「……今日も公務が終わったら、また来るよ」

　語りかけるも、もちろん返事はない。ラインアーサは「行ってきます」と独り言の様に口に出してスズランの頬に唇を落とすと静かに部屋から退室した。
　外に出るとまだ暗く、冷たい空気が肌を刺す。テラスの階段を降りた所でセィシェルと出会した。

「よう。もう行くのか…？」

「セィシェルか、随分早いな。まだ夜明け前だぞ？」

「俺は仕事明けだ。そっちこそ…、その……ちゃんと休んでんのかよ？」

「へえ、お前からそんな言葉が出るなんて珍しい。今日は槍が降るかもな」

「うっせぇ！　ちげえし、、親父が呼べって。少し顔出してけってさ…」

「そうか……マスターには心配かけられないからな。分かったよ」

　ラインアーサは短く息を吐いて、セィシェルの後について再び酒場(バル)の中へと戻った。
　相変わらずこの店の人気は揺るぎなく、街一番の賑わいをみせている様だ。その為、ユージーンもセィシェルも明け方近くまで働き詰めらしい。ただ一つ以前と違う事と言えば、看板娘(スズラン)が不在という事だ。
　居間に入ると深みのある芳ばしい香りに包まれた。

「アーサ様…！　どうぞおかけください。今珈琲をお淹れしてますので」