「では、僕はこれで」
そんな声がして、ガチャリと開いていくドア。
あ、この状況はダメだ。
そう思った時にはもう遅かった。
そこから天音先輩が顔を出して。
「え、陽葵……?」
困惑した彼の声が聞こえてくる。
あぁ、もう。
バレてしまった。
隠せなくなってしまった。
言いたいことも、反論したいこともたくさんある。
それよりも今は逃げ出したい衝動の方が大きい。
でも、何も答えずにその場で顔を落とす。
「あら、帰っていたのね。
これから晩ご飯……」
「いらない」
お母さんの言葉を遮って、冷たく言い放つ。
こんな気分のままご飯を食べられるほど、私の精神は安定していない。
「ちょっと、陽葵?
あ、この方は奏汰くんって言って……」
「知っているから。
部屋戻るね」
お母さんに悟られないよう、早口にそう言って部屋にこもる。
思い出したくなかったのに。
こんな最悪な形で会うことになるなんて。
どうして今日に限って天音先輩がいるの?
せっかく日々ちゃん達と遊んで気が紛れていたのに。
どうして……?
気づけばドアは開いていて。
目の前には天音先輩が立っていた。
「……デリカシーないですね」
「それは今に始まったことじゃないだろう?」
女子の部屋に何も言わず入るなんて、意味がわからない。
本当に彼は何を考えているのか読めない。
「はぁ……。
どうして入ってくるんですか」
「お前も仏壇の前に行け」
率直に言われて、肩がビクッと跳ね上がる。
仏壇……?
そんな物、一生見たくない。
「絶対に嫌です!
私は……っ!」
「澄恋(すみれ)の命日くらい、向き合ってくれよ!
お願い、だから……」
天音先輩は、いつもの上から目線な態度とは真逆。
心から私に懇願しているようだ。
────そう、今日は。
私のお姉ちゃん、音中澄恋の命日。
ちょうど3年前、私が罪を犯した日だ。
「陽葵!早く起きなさい」
「………」
嫌だ。
何も聞きたくない。
外の音も、誰かの声も、自分の呼吸をする音ですら、聞きたくない。
「今日から学校でしょう?」
学校?
そんなところに行ったら、また天音先輩に会わなきゃならない。
それなら行きたくない。
「休む……」
「何を言っているの?
あなたは、澄恋の分まで生きなきゃダメなのよ!」
ねぇ、どうしてみんな「澄恋」ばっかり。
私は陽葵。
お姉ちゃんの代わりになんてなれないのに。
「……学校、行くから。
私のことは放っておいて」
「陽葵……」
お母さんの悲しげな表情、今までに何度見ただろう。
こうなってしまったからには、私は幸せを望んではいけない。
学校でも息を潜めてひっそりと過ごすんだから。
お母さんだって気づいているだろう。
夏休み中、天音先輩と家で出くわしたときから様子がおかしいことに。
またあの日のことが蘇る。
私は一生あの罪から逃れられない。
この家は音楽一家。
お父さんは作詞作曲家、お母さんはバイオリニスト。
だから当然のようにお姉ちゃんも私も小さい頃から音楽に携わっていた。
お姉ちゃんの音中澄恋は、私の2つ上。
私は歌、お姉ちゃんはピアノ。
それぞれ好きなことは違ったものの、ふたりで合わせたりと仲は良かった。
私は3歳のときからカラオケ大会やコンクールに出て優勝して。
テレビには出なかったけれど、将来有望の歌手だと言われていた。
お姉ちゃんも同様に数々のピアノのコンクールで優勝。
小学校に上がる頃にはスカウトも多くなり、姉妹揃って注目されることが多くなった。
その度に誇らしかったことは、今でも覚えている。
家庭円満で才能にも恵まれていた私達。
あのできごとが起こったのは3年前。
お姉ちゃんが中学3年生、私が中学1年生のときだった。
歌のコンクールが開かれて、私は家から離れたところへ行くことになった。
家からは列車で2時間くらいかかる。
それでも、家族は今回も応援に来てくれることになっている。
でも、お姉ちゃんはちょうど受験生。
勉強するために計画的に使える時間としては、夏休みはとても重要だ。
私とお母さん、お父さんは前日に着くように出発したけれど。
お姉ちゃんは勉強があるため、当日の朝に着く予定だった。
────でも、それからお姉ちゃんには会うことはなかった。
どんなに会いたくても、もう会えない。
一瞬たりとも顔を見られないところへ行ってしまった。
当日、コンクール会場で電話がかかってきた。
お母さん達は客席にいる。
不思議に思って出てみると、電話の相手はお姉ちゃんだった。
『陽葵、ごめん!
忘れ物に気づいて取りに帰っているところなの!
少し遅れるかもしれない』
『忘れ物?』
電話口からでもわかる、焦った口調。
お姉ちゃんは本当に大切な物を忘れたに違いない。
『そう、大切な物なの。
大丈夫よ、陽葵の番には間に合うように行くから』
コンクールまではあと2時間はある。
急げばまだ間に合う時間だ。
いつになく焦っているから少し心配になりながらも、自分の気を落ち着かせることで精一杯だった。
お姉ちゃんは優しかった。
何かあったら、すぐに私のことを優先する。
いつだって私の喜ぶことをしてくれる。
だから私は、お姉ちゃんが大好きだった。
それなのに。
『うん、今信号で待ってい……
きゃぁぁぁーーーっ!』
突然聞こえてきたのは、お姉ちゃんの悲鳴と何かがぶつかったような鈍い音。
……え?
何が起こったのかわからなかった。
『どうしたの?
お姉ちゃん!?』
何かがあったには違いない。
けれど、呼びかけても返事はない。
嘘、だよね?
どういうこと……?
本番前の緊張をほぐすためとはいえ、さすがに大袈裟すぎる。
私は遊びなんて別にいいから、早くお姉ちゃんの顔を見たい。
そして、安心したいよ……。
わかっていないわけじゃない。
ただ理解したくない。
頭の中にはそれしか浮かばず、次々と涙がこぼれてくる。