ヒミツの夜、蛍の光の中で



◇◆◇



「蛍って、好きな人とかいないわけ?」


そう言って俺に話しかけてくるのは、中岩陸(なかいわりく)。


小柄な体つきにパッチリした目……と、可愛いって言葉が似合う男子。



そのくせ、口だけは毒舌。


見た目だけでは可愛いキャラなのに、毒舌だから悪ガキとしか見られないタイプの奴だ。



陸とは中学校からの友達で、高校でも同じクラスになった。


そして、部活も同じ。……というか、陸が勝手に俺と同じ部活を選んだだけなんだけれど。


……陸の奴、バスケなんてできないくせに無理しちゃってさ。


それも俺のためだってわかっているから、文句は言えないけれど。



「ま、いてもモテねーもんな、蛍」


「……うるせーよ。陸には言われたくねーし」


陸は惚れやすく、行動するのも早い。


だから好きになったらすぐに告白するが、それでOKをもらったことは1度もないと言う。



……俺だって、告られたことくらいはあるし。別に顔や性格がいいってわけじゃないけれど。


どちらも平均的。どうせどこにでもいるような奴ですよ、俺は。

「そろそろ彼女でもつくれば?せっかくの青春なんだし」


そろそろ、って……。陸だってできたことないくせに。



でも、俺は陸よりも劣っているかもしれない。


なぜなら、未だに初恋なんてしたこともないから。


みんな初恋なんて気づいたらしている、とか言うけれど、俺は恋なんてしないうちに15年経っていた。



だから高校では楽しもうって、そう思っていたんだけどな。


最初から失敗しそうだ。




「彼女ねぇ……」


そう呟いて、ふと知陽先輩の彼女さんの話を思い出す。



氷川怜蘭さん。噂によると2年生らしい。


先輩達がその話をしているのをよく聞く。



2年の彼女さんと3年の知陽先輩がどうやって知り合ったのかはわからないけれど、いつからお互い気になっていたのかな、なんて。


……そんなの、どうでもいいじゃん。


他人の恋なんて気にする必要ない。

そもそも、わかるのは顔と学年だけ。


そんなに多い選択肢の中からどうやって見つけ出すっていうんだ?


そんなの到底無理な話。だから、余計な詮索はやめよう。



知陽先輩と怜斗先輩の関係には、触れちゃいけないんだ。


俺が首を突っ込むことじゃないんだから。



俺はただ、目の前のことを一生懸命頑張っていればいいんだ。


だから……過去を振り返る必要も、未来を考える必要もない。


世の中には、知らなくていいことばかりが転がり落ちているのだから。


それを全部拾っていたらキリがないもんな。



なぁ、そうだろ─────?


と、どこにいるかもわからない、名前も知らない誰かに問いかけた。



お前は誰なんだ?俺の何をわかっていて、心の中に入り込もうとしているんだよ。


誰にも、誰かの過去を追求する権利なんてないのに。


人はなぜ知りたがるんだろう。



「蛍?」


「……っなんでも、ない」


俺の周りには、春とは思えない不穏な空気が流れていた。





「これから、委員決めをします」


そんな先生の言葉とともに、教室からは批判の声が飛び交う。「めんどくさい」とか「嫌だ」とか。



委員会って何をするんだろうか?


中学のときは図書委員だった。


部活にも入っていなかった俺は、本を読むことが好きで自分から手を挙げたんだ。



でも、高校では部活に入った。


なかなか時間もとれないし、手を挙げない方がいいな。


そう思って、手を挙げなかった。


でも、周りの人も誰も手を挙げていない。



この場合は適当にくじ引きで決めるそうだ。


もしも本を大切に扱わない奴が図書委員になんてなったら……。


そう考えたときには、もう手を挙げていた。




「……図書委員、やります」


気づいたときには拍手とともに、俺の名前が黒板に書かれていた。


……また、やっちまった。


こうして俺は、全ての始まりである図書室に足を運ぶことになった。


◇◆◇



そして、委員の顔合わせの日がやってきた。


周りは知らない人ばかり。


当然のことながら上の学年の人もいて、少し緊張する。



そんな中での自己紹介。


少し噛んだが、まあまあ印象に残る挨拶ができたと思う。



『宮岸蛍です。よろしくお……っこの本は!○○年発売のあの有名な伝説の本!』


というように、自己紹介のはずが本の紹介をしてしまい、赤っ恥をかいた。


でも、そのおかげでこの図書室にはお宝がたくさん眠っていることがわかった。なんだか、楽しみだ。



いつもは静かな方だと言われるが、本が絡むと口数が多くなるのが俺の特徴。


それほど本は好きだ。



そんな調子で周りの本を眺めているうちに、顔合わせはあっという間に終わった。


自己紹介と図書室の構造、本の配置場所、担当の曜日を決めたが、あまり聞かずに本を探していたことしか記憶にない。

でも、確か同じ曜日の担当の人は……瞳が大きいのが特徴の、女子の2年生の先輩だった気がする。


肌は透き通るように白く、笑顔がおしとやかで……つまり、けっこう俺のタイプだった、らしい。


まぁ、ただ委員会が同じだけだから、特に個人的な話をすることもなく終わるんだろう。




と思っていると。


「バスケ部の子、だよね?」


透明で綺麗な声が後ろから聞こえる。



この声はさっきの、担当が同じ人だ。


振り返り、「はい」と短く答えると、そこには彼女の笑顔があった。



「改めて……2年の氷川怜蘭です。よろしくね」


その名前を聞いて、驚いた。


この人─────知陽先輩の彼女さんだ。



まさか、こんなところで知り合えるなんて思ってもみなかった。


とりあえず挨拶はしておこうと思い、体ごと彼女の方へ向ける。



「宮岸蛍です。バスケ部の」


それだけ付け足して言うと、彼女は小さく笑った。

近くで見ると、さっきよりも綺麗な人だと思った。


動く度に上品な香りが舞う。



少しの沈黙が流れる中、口を開いたのは意外にも俺だった。


なぜか、この人になら話しかけても大丈夫だと思った。



「……知陽先輩の、彼女さんですよね」


そう尋ねると、彼女は少し顔を赤らめて「そうだよ」と言った。


そっか。やっぱりこの人が─────。



「知陽くんから聞いていたよ。蛍くんのこと」


俺のことを、知陽先輩から……?


顔もわからない彼女に、どんな話をしたと言うんだろう。



「真面目で熱意のある、まさに待ち望んでいた子だって」


そんな風に思ってくれていたなんて、知らなかった。


知陽先輩が正面から向き合おうとしてくれるから、俺もそれに応えているだけなのに。


結局、それは先輩のおかげ。

「そんな子と一緒に委員会できるなんて嬉しいな」


彼女─────氷川先輩は、そう言いながら微笑む。


やっぱり、どんな表情でも絵になるような人だ。



綺麗、可愛い、美しい。


どの言葉も似合うと思うけれど、1番は “ 透明 ” だな。


彼女が笑うと、周りの空気までもが穏やかになったような気がして、なんだか気持ちも安らぐ。


そんな、一緒にいたいと思えるような人だ。



「……氷川先輩も、本が好きなんですね」


いつもならあまり続かないはずの会話。


それでも今は、氷川先輩ともっと話していたいと思った。


いや、もっと氷川先輩のことを “ 知りたい ” と思ってしまった。



「うん。本を読んでいるときって、他のことは考えないで夢中になれるでしょ?」


他のことは、考えないで……?



なぜだろう、嫌な予感がする。


胸がザワザワと騒いで落ち着かない。



だって、この顔は─────以前の怜斗先輩の寂しそうな表情に似ているから。


一体なんなんだろう。みんなが抱えているものは。

「だから、よくここに来るの。ひとりになりたいときにね」


────ひとりになりたいとき、って。



やっぱり、氷川先輩も何かがある。


知陽先輩や怜斗先輩のように、きっと何か。



もしかしたら、ひとりでいるのが好きなだけかもしれない。


人とあまり関わりたくないだけかもしれない。


でも、あの表情は違う。何か不安や悲しみがあるから、あんな表情を見せたんだ。




すると、俺が無言でいるのに気づいたのか。


「あっ、ごめんね。なんでもないの」


気にしないで、と付け足して氷川先輩は笑う。


その顔もまた、寂しそうに。



なんでもないわけがない。今にも泣きそうな顔をしているのに。


でもきっと、触れてほしくないことなんだろう。



それなら、俺が知る必要なんてないんじゃないのか?


だって、何も知らない。何もわからない。


かける言葉さえも思いつかない。



────俺には、何もできない。