「もう成海さんほんと嫌いっ」
「何、また何かされたの?」
「っ…!りっくん〜!!!」
「あー、こらこら、抱きつかないの」


成海さんへの不満が溜まりに溜まったわたしは、りっくんこと櫻井律希くんの声を聞くなり思い切り抱きついた。

あれから散々こき使われて罵詈雑言を吐かれたわたしは、もう心も体もクタクタだった。
絶対パワハラだ、こんなの。
のどが渇いたと言ったら気を利かして飲み物をついでくれたと思ったのに、烏龍茶だと思った物が梅酒だったとかピアスごと耳を引きちぎろうかと思ったけど、でもいいんだ。 

「今はりっくんさえ居ればいい〜」

なんてボヤきながらりっくんのシャツにグリグリと顔を埋めていると「臭いのバレるからやめなさい」と引き剥がされた。そんなことない。バイト終わりにも関わらず、りっくんのシャツからは
シトラスのような柑橘系の香りが仄かに香っていた。

「りっくん今日上がり何時?」
「今日は11時かな」
「待つ」
「だめだ、帰れ。お父さんが心配するでしょうが」
「えー…」

心配なんてしないのに、なんて名残惜しそうにつぶやいても、りっくんはまるで相手にしていないかのようにわたしの頭を軽く叩いて持ち場に戻っていってしまった。


高校生の勤務時間は10時まで。対してりっくんは大学生だからその一時間後の11時まで。
いいなあ、と、心のそこから羨ましかった。
何がって、別に11時まで働けることがとか、そうゆうのじゃない。
知ってるんだ。りっくんがいつも那月さんって女の人と一緒に帰ってること。

りっくんが、その人のことを好きだってこと。

時計の針が10時を刺して、わたしはタイムカードをきる。
わたしのタイムカードの横に並ぶ『櫻井律希』という荒っぽい文字を見て、心が跳ねる。
だけど、わたしはすぐに、りっくんのタイムカードの時間の女の人の字でひどく虚しい気持ちになる。
なんて脆く、なんて儚いんだろう。