武とあんな別れ方をした直後、当たり前だけど私はずーっと不機嫌だった。
付き合うって言ったくせに最初は直と会うのも面倒で、何度か気づかないフリで連絡を無視したこともあった。
どうせ身体目的なんでしょって投げやりな気持ちで会った私に対して、直は気にした素振りもなく、おいしく食べ、楽しく話し、私をマンションまで送っても指一本触れることなくエントランスで帰って行った。
拍子抜けしてしまった。
こう言ったらアレなんだけど、当然男女の関係になるものだと思っていた。
自分で付き合うと承諾した手前甘んじて受け入れるつもりで、一応きれいで清潔な下着を選び、心の準備も可能な範囲でしておいたのに、手も握らない。
“彼氏”とは言え、好きでもない人と積極的に関係を持つ気はさらさらないので、ありがたくその省エネ関係を維持している。
「じゃあ、また」
アパートのエントランスで、直はいつもあっさりと別れの言葉を告げる。
切れていた蛍光灯はようやく取り替えられ、一本だけ妙に白く明るい光を放っていた。
その下で、何か言いたげな深い色の瞳を揺らすのも常のこと。
視線の残滓は霧雨のように肌にまとわりついて、的確じゃないけど一番近い言葉を選ぶなら「居心地が悪い」。
「はい。おやすみなさい」
それがわかったところで何もできないから、気づかないフリでエレベーターに向かう。
そんな私を見えなくなるまで見送って、直はひとりで帰っていく。
「あ、仕事のことまた聞き忘れちゃった」
仕事どころか、直の話題はほとんどしていない。
今日は何をしていたのか、どのあたりに住んでいるのか、誕生日はいつなのか、何も知らない。
何も知らないことに、今気づいた。
聞けば何でも答えてくれるのだから、単純に私が話し過ぎていただけなのだろう。
「ま、いっか。また今度で」
直と一緒にいるのは楽だし好きだ。
だけど恋人かと言われると、途端に曖昧になる。
三十分ほどの帰り道、一緒にいるのに手を繋いだことさえない。
一番最初に握手をした以外は一切と言っていいほど接触がなかった。
それなりに有坂行直という人を知ったからわかる。
あれはただの偶然ではなく、恐らく意図的に距離を持っているのだ。
仕事より何より、そのことが気になる。
そして、ほんの少しだけ寂しい。