時計の針が午後一時三十分を回った。

 僕の鼓動は早くなり、入り口が気になって仕方がない。


 海原健人(うみはらけんと)三十三歳独身。

 大手の銀行へ就職したもの、未だに地元の長野で融資窓口を担当している。
 小柄な体系に見えを張り、大きめなスーツを着ているが、なんだか中学生の入学式の様で、逆に幼く見せてしまっている事には気付いていない。

 顔立ちが良い訳でも無く、名の知れた大学を出たわりには、仕事に意欲がある訳でも無く、なんとなく日々与えられた仕事を熟している。


 そんな僕が唯一気持ちの高鳴る瞬間が、一日一度のこの時だ。

 午後一時三十五分、昼休みの混雑も過ぎ、キャッシュコーナーで待つ人も二、三人だ。

 その後ろを、銀行の入り口から若い二十代前半の女性が、事務の制服の上にベージュのコートを羽織り足早に入ってきた。


 銀行員が彼女の姿に「いらっしゃいませ」と大きな声を掛ける。

 僕も負けずに大きな声で「いらっしゃいませ」と言った。

 彼女は、声のする方を見て、にこりとポニーテールの頭を下げ、そのまま総合窓口へと向かった。


 僕は彼女の姿から目が離せなくなる。

 これだけ大勢の客が銀行に毎日来るが、「いらっしゃいませ」の声に頭を下げる人は彼女だけだ。



 そして、今日は彼女が月に数回の手形の一覧を、融資の僕の窓口に取りに来る日だ。

 彼女はこの銀行の近くにある沖田建築という中小企業の総務で働いている。


 だが、僕は彼女の名前も知らない。