シーナが料理を始めて2時間ほど経った頃。
日も暮れて、トッドが作業する手をとめた。
「大丈夫かな・・」
その時、工房の扉の開く音がした。
ゆっくり振り返ると、トッドは慌てて席を立った。
指から血が出ているシーナが涙をポロポロと流しているのだから。
「どうしたんですか!指から血が出てる、それにそんなに泣いて」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
「待ってください、いま救急箱持ってきますから!」
トッドはデスクの引き出しから、救急箱を取り出し、椅子を出してシーナに座るよう促す。
「よかった、傷は深くないみたいですね。少ししみるけど…我慢して」
トッドは指先に消毒液を吹き掛ける。
シーナは痛みをこらえキュッと目を瞑る。
「はい、絆創膏。これで大丈夫」
「ごめんなさい…」
トッドは指先に素早く絆創膏を巻く。
「料理で、手を切ってしまったんですか?」
シーナは黙って頷く。
「そうですか。可哀相に、痛かったでしょう?」
今度は首を横に振る。
「何を作ろうとしてくれたんですか?」
「野菜スープと…お肉のソテー」
「野菜スープですか、最近寒くなってきたから美味しいでしょうね」
「でも、上手く野菜が切れなくて…とっても見栄えも悪くて…」
シーナは震える声で必死に話す。
「一生懸命作ってくれただけで十分ですよ。何をそんなに落ち込んでるんですか?」
トッドはシーナを慰めるように、微笑みかける。
「料理ひとつまともに出来ない私はやっぱり落ちこぼれなんです。
料理だっていつもルームメートのマカに任せきりだったから。
魔法も上手で。
マカはとても料理が上手だった。だから有名な菓子職人の片腕になったんです。」
「もしかして、ルームメートのマカさんが料理に魔法を使ってるのを見てたから
さっき魔法で料理をしてみようと思っていたんでしょう」
「…」
シーナは気まずい表情をしながらも頷いた。
トッドはクスクスと笑いだすと、長机から椅子を引き出してトッドが腰掛ける。
「マカさんはきっと、魔法を使わずに料理する方が、本当は得意で、楽に出来ると思いますよ?」
「え?」
シーナは首をかしげる。
「魔法で料理を行うのは、シーナが思ってるより楽じゃない。
たくさんの応用魔法を立て続けに手際よく行うのはとても体力を使うし。
何も魔法を使わずに料理するほうが楽に決まってる。だからきっと…」
「きっと?」
シーナは椅子から身を乗り出す。
「きっと、その菓子職人の片腕になる為に日頃から魔法の練習を積んでいたのでしょう。
菓子職人は魔法で微妙な味の変化や焼き加減を調節しているらしいですし、
その繊細な魔力のコントロールを得るために、あえて、いつも魔法で料理をしていたんだと思いますよ?」
「そうだったのかな…」
「僕も間違いないとは言いきれません。でもきっと…
とても美味しいでしょうね。マカさんが一生懸命練習して作った料理。」
「うん。とっても美味しいんだぁ、マカの料理」
「きっとシーナの料理だって美味しいですよ。魔法を使わなくたって、一生懸命作ってくれたんですから。」
ふとトッドの顔に陰りが見えた。
どこか寂しげな表情にシーナは気付いた。
「トッド?」
「…いや、職人も、その片腕も…みんなそうした純粋な思いで何かを生み出してるんです。
でも…なかなか純粋な思いのまま生み出し続けるには、今はあまりにも苦しくなったんだなぁって。」
「…何の話ですか?」
「ん?あぁ、今のは独り言です。大したことじゃありませんから。それより、僕お腹空いてしまいました!料理、まだ途中ですか?」
トッドはおどけながら、自分のお腹をさすってみせた。
「まだ…なんです」
「じゃあ、僕も手伝います。ちょうど区切りもつきましたし。」
シーナはデスクを覗き込んだ。
「わぁ、歯車がいっぱい」
トッドのデスクには、様々な大きさの木の歯車が置かれていた。
「うん、農家の耕具の部品なんだ。随分老朽化してたから。とりあえず応急措置」
「歯車の色がちぐはぐ…あ、新しい木片をくっ付けたんですね!」
「正解、老朽化のひどい部分を削って新しい木をくっ付けて
元に戻してたんです。ちょっとパズルみたいで楽しくて」
トッドは幼い子どものように笑った。
「ほんと、すごく楽しそう」
「ほら、早く家に戻りましょう。」
トッドがシーナを横切ろうとしたその時だった。
「あの!」
シーナがトッドの服の裾を引っ張った。
「まさか…その格好のままお手伝いしてくれるわけじゃ…ないですよね?」
「?」
トッドは不思議そうに首を傾けた。
「そんな土埃のたくさん付いた服や手でお料理したら具合悪くなっちゃいますよ!
手を洗って……いや、もうお風呂入って着替えてください!」
「あ…」
「井戸は!?」
「いっ…井戸は家の裏…」
「釜戸は!?」
「それも、裏のすぐ、井戸の前…です」
すごい剣幕でたたみかけるように問うシーナに身じろぎながらも、反射的にトッドは返事をしていた。
「今すぐにお風呂用意しますから!料理はシーナが頑張ります!ほら早く」
「ちょっ…ちょっと」
シーナはトッドの背中を強引に押しながら工房を後にした。
大急ぎで風呂の準備を終え、トッドに入浴を促し。
2人が食卓についた時には、すっかり日が落ちてからだった。
「いやぁ、お風呂の準備してもらえるのなんて子どもの頃以来でした。気持ち良かった」
「あんなに汚れたままでご飯食べてちゃ病気になっちゃいますよ!」
「一応手は…洗ってるんですよ?」
「当たり前です!」
トッドは肩をすくめる。
「それより…味、どうですか?」
「すっごく美味しいです。」
「見た目は……」
「えぇ、なかなか斬新で。」
「それ逆に傷つきます!」
「はは、初めてなら誰だって上手く出来ませんよ。十分です」
「そうですか?」
「はい。僕、誰かに指を怪我してまで料理を作ってもらうなんて初めてで。だから嬉しいです。」
他愛のない会話を交わしながら、2人は食事を終えた。
そのまま食卓でゆったりと夜を過ごしていた。
「ねぇ、トッド?」
「なんですか?」
「トッドは、魔法士職人が嫌い?」
「え、どうして?」
「だって。魔法の話をする時、なんだか悲しそうにするんだもの」
トッドは苦笑した。
「魔法が嫌いなわけじゃありません。ただ、僕は幸せに生きている職人をあまり知らないんです」
「?」
「僕、小さな頃から大好きな画家がいたんです。その人の描く絵はね、生きているんです」
「へぇ!」
トッドは少し遠くの方を見つめながら話していた。
「初めて見た、僕の大好きな画家の絵は、一本の大木が描かれただけのシンプルなものでした。」
「大木、ですか」
「その絵は、僕の故郷の公園に飾ってある絵で、季節や天気に合われて大木が変化する、とても素敵な絵でした。」
「わぁ、絵の中で木が生きてるんですね」
「そう、幼い私は毎日その絵を見るのが大好きだったんです、でも・・・」
「でも?」
「その時、その画家の住んでいる国じゃ・・魔法はもう、国家に規制されていました。
絵画や彫刻は職人の自己満足と罵り、価値が出なくなっていたんです。」
「・・・」
トッドは酷く悲しそうだった。
「魔法士職人は、人の倍の寿命が与えられて、魔法を使えばそれが削られるというのは
学園で習いましたよね?」
「はい。」
「それで人間と同様の寿命に合うように均整がとられているんです。
ですが、魔法を異常な早さで膨大な量を使えばそれだけ大量に寿命は削り取られてしまう。
僕の好きな画家の作品は日に日に激しく、焦りや怒りに満ちた作風になっていきました。
かつてはあんな穏やかな絵ばかり描いていたのに。
周りに認められない焦りから、もう心は壊れてしまっていて。
狂気に満ちたまま魔法で絵を描き、30という若さで壮絶な死を遂げました。」
「悲しい・・話ですね」
「職人は時代に翻弄されるものです。時には命を奪われるほどに追い詰められる。
でも、その才能を持って生まれた職人は、その道を完全に外れることが出来ない。
手足が無くても、何も生み出せなくなっても・・何か別の形ででもその道にいないと生きられないんです。
まるで灼熱の炎のようなランプに近づく夜光虫のように。
僕はそんな運命に自分がさらされていることが時々恐くてたまらない。」
「トッド・・・?あなたもしかして」
「・・僕は、シーナ。僕は」
その時、ドアから大きなノックの音が響いた。
「トッド、頼む。助けてくれ」
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日も暮れて、トッドが作業する手をとめた。
「大丈夫かな・・」
その時、工房の扉の開く音がした。
ゆっくり振り返ると、トッドは慌てて席を立った。
指から血が出ているシーナが涙をポロポロと流しているのだから。
「どうしたんですか!指から血が出てる、それにそんなに泣いて」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
「待ってください、いま救急箱持ってきますから!」
トッドはデスクの引き出しから、救急箱を取り出し、椅子を出してシーナに座るよう促す。
「よかった、傷は深くないみたいですね。少ししみるけど…我慢して」
トッドは指先に消毒液を吹き掛ける。
シーナは痛みをこらえキュッと目を瞑る。
「はい、絆創膏。これで大丈夫」
「ごめんなさい…」
トッドは指先に素早く絆創膏を巻く。
「料理で、手を切ってしまったんですか?」
シーナは黙って頷く。
「そうですか。可哀相に、痛かったでしょう?」
今度は首を横に振る。
「何を作ろうとしてくれたんですか?」
「野菜スープと…お肉のソテー」
「野菜スープですか、最近寒くなってきたから美味しいでしょうね」
「でも、上手く野菜が切れなくて…とっても見栄えも悪くて…」
シーナは震える声で必死に話す。
「一生懸命作ってくれただけで十分ですよ。何をそんなに落ち込んでるんですか?」
トッドはシーナを慰めるように、微笑みかける。
「料理ひとつまともに出来ない私はやっぱり落ちこぼれなんです。
料理だっていつもルームメートのマカに任せきりだったから。
魔法も上手で。
マカはとても料理が上手だった。だから有名な菓子職人の片腕になったんです。」
「もしかして、ルームメートのマカさんが料理に魔法を使ってるのを見てたから
さっき魔法で料理をしてみようと思っていたんでしょう」
「…」
シーナは気まずい表情をしながらも頷いた。
トッドはクスクスと笑いだすと、長机から椅子を引き出してトッドが腰掛ける。
「マカさんはきっと、魔法を使わずに料理する方が、本当は得意で、楽に出来ると思いますよ?」
「え?」
シーナは首をかしげる。
「魔法で料理を行うのは、シーナが思ってるより楽じゃない。
たくさんの応用魔法を立て続けに手際よく行うのはとても体力を使うし。
何も魔法を使わずに料理するほうが楽に決まってる。だからきっと…」
「きっと?」
シーナは椅子から身を乗り出す。
「きっと、その菓子職人の片腕になる為に日頃から魔法の練習を積んでいたのでしょう。
菓子職人は魔法で微妙な味の変化や焼き加減を調節しているらしいですし、
その繊細な魔力のコントロールを得るために、あえて、いつも魔法で料理をしていたんだと思いますよ?」
「そうだったのかな…」
「僕も間違いないとは言いきれません。でもきっと…
とても美味しいでしょうね。マカさんが一生懸命練習して作った料理。」
「うん。とっても美味しいんだぁ、マカの料理」
「きっとシーナの料理だって美味しいですよ。魔法を使わなくたって、一生懸命作ってくれたんですから。」
ふとトッドの顔に陰りが見えた。
どこか寂しげな表情にシーナは気付いた。
「トッド?」
「…いや、職人も、その片腕も…みんなそうした純粋な思いで何かを生み出してるんです。
でも…なかなか純粋な思いのまま生み出し続けるには、今はあまりにも苦しくなったんだなぁって。」
「…何の話ですか?」
「ん?あぁ、今のは独り言です。大したことじゃありませんから。それより、僕お腹空いてしまいました!料理、まだ途中ですか?」
トッドはおどけながら、自分のお腹をさすってみせた。
「まだ…なんです」
「じゃあ、僕も手伝います。ちょうど区切りもつきましたし。」
シーナはデスクを覗き込んだ。
「わぁ、歯車がいっぱい」
トッドのデスクには、様々な大きさの木の歯車が置かれていた。
「うん、農家の耕具の部品なんだ。随分老朽化してたから。とりあえず応急措置」
「歯車の色がちぐはぐ…あ、新しい木片をくっ付けたんですね!」
「正解、老朽化のひどい部分を削って新しい木をくっ付けて
元に戻してたんです。ちょっとパズルみたいで楽しくて」
トッドは幼い子どものように笑った。
「ほんと、すごく楽しそう」
「ほら、早く家に戻りましょう。」
トッドがシーナを横切ろうとしたその時だった。
「あの!」
シーナがトッドの服の裾を引っ張った。
「まさか…その格好のままお手伝いしてくれるわけじゃ…ないですよね?」
「?」
トッドは不思議そうに首を傾けた。
「そんな土埃のたくさん付いた服や手でお料理したら具合悪くなっちゃいますよ!
手を洗って……いや、もうお風呂入って着替えてください!」
「あ…」
「井戸は!?」
「いっ…井戸は家の裏…」
「釜戸は!?」
「それも、裏のすぐ、井戸の前…です」
すごい剣幕でたたみかけるように問うシーナに身じろぎながらも、反射的にトッドは返事をしていた。
「今すぐにお風呂用意しますから!料理はシーナが頑張ります!ほら早く」
「ちょっ…ちょっと」
シーナはトッドの背中を強引に押しながら工房を後にした。
大急ぎで風呂の準備を終え、トッドに入浴を促し。
2人が食卓についた時には、すっかり日が落ちてからだった。
「いやぁ、お風呂の準備してもらえるのなんて子どもの頃以来でした。気持ち良かった」
「あんなに汚れたままでご飯食べてちゃ病気になっちゃいますよ!」
「一応手は…洗ってるんですよ?」
「当たり前です!」
トッドは肩をすくめる。
「それより…味、どうですか?」
「すっごく美味しいです。」
「見た目は……」
「えぇ、なかなか斬新で。」
「それ逆に傷つきます!」
「はは、初めてなら誰だって上手く出来ませんよ。十分です」
「そうですか?」
「はい。僕、誰かに指を怪我してまで料理を作ってもらうなんて初めてで。だから嬉しいです。」
他愛のない会話を交わしながら、2人は食事を終えた。
そのまま食卓でゆったりと夜を過ごしていた。
「ねぇ、トッド?」
「なんですか?」
「トッドは、魔法士職人が嫌い?」
「え、どうして?」
「だって。魔法の話をする時、なんだか悲しそうにするんだもの」
トッドは苦笑した。
「魔法が嫌いなわけじゃありません。ただ、僕は幸せに生きている職人をあまり知らないんです」
「?」
「僕、小さな頃から大好きな画家がいたんです。その人の描く絵はね、生きているんです」
「へぇ!」
トッドは少し遠くの方を見つめながら話していた。
「初めて見た、僕の大好きな画家の絵は、一本の大木が描かれただけのシンプルなものでした。」
「大木、ですか」
「その絵は、僕の故郷の公園に飾ってある絵で、季節や天気に合われて大木が変化する、とても素敵な絵でした。」
「わぁ、絵の中で木が生きてるんですね」
「そう、幼い私は毎日その絵を見るのが大好きだったんです、でも・・・」
「でも?」
「その時、その画家の住んでいる国じゃ・・魔法はもう、国家に規制されていました。
絵画や彫刻は職人の自己満足と罵り、価値が出なくなっていたんです。」
「・・・」
トッドは酷く悲しそうだった。
「魔法士職人は、人の倍の寿命が与えられて、魔法を使えばそれが削られるというのは
学園で習いましたよね?」
「はい。」
「それで人間と同様の寿命に合うように均整がとられているんです。
ですが、魔法を異常な早さで膨大な量を使えばそれだけ大量に寿命は削り取られてしまう。
僕の好きな画家の作品は日に日に激しく、焦りや怒りに満ちた作風になっていきました。
かつてはあんな穏やかな絵ばかり描いていたのに。
周りに認められない焦りから、もう心は壊れてしまっていて。
狂気に満ちたまま魔法で絵を描き、30という若さで壮絶な死を遂げました。」
「悲しい・・話ですね」
「職人は時代に翻弄されるものです。時には命を奪われるほどに追い詰められる。
でも、その才能を持って生まれた職人は、その道を完全に外れることが出来ない。
手足が無くても、何も生み出せなくなっても・・何か別の形ででもその道にいないと生きられないんです。
まるで灼熱の炎のようなランプに近づく夜光虫のように。
僕はそんな運命に自分がさらされていることが時々恐くてたまらない。」
「トッド・・・?あなたもしかして」
「・・僕は、シーナ。僕は」
その時、ドアから大きなノックの音が響いた。
「トッド、頼む。助けてくれ」
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