いらない。
お姉ちゃんがいないのなら。
歌えないのなら。
もうこの世の全ていらない。
存在する意味なんてない。
そう思うほどに、それらは大切な私の生きがいだった。
だから生きている意味は、見つけられずにいる。
どうしてお姉ちゃんだったんだろう。
お姉ちゃんよりも私の方が、失われて当然の存在に違いないのに。
でも、今の私は違う。
あの日からもう3年以上経っているんだから。
いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
……なんて、踏み出す勇気もない私が決心することでもないけれど。
「……よし」
学校へ行こう。
このまま逃げ続けるのは、負けたみたいで嫌だ。
思い立ったら急いで制服に着替えて、朝ご飯を口に入れる。
鏡に映った自分の顔は、思っていたより悲惨だった。
天音先輩に嫌われるのは構わないけれど。
天国から見ているお姉ちゃんを悲しませるようなことはしたくない。
決して心は明るくない。
それでも学校へ向けて家のドアを開けた。
もちろん仏壇には目もくれていないけれど。
今日こそは、いい日になりますように、と。
心の中で願いながら。
だんだんと日が落ちるのが早くなり、少し肌寒くなる秋。
「……もう1度、お願いします」
今のは私の耳がおかしかったに違いない。
だって、まさか、そんな。
「音中さんに、合唱コンクールでソロを歌ってほしいの!」
そう言って月野さんは近づいてくる。
……いや、うん。
意味がわからない。
文化祭のときは仕方なかったとはいえ、私はもう絶対に歌わないと決めたのに。
「ごめん。
他を当たってくれる?」
想像していたよりも低い声が出てしまった。
しまった、と思って顔を上げると、そこには傷ついた表情をした月野さんがいた。
「あ……うん、ごめんね」
別に他の人になんて思われようと構わない。
私は全てわかってしまったの。
それなのに歌い続けるなんてありえない。
だって、私のせいで天音先輩は─────ピアノを弾けなくなったのに。
私だけ好きなことをするなんて、許されるはずがないんだから。
「どうして」
「え?」
ふと横から声がして振り返ると、そこにいたのは眠そうな顔をした鶴本くんだった。
彼とは文化祭のときに話したきりで、それからはあまり話していない。
そもそも、月野さん以外の女子と話しているところをあまり見かけない。
「音中さん、楽しそうに歌っていたのに」
楽しそうに……?
違うの。
それは何も知らなかった頃の私。
今の私はもう輝けるはずがない。
何をしても楽しいと感じないのに。
「私はもう歌わないって決めたから」
怖いくらいの真顔でそう返答する。
それでも彼は自分のペースを崩さず、変わらず眠そうなまま。
私にとって、歌を歌うことが1番の生きがいだった。
だからこそ、今は歌うと苦しくなるばかりだ。
「なんか、もったいない」
「え……」
どういう意味か、と聞き返そうとしたときには、彼は既にいなかった。
本当に、マイペースで不思議な人だ。
合唱コンクール。
それは、この学校にある伝統行事のひとつで10月に行われる。
合唱曲からアニメソングまで、どんなジャンルの曲でもいいらしい。
金賞、銀賞が学年別に表彰される。
大きなポイントは、どれだけ見ている人の気を惹きつけられるか、ということ。
歌だけでなく踊りをしてもいいそうだ。
ただし、5分以内で1曲限り。
そして、楽器はピアノ以外認められない。
文化祭での私達の出し物であるライブに似ているため、私にお誘いがきたそうだ。
「はぁ……」
憂鬱だ。
どうして私のクラスは何かと音楽関係をやりたがるんだろうか。
私にはそんな行事に没頭する時間がとても苦痛に思える。
曲は、独創性を出すために自分達で作ることになった。
指揮者は、みんなからの大多数の推薦で錦戸くん。
それにはもちろん全会一致。
というか、このクラスをまとめていけるのは彼しかいないと思う。
ピアノの伴奏は、音楽に関してはだいたいできる相川さんだ。
クラスで孤立している雰囲気もあったけれど、文化祭の一件からは馴染めているみたい。
最近では笑顔も見られるから、きっと素晴らしい演奏を披露してくれるはずだ。
そして今日の放課後もまた。
「お願いっ、陽葵ちゃん。
ソロ歌ってくれない?」
月野さんと相川さんがかわいらしい笑みを浮かべて迫ってくる。
どうして、私に頼むんだろう。
他に歌える人ならたくさんいるはずなのに。
「文化祭のとき、陽葵ちゃんの歌声に感動したの。
こんなに上手な人がいるんだ、って」
そう言って相川さんは顔を赤く染める。
いつの間にか彼女にまで「陽葵ちゃん」と言われていて驚く。
アイドルである彼女にそう言われるのは、喜ぶべきことなんだろう。
でも、私は。
「私は歌わない。
もう、歌いたくないの……!」
思わず感情的になって、伸ばされた手を振り払ってしまった。
ダメだ。
せっかくできた友達を、私が傷つけている。
「放っておいてほしい」
追い打ちをかけるように、ふたりにそう言い放つ。
もう後戻りはできない。
廊下を走る。
優等生だと思われている私が全速力で走る様子を遠巻きに見ている人も多い。
でも、後ろから追ってくる人はいないようだ。
階段を駆け上がって、屋上へと向かう。
彼と出会うかもしれないと思い、近寄らないようにしていたけれど。
もう、限界だ。
ひとりになりたい。
「はぁっ、はぁ……っ」
ドアを開けて、息を整えながらその場に座り込む。
もう、ここにはいられない。
私に居場所なんてないのに、最近は高望みしすぎていたんだ。
こんなにも孤独が恋しくなったのは初めて。
みんなと一緒にいる時間は、確かに充実している。
でも、それが楽しいかと問われればわからない。
ひとりでいる方が楽だし、落ち着いていられる。