キミの音を聴きたくて



「……陽葵には、わからねーよ。
俺はもうピアノを聴いてほしい相手がいないんだよ」



────澄恋はもう、いないんだよ。



そうこぼした彼の目からは、涙が溢れていた。



そんな彼の姿に、胸が張り裂けそうなくらい痛む。




そうだ、きっと彼はずっと泣いていなかった。



自分の殻に閉じこもって、本心を隠して。
人と関わることを拒んだ。




「それでもっ!
お姉ちゃんは、望んでいます……っ!
先輩が夢を叶えて、また前を向いて進むことを」




ねえ、天音先輩。



お願いだから、一瞬でいいから。
笑顔を見せてください。




お姉ちゃんにしか見せなかったような、眩しい笑顔を。



私にも……お姉ちゃんの妹としてではなく、ひとりの女子として。
向けてほしい。



そんな思いは日に日に募っていくばかりだ。



「……それは綺麗ごとだ」



ねえ、どうしてですか。



そんなにねじ曲がった考え方をして生きていても、楽しくないのに。



自分に素直に生きた方が─────したいことを心から楽しんだ方が。
きっと充実する。




昔の私もそうだった。



歌いたい気持ちを抑えて、自分を縛って。
自暴自棄になっていた。



でも、今は少し変われた気がする。




「自分のしたいことをできるなんて、幸せだな……」



彼はまた切なげに、自嘲気味に笑う。



そんな顔を見たくて言ったわけじゃなかったのに。




「あ、せんぱっ……」



「来るな」



────この日を境に、天音先輩は話しかけてこなくなった。





外はクリスマスムードで包まれている。



雪は降っていないけれど、時間が流れるのは早くもう冬だ。




そんな中。
私達の会話の中心は、勉強のことばかりだ。



「音中さん、また学年1位!?」



なぜなら、私の学校では2学期末テストが返却される時期だから。




私の席へとやって来た錦戸くんが声をあげた。



席替えをして隣の席でなくなったけれど、彼は今でも親しくしてくれている。




用事がなくてもよく来るけれど、彼とはやっぱり話しやすいから大丈夫だ。



というか、理由なんてなくても話してくれる存在がいて心強いのも確か。




「まぁ、うん」



前よりリラックスして話せるようになったからか、会話も続くようになった。



それに、気のせいかもしれないけれど友達が増えたように感じる。



「えっ、嘘!」



「やっぱり陽葵ちゃんは頭いいよねぇ」



近くにいた相川さんと日々ちゃんも、話に便乗するようだ。




「どうすればそんな点数とれるんだろう……」



「雫には無理だよ」



真剣に考えていたらしい月野さんに対して、少し失礼な物言いの鶴本くん。





最近は、この6人でいるでいることが多い。




仲良くなってから知ったことだけれど。
こう見えて錦戸くんと鶴本くんは同じ中学校だったらしい。



確かに、マイペースな鶴本くんの扱いに慣れている。
その点では錦戸くんが1番長けているように思う。




そして、月野さんと鶴本くんは想い合っていることは確かなのにお互いに気づいていない。




そんな個性豊かな友達ができて、毎日が充実していた。



たったひとつ、天音先輩に会えていないことを除けば─────。



◇◆◇




「呼び出してごめん、音中さん」



放課後の教室。



今の時期は日が沈むのも早いから、もう既に少し薄暗い。



理由はわからないけれど、私は今……錦戸くんとふたりきりだ。




「何かあったの?」



こんな風に面と向かって呼び出されることなんてなかったから、なぜだか緊張する。




どんな話をされるんだろうか。



勉強?友達?
想像もつかない。




けれど、真面目で社交的な彼がわざわざ呼び出したということは。
何か大切な用があることだけは間違いないだろう。



「あの……。
音中さんのことが、好きですっ……!」



……はい?



今、とんでもない言葉が聞こえたような気がした。



きっと私がおかしな妄想をしているだけなのだろうけれど。
それにしては、彼の顔が赤い。




「俺と付き合ってくれませんか?」



「え……?」



今までにないくらいの素っ頓狂な声を出してしまった。



嘘でしょう?



本当に、こんなに心臓に悪いことはやめてほしい。




まさか……あの錦戸くんが、私のことを好き?



これは一体どんな経緯があるのだろうか。



「最初は隣の席だから話しかけていただけだった。
でもいつからか、音中さんのことが気になっていたんだ」




これが、よく相川さん達が騒いでいる……告白……。




誰が誰に告白した。



そんな噂を耳にすると、必ず赤い顔をして相川さんは騒ぎだす。



私は今までされたことがなかったから、いつもその様子を冷めた目で見ていたけれど。



そんなものを、今私がされているなんて……。




「音中さんはきっと友達としか見ていないよね。
それはわかっているけれど……俺のこと、男として見てほしい」



男として、だなんて。



こんなにまっすぐな想いを伝えられたのは初めてで、戸惑ってしまう。



私が困惑していると、彼はフッと笑った。



「困らせてごめんな。
……家まで送るよ、一緒に帰ろう」



「……うん」



急かされるようにそう言われて、彼が家まで送ってくれることになった。




気まずい雰囲気のままなんて会話が続かないんじゃないか。



そう思ったけれど、彼はそれを押し切って「大丈夫」と言う。



こんなに親切にされると、なんだか申し訳なくなってしまう。




それを伝えると。



「俺が音中さんと一緒にいたいだけだから」



と、なんとも紳士らしい答えが返ってきた。





初めて私に告白してくれた人。



クラスに馴染めていなかった私を、初めて『面白い』と言ってくれた人。



彼は、このクラスでの居場所をくれた、そんな人。



錦戸くんと付き合ったら、毎日がもっと楽しくなるのかもしれない。



夢のようにキラキラした、華々しい日々が待っているのかもしれない。




けれど、私には……。



どうしても心から離れない人がいる。




────話さなくなってからも、天音先輩への気持ちが……消えない。



芽生えてしまった感情は、そう簡単に消せなかった。




私はお姉ちゃんの彼氏を好きになってしまった。



許されるはずのない恋なのに、こんなにも諦められないなんて。





こんな状態で返事をしても、きっと錦戸くんを困らせるだけだ。



それなら、しっかりと考えて私の意思を彼に伝えよう。



それが、私の辿り着いた答えだった。