彼がいうセツナが私のことなのだとわかっていたけれど、分からないふりを続けることにした。私はこうして自分の腐った記憶に蓋をする。どんだけ腐臭がしたって鼻を塞いで気付かないふりをする。そうしていくたびにそれらはクズになっていく。

私の頭の中はボロボロの紙切ればかりだ。


「事務?ああ、そっか」

「セツナ、」


彼の呼ぶ名前に私は頷かない。
だって私は、それを知らないから。


「ひとりだったの?ずっと」


一気に縮まった距離に驚く。
慌てて距離を取ろうと繋がれた手ごと引っ込めるけれど、彼はそれを許してくれなかった。


「セツナ、なんで、そんな顔、」

くしゃりと歪む彼の顔が、ぼやけて見えた。

「ごめん、セツナ」


ぽろりと流れた誰かの涙が私の頬を伝って、溶けていく。
ほんの少し、温い涙だった。


「よく頑張ったね」

それは何に向けて言った言葉なのかわからない。けれど、私が誰にも頼らずに頼ることも出来ずに、一人で歩んだ道を彼は見たのかもしれないとなんとなく思った。

私が見えない道を彼は想像して見たのかもしれないと。