いつまでも弟だと思うなよ。




「別に。何となくアイツに先越されそうだなって思っただけ」

「え?」

「何でもねーよ」



チカの言ったことが上手く聞き取れなかったけど、とりあえずチカとのその約束には頷いておいた。







「え?千景くんと花火大会?」

「うん、そう」




次の日の朝。


私は、なんとなく美沙にチカとの約束───花火大会について話した。





毎年のことだから、中学からの付き合いの美沙とこの会話をするのは数回目。



なのに。



「ねぇ可奈子。今年は浴衣着なよっ!」

「へっ?」



今回初めて、美沙は私に浴衣を着るように進めてきた。




最後に浴衣を着たのだって、小学生以来だ。


それ以外はずっと私服できていたのに。





「な、なんで急に…!?それに今更浴衣なんて恥ずかしすぎるって!」



美沙の提案に慌てた私は必死に断ろうと手を横に振る。








「花火大会に高校生が浴衣着るなんて珍しくないって!千景くんから誘って来たんでしょ?だったらそれに応えなきゃ!」

「こ、応えなきゃって…」



何故か私よりもウキウキな美沙。





着付けも化粧も私がしてあげるから!なんて凄く押してくるものだから、私はそれに頷くしかなかった。






「はよー。なんの話?」

「あ、真田くん。おはよー」

「おはよ。今ね、可奈子に花火大会に着る浴衣進めてたところなの」

「…えっ?」




真田くんも登校して来て、早速美沙は今までの経緯を彼に話し始めてしまっている。





「宮野、誰かと花火行くの?…もしかして、あの弟クン?」


声のトーンが落ちている真田くんに、私は小さく頷くことしかできなかった。





「まじかー。俺も誘おうと思ってたのに」

「先越されちゃったわね」

「うわー。次は絶対負けねぇ」



そう言う真田くんと、そんな彼の肩をポンと叩く美沙を見ていると、なんだか申し訳ない気持ちが押し寄せてくる。







「あ、宮野謝んなよ?俺が行動遅かったからだし、宮野何一つ悪くないし」

「へっ?あ、うん…」



そんな私の気持ちを先回りするかのように真田くんがそう言うから、私は何も言えなかった。






やっぱり真田くんはずるいなぁ。


そんなことを思ってみたり。






「奪ってでも一緒に行くって選択はしないの?」

「や、あの弟から約束横取りしようとしたところで勝てねぇって」

「ふふっ、妥当な判断ね」




そんなことを考えていたからかもしれない。



その後で、2人がそんな話をしていたなんて気付きもしなかった。








1週間の夏期講習もすっかり終了し、今日はいよいよ約束の土曜日。




毎年のことのはずなのにどこか緊張してしまうのは、きっと今目の前にいる美沙が私の着付けをしてくれているからだろう。





「可愛い!」

「う…、似合ってる気がしないよ」



着付けも終わり、化粧も終わったのはチカが迎えにくる17時の10分前。






鏡の前に立たされた私は、黒地に水色や紫の朝顔が咲いた浴衣に包まれている自分に思わず息を飲んだ。




「ね?可愛いでしょ?」

「う、ん…。化けてる…」



化粧も綺麗に施され、いつもの顔から少しだけ垢抜けた気がした鏡の中の私。






チカ、どんな反応してくれるかな。




ふとそんなことを考えた自分にハッとして、勢いよく首を振った。






「千景くん、びっくりするだろうね」

「そ、そうかな?」



美沙の口からもチカの名前が出てきて、突然のことに吃ってしまう。





そう。チカには、私が浴衣で行くことを知らせていない。



毎年お互い私服だったから、きっと今年も私服で行くとばかり思っているだろう。





「ふふっ、楽しみだなぁ」


そう言ったのは、私ではなく美沙の方で。





「なんか、美沙の方が楽しんでるよね」

「え?まぁね〜。今度会うとき話聞かせなさいよ?」

「いいけど、そんなに話すことない気がするなぁ」




そんな会話をして、美沙はニコニコ笑顔で帰っていった。





─────ピーンポーン




その入れ替わりのように家に鳴り響くチャイムの音。





「はーい」



小走りで玄関に行くと、私はドアを開けた。







「可奈、準備でき……」



いつも通り私服で立っていたチカの目の前に現れると、チカは口を閉じる。





「…どうしたの、それ」




それから、驚いたようにそう聞いてきた。





「あ、えと、美沙がやってくれて…」

「…あぁ、勇太の姉貴か」



チカはポツリと納得したように呟くと、何故かふいっと私から視線を逸らした。





「え、チカ…?」


その行動になんとなくショックを受けてしまう。



やっぱり、似合ってなかったかな。





分かってはいたことだったけど、どうしてか落ち込んでしまう。






「あー、違う違う」

「え?」



すると、チカが言葉を発した。


顔は相変わらずこっちに向いていないけど。







「可奈絶対勘違いしてる。…逆だから」

「へ?」



何を言ってるのか分からなくて聞き返してしまう。





私があまりにも理解してないからか、「あーもう」とチカはこっちに顔を向けた。






「だから、似合ってるって。すげー綺麗だから目見れないだけ」




それくらい分かれよ、なんて言って、チカは外で待ってるからとドアを閉め出て行った。







「…っ、何、今の」



バタンと閉まったドアを見つめて、思わず声に出る。





一瞬だったけど、チカの耳が赤くなってるのが見えた。




「そんな顔して言わないでよ〜…」


照れた顔で「綺麗」だなんて、そんなのこっちまで照れてしまう。





やばい。


変だ、私。





そんなことを思いながら、熱くなってしまった頬に手を当てる。



その熱が冷めたのを見計らってから、私も外に出た。







花火大会の会場は、ここから歩いて15分くらいの場所にある。



家の近所だから、小さな頃から毎年参加してるんだ。






「………」

「………」




会場に向かう途中の私達の会話は何もない。



ここ数年はチカの反抗期で私が適当に話ながら会場に連行してたけど、今年はどうもそうはいかないらしい。





何しろ、私がチカに話しかけられないんだ。



なんか、妙に緊張しちゃって。





チカもチカで何も話さないし。



けど、歩くペースが同じなのを見ると、私に合わせてくれている優しさだけは伝わって来た。





今考えてみれば、反抗期の時もそうだったよなぁ、なんて。



0歳から花火大会に連れて来られたせいで、小学生までのチカは花火の音が怖くて泣いてたけどね。








「クスッ」



今思えば、あれはあれで可愛かったなー。




お母さんもチカママも「行くのやめる?」って聞くほど怖かったくせに、私と手繋いだら「頑張る」だもん。






「何笑ってんだよ」

「…ふふっ、ちょっとね」



それが今となっては、私の歩幅に合わせて歩くようになっちゃって。





「大きくなったね、チカ」

「何母親みたいなこと言ってんの」

「あははっ」



気付けば、さっきまでの緊張が嘘のようになくなっていた。







「あっ、りんご飴!」



会場に着いたのはそんな頃で。




屋台も並んでいるその中から目的の出店を見つけた私は、思わずチカの服の裾を引っ張った。