「お願いだから……。
もう何も失いたくねーんだ……」
その訴えは、不安げで儚くて。
本当に先輩が消えてしまいそうだった。
何かを失えば、その代わり代償がある。
そんなこと抜きにしても私は先輩がいなくなってはほしくない。
大切な人がふたりも会えなくなってしまうのは、単純に嫌だ。
どうしようもなく悲しい。
言葉はぶっきらぼうなのに、私には強がっているように聞こえる。
きっと気をつかってくれているんだろう。
私がこれ以上、自分を責めないように。
意味がわからない。
彼にとって私は恨むべき存在なのに、そんな相手を許そうとするなんて。
「うっ……せん、ぱ……っ」
バカだ、本当に。
先輩は大バカだ。
「私……先輩には、音大に行ってほしいです」
夢を諦めてほしくない。
お姉ちゃんのためにも、信じて実現してほしい。
お姉ちゃんが叶えられなかった夢を叶える先輩の姿を見てみたい。
「は?
だから俺はもう……」
「先輩!
夢を諦めないでください!
今を……現実を受け入れて……前を向いてくださいっ……!」
私にこんなことを言う権利はない。
こんなの私の願望でしかないし、何を選ぶかは先輩の自由だ。
そんなの承知の上で言っている。
私だって、お姉ちゃんがいないこの現実を正面から受け入れることなんてできていない。
でも、先輩と出会えて……確かに変わることができた。
先輩が音大に行こうとしないのは。
ピアノを弾くことをやめたのは。
間違いなく、私のせいだ。
その事実は、きっといつになっても変わることはない。
それなら、私が背中を押さなきゃ。
お姉ちゃんのためにも、彼自身のためにも、絶対に行ってほしい。
「今ならまだ間に合うでしょう?
本当は知っているはずです。
自分がただ逃げているだけだってこと」
「……っ」
私だって、お姉ちゃんの死と向き合うことを恐れていた。
現実逃避して、自分の罪から逃げていた。
でも、私のせいで苦しんでいる先輩に出会って気づいたの。
これは、償わなければならないと。
私が向き合うことで変えられるひとつの人生があると。
「……陽葵には、わからねーよ。
俺はもうピアノを聴いてほしい相手がいないんだよ」
────澄恋はもう、いないんだよ。
そうこぼした彼の目からは、涙が溢れていた。
そんな彼の姿に、胸が張り裂けそうなくらい痛む。
そうだ、きっと彼はずっと泣いていなかった。
自分の殻に閉じこもって、本心を隠して。
人と関わることを拒んだ。
「それでもっ!
お姉ちゃんは、望んでいます……っ!
先輩が夢を叶えて、また前を向いて進むことを」
ねえ、天音先輩。
お願いだから、一瞬でいいから。
笑顔を見せてください。
お姉ちゃんにしか見せなかったような、眩しい笑顔を。
私にも……お姉ちゃんの妹としてではなく、ひとりの女子として。
向けてほしい。
そんな思いは日に日に募っていくばかりだ。
「……それは綺麗ごとだ」
ねえ、どうしてですか。
そんなにねじ曲がった考え方をして生きていても、楽しくないのに。
自分に素直に生きた方が─────したいことを心から楽しんだ方が。
きっと充実する。
昔の私もそうだった。
歌いたい気持ちを抑えて、自分を縛って。
自暴自棄になっていた。
でも、今は少し変われた気がする。
「自分のしたいことをできるなんて、幸せだな……」
彼はまた切なげに、自嘲気味に笑う。
そんな顔を見たくて言ったわけじゃなかったのに。
「あ、せんぱっ……」
「来るな」
────この日を境に、天音先輩は話しかけてこなくなった。
外はクリスマスムードで包まれている。
雪は降っていないけれど、時間が流れるのは早くもう冬だ。
そんな中。
私達の会話の中心は、勉強のことばかりだ。
「音中さん、また学年1位!?」
なぜなら、私の学校では2学期末テストが返却される時期だから。
私の席へとやって来た錦戸くんが声をあげた。
席替えをして隣の席でなくなったけれど、彼は今でも親しくしてくれている。
用事がなくてもよく来るけれど、彼とはやっぱり話しやすいから大丈夫だ。
というか、理由なんてなくても話してくれる存在がいて心強いのも確か。
「まぁ、うん」
前よりリラックスして話せるようになったからか、会話も続くようになった。
それに、気のせいかもしれないけれど友達が増えたように感じる。
「えっ、嘘!」
「やっぱり陽葵ちゃんは頭いいよねぇ」
近くにいた相川さんと日々ちゃんも、話に便乗するようだ。
「どうすればそんな点数とれるんだろう……」
「雫には無理だよ」
真剣に考えていたらしい月野さんに対して、少し失礼な物言いの鶴本くん。
最近は、この6人でいるでいることが多い。
仲良くなってから知ったことだけれど。
こう見えて錦戸くんと鶴本くんは同じ中学校だったらしい。
確かに、マイペースな鶴本くんの扱いに慣れている。
その点では錦戸くんが1番長けているように思う。
そして、月野さんと鶴本くんは想い合っていることは確かなのにお互いに気づいていない。
そんな個性豊かな友達ができて、毎日が充実していた。
たったひとつ、天音先輩に会えていないことを除けば─────。
◇◆◇
「呼び出してごめん、音中さん」
放課後の教室。
今の時期は日が沈むのも早いから、もう既に少し薄暗い。
理由はわからないけれど、私は今……錦戸くんとふたりきりだ。
「何かあったの?」
こんな風に面と向かって呼び出されることなんてなかったから、なぜだか緊張する。
どんな話をされるんだろうか。
勉強?友達?
想像もつかない。
けれど、真面目で社交的な彼がわざわざ呼び出したということは。
何か大切な用があることだけは間違いないだろう。
「あの……。
音中さんのことが、好きですっ……!」
……はい?
今、とんでもない言葉が聞こえたような気がした。
きっと私がおかしな妄想をしているだけなのだろうけれど。
それにしては、彼の顔が赤い。
「俺と付き合ってくれませんか?」
「え……?」
今までにないくらいの素っ頓狂な声を出してしまった。
嘘でしょう?
本当に、こんなに心臓に悪いことはやめてほしい。
まさか……あの錦戸くんが、私のことを好き?
これは一体どんな経緯があるのだろうか。