしても抵抗できない自分がいる。
「陽葵のことは、俺が守る」
────ドクン。
あぁ、もうダメ。
こんなに優しく扱われたら、錯覚してしまうでしょう?
先輩の想い人が、私なんじゃないか、って。
そんなはずはないのに、期待してしまう。
彼はただ、お姉ちゃんを守れなかった分。
私を見守る、という意味で言っただけなのに。
好きだよ、天音先輩。
どうしようもないくらい、好きなんです。
報われなくたっていい。
ずっとお姉ちゃんのことを想い続けていたっていい。
この気持ちに気づいてもらえなくていい。
それでも、後悔だけはしてほしくない。
ねえ、お姉ちゃん。
お姉ちゃんが伝えたかったこと、私が必ず先輩に伝えるから。
だから安心して、見守っていてね。
私はもう大丈夫。
お姉ちゃんの死と向き合うことができた。
今でも取り残されているのは……天音先輩ただひとり。
絶対に私が連れ出してみせるから。
そう胸に誓って、また一筋涙を流した。
冬休みが明けて、ついに新学期が始まった。
あれから天音先輩に会うことはなかったけれど、毎日のように思い浮かべていた。
そして、会いたいと願っていた。
ついに今日。
私は錦戸くんを呼び出す。
「音中さん」
冬休み前、錦戸くんに告白された。
あのときは『男として見てほしい』と言われて曖昧にしたままだった。
けれど、今の私は違う。
「錦戸くん、ごめんなさい」
目を見て、思いきり頭を下げる。
どうやら彼は慌てているようだ。
もう迷わない。
自分の気持ちに素直でいると、決めたから。
「私、好きな人がいるんです。
だから……」
「それって誰?」
私の言葉を遮って、錦戸くんが尋ねる。
一瞬躊躇ったけれど、もう目を逸らさないと決めたから。
そして何よりも、私のことを好きになってくれた錦戸くんにはまっすぐにぶつかりたい。
「生徒会長の……天音先輩」
この気持ちを、初めて他の人に言った。
誰かに聞いてほしくて。
でも、届かない気持ちが怖くて。
ずっとずっと言えなかった。
言ってみると少しスッキリして、現実味が増した。
叶わない?
そんなことは知っている。
他の人になんて言われようと。
たとえ鼻で笑わたって。
私は、天音先輩のことが好きだ。
「はぁ……」
なんと返ってきたのはため息で、少し拍子抜けしてしまった。
え、その反応は一体……?
「やっぱり特別な関係だったんだな。
先輩相手じゃ敵わねーよなぁ」
錦戸くんはそう言って、自嘲気味に笑った。
そう言われて、以前に天音先輩と『デート』したことを思い出した。
一気に頬が熱を帯びる。
「えっと、その……あのときのは、違って……」
たとえそう言っても、信じてはもらえないだろう。
きっと怪しまれるだけだ。
それなら私は、ひたすらに素直でいよう。
それに、彼が無理にでも笑ってみせようとする心の裏側には。
きっと本心が隠れている。
誰だって、断られて悲しくない人なんていない。
「……俺、応援するよ。
だから頑張れよな、音中さん」
そう言うと彼はニカッと笑って、あの屈託のない顔を見せてくれた。
その笑顔が引きつらないように、頑張ってつくられたものだ。
ということは承知している。
でも、それだけで私の心が救われたことを、彼は知らないだろう。
「ありがとう、錦戸くん」
こんな私を好きになってくれた。
無愛想な私に声をかけてくれて。
友達になって、こんなに親しくしてくれて。
彼には感謝の気持ちでいっぱいだ。
「おう!」
だから私も、恐れずに伝えようと思う。
天音先輩には、諦めてほしくないから。
絶対に後悔なんてしてほしくない。
自分の思い描く道へ進んでほしいから。
だからこそ、私の気持ちを─────。
◇◆◇
「学校で呼び出すなんて珍しいな、陽葵」
白い息を吐きながら屋上までやって来たのは、天音先輩。
というか、私のことを「陽葵」と呼び捨てにする人なんて家族以外には彼しかいない。
「どうかしたか?」
不思議そうに顔を覗き込む天音先輩に、また胸が高鳴る。
いきなり顔が近くにきたら、耐性のない私は緊張してしまうに決まっている。
あの日からかなり時間が経っているから、先輩は忘れているだろう。
『ピアニストになりたかった』
彼はあのとき、確かにそう言い切った。
その気持ちは今でも変わっていないはずだ。
その夢を諦めるなんて、お姉ちゃんが許すはずない。
「私、待ち続けます」
冬の風が、静かに吹いた。
「いつか先輩と歌える、そのときがくるまで」
私が今叶えたいことは、私の夢なんかじゃない。
お姉ちゃんの願いでも、天音先輩の望みでもない。
ただ先輩のピアノを聴きたいの。
「は?バカじゃねーの?」
きっと彼はもうピアノを弾かないと決意したんだ。
ただでさえ曲がったことが嫌いな人だ。
1度決めたことは簡単にくつがえさないだろう。
「なんなんだよ……」
低い声が胸の奥まで振動して響く。
次に何を言われるか……。
そんな恐怖が襲ってくる中、目を瞑った。