競争相手がいないからといって、決して仕事の手は抜いていない。父は、魚を見る目と捌く腕だけは確かだ。
それに、母の作る煮しめは評判の逸品で、味よし、香りよし、見た目も抜群なのだ。
森林組合用の特製幕の内弁当(予算が余っているのか年度末は特に豪華だ)の中でも母の煮しめは一際光り輝いている。
そこに、父の捌いたお刺身と、私が揚げた天ぷら、厚焼き卵とお浸し、ご飯と漬け物を詰める。完成したお弁当を届けるため、一足早く父が仕入れ用のバンで店を出ていく。
それを見送ることもなく、母と二人で宅配弁当の仕上げにかかる。
鰆の西京焼きと、副菜のひじき煮は健康のことを考えて塩分控えめ。宅配先のほとんどが、町内のお年寄りのためだ。
一人暮らしや高齢で、ちゃんとした食事を用意するのは大変だ。そんな悩みを聞いて母が十年ほど前に近所のお年寄りのために作りはじめたものが、瞬く間に評判が広がり注文が殺到した(田舎の噂のスピードについては前述の通り)。
今では町が配食サービス代わりにと、補助金を出すまでになった。隣の市の大手のお弁当業者に頼む人もいるけど、うちのお弁当を頼んでくれる人も多い。
というわけで、高校生の頃から俄に忙しくなってきた宅配弁当の仕事を手伝ううちに、いつの間にか私の進路は家業手伝いになっていた。
高校卒業後、都会に就職や進学する友人がほとんどの中、私だけがこの町に残ることに決めたのだ。
いや、正確に言えば“決めた”のではない。ただ何となく進んだだけ。
だから、25歳の今。
少しだけ後悔している。
キラキラとした世界を見ることなく、一度も外に出たことのない自分に。
どうしようもなく焦りを感じることがあるのだ。