コンクールの結果は、散々だった。
ステージに上がって口を開いても、漏れるのは不規則な息だけ。
客席からは、どよめきの声が何度も聞こえてきた。
泣きたい気持ちを抑えて、ステージをあとにする。
泣きたかった。
苦しかった。
でも、そんなこと言っている場合じゃない。
ねぇ、どうして?
どうして声が出ないの?
お姉ちゃん、お姉ちゃん……。
助けてよ─────。
ひとりで列車に乗って、お母さんから聞いた病院へ向かうと。
そこには……。
白い布をかけられた、お姉ちゃんがいた。
『お、ねぇ、ちゃ……』
ねえ、嫌だ。
やめてよ。
信じたくないよ。
目を覚ましてよ。
私からお姉ちゃんを取らないでよ。
お姉ちゃんの体は既に冷たくなっていた。
私と電話しているときに交通事故にあって。
お姉ちゃんは─────死んでしまった。
もうこの世界には、いない。
もう笑い合うことは、できない。
『っお、ねえちゃぁぁぁーーーん……っ!』
涙が止まらなかった。
それでも、お姉ちゃんは戻ってこない。
事故が起こったのは、お姉ちゃんが信号待ちをしていたときらしい。
車がいきなり歩道に突っ込んできて、かわすことなんてできなかったそうだ。
だからもちろん、お姉ちゃんの不注意なんかではない。
悪いのは、運転手。
『陽葵のせいじゃないよ』って、たくさんの人に言われた。
その度に愛想笑いを浮かべてその場をやり過ごした。
でも、コンクールさえなければ。
私と通話なんてしていなければ。
お姉ちゃんは、今もこの世界で笑っていたかもしれない。
お葬式には、親戚やお姉ちゃんの友達が出席した。
その中で私は、彼と最悪の出会いをする。
『すみ、れ……っ!!
戻って来てくれよ!
お前がいないと、俺は……』
どんどん灰になっていくお姉ちゃんを前にそう言ってしがみつく男子がいた。
顔はとても整っているけれど、その顔はひどくやつれていた。
そう。
それが、当時は中学3年生の。
お姉ちゃんの彼氏だった─────天音先輩だ。
中学1年生のときから、ふたりは付き合っていたらしい。
きっかけはピアノ教室。
彼もピアノをしていたらしく、ふたりの距離が近づくのは必然だった。
それは後日、お母さんから聞いたことだった。
『お前が、澄恋の妹か』
抑揚のない冷たい声に振り返ると、彼らは鋭い目つきで私を睨んでいた。
冷たくて、寂しそうで、孤独な目。
今より幼い私にも、それだけはわかる。
『お前のせいで、澄恋は死んだんだよ……っ!』
悔しそうで、悲しそうだった。
正面からそう言われるなんて思っていなくて、一瞬ひるんだ。
彼の剣幕に押されて、返事なんてできなかった。
『澄恋がわざわざ取りに帰った “ 大切な物 ” が何がわかるか?』
また私に怒りの声をぶつける。
でも、次の言葉に瞬きも忘れて驚くほどの衝撃が走った。
『お前のコンクールのための、お守りだよ』
その言葉を聞いたとき、真っ暗な闇の中に落ちていく感覚がした。
まるで底なし沼のような、何をしても償いきれない私の罪。
お姉ちゃんが死んだのは、私のせいだ。
『俺の大切な人を奪ったお前を、一生許さない』
睨むようにそう言い放った彼の表情は、今まで見た誰よりも冷たかった。
私のお姉ちゃんが選んだ人だ。
本当は誰よりも優しいんだろう。
でも、お姉ちゃんがいない今。
彼の心を照らす存在はないのかもしれない。
────あぁ、私は一生この人からは逃げられない。
彼の大切な人を奪った私は、人殺しだ。
実の家族を死に導いた私に、幸せになる資格なんてない。
『お前は歌い続ける限り、自分の過ちに縛られるんだ』
お姉ちゃんの命を奪ってしまった原因は、私の歌だ。
それなら、私はもう歌わない。
何があっても歌っちゃいけないんだ。
「おね、ちゃ……っ」
気づけば頬には涙が伝っていた。
知らないうちに思い出してしまっていた。
あの消し去りたい過去を。
私の犯してしまった罪を。
もう後ろを振り返ったりしないって誓ったのに。
思い出したら苦しくなるだけだって、わかっていたのに。
当時は自暴自棄になったりもした。
お母さんが私を気にして話しかけてくれても。
『もう、なんなのっ!』
『お母さん、いつもうるさい!
放っておいてよ!』
『テレビもうるさい!
鬱陶しいから消してよっ!』
そう言って自分から突き放していた。
その度に悲しそうだったお母さんの顔を、私は未だに忘れられていない。
いらない。
お姉ちゃんがいないのなら。
歌えないのなら。
もうこの世の全ていらない。
存在する意味なんてない。
そう思うほどに、それらは大切な私の生きがいだった。
だから生きている意味は、見つけられずにいる。
どうしてお姉ちゃんだったんだろう。
お姉ちゃんよりも私の方が、失われて当然の存在に違いないのに。
でも、今の私は違う。
あの日からもう3年以上経っているんだから。
いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。
……なんて、踏み出す勇気もない私が決心することでもないけれど。
「……よし」
学校へ行こう。
このまま逃げ続けるのは、負けたみたいで嫌だ。
思い立ったら急いで制服に着替えて、朝ご飯を口に入れる。
鏡に映った自分の顔は、思っていたより悲惨だった。
天音先輩に嫌われるのは構わないけれど。
天国から見ているお姉ちゃんを悲しませるようなことはしたくない。
決して心は明るくない。
それでも学校へ向けて家のドアを開けた。
もちろん仏壇には目もくれていないけれど。
今日こそは、いい日になりますように、と。
心の中で願いながら。