いつからだろう。

こんな風に、一生懸命できなくなったのは。

現実見てなきゃ、傷つくことになる。

バカを見る。

何もしなければ、傷つかずにいられる。

そんな風に思うようになったのは…

幼い頃の私が父と母がいる風景を信じていたから。


この先、私の人生の節目には父と母がいてお祝いしてくれたり、一緒に喜んでくれて。

いつか妹か弟ができたりして。

ごはんをみんなで食べて。

そんな風に漠然と思っていたのに。

今はにぎやかな食卓とはほど遠い、静かな食卓。

信じていた風景は、今はない。


中学生の頃、私には反抗期がなかった。

母をうっとうしいと思うほど、一緒にいる時間はなかったし。

ほっといて、と思うほどかまわれたこともなかったし。

不幸だとは思わないけど、特に何も感じないし。

非行に走るほどの熱意もなかったし。


私の反抗期は脱力という感情にすり替わってしまったのか。

一生懸命することに、何の意味があるの?

とりあえず最低限こなしておけばいい、と。


学校も嫌いじゃないし、友達といるの楽しいし。

でも、胸を焦がすような感情も、悔しくて泣いたり、嬉しくて泣いたり、そんな感情を捨てた。


ただ、冷めた自分がいた。