「名前を、せめて名前ぐらい思い出したいなって…思ったんだよね」

日記帳を抱きしめて、笹中さんが言った。


「私、恋とかしたことなくて。でも、毎日、この人の名前が出てくるもんだから。すごく好きだったんだなぁって、どんな人だったのかなぁって。自分のことなのに、何もわからないって…少し苦しいね」


笹中さんの表情は、すごく女の子で、儚げでとても綺麗だった。


「うん…」

好きな人ってどんな存在?

誰かを想う気持ちって一体どんななの?

私には、笹中さんが尊く感じる恋心をまだあまり理解できないでいた。

恋だっていつかは終わってしまうから。

気持ちは目に見えないから、不確かで、きっと自分の願いや妄想で真実とは違う。

そんなものを信じるなんて、怖いじゃない。

心変わりが目に見えないから、怖いじゃない。


父と母だって、たぶん愛し合って結婚したわけなのに。最後はいがみ合うことばかりで、お互いを憎しみ合っていた。


好きだった人が、世界一嫌いな人になるなんて…

淋しすぎる。虚しすぎる。

最初から好きにならなければ、そんな想いしなくて済むのに。


一生懸命、その人に費やした時間が無駄になって、悲しい思い出になるなんて。

傷つくことも、後悔することもしたくない。

幸せな気持ちを味わった分、どん底に落ちていくなんて怖い…