私の好みを知り尽くしたみたいなカフェ。
奥に小さな庭があるのが素敵だと言った日から、私とあの人の待ち合わせの場所は、この店になっていた。


かつん…。
ブーツのヒールが床に微かに響くと、その人は読んでいた本から目を離し、私の方に向かって微笑んでくれる。

「先輩、こんにちは」


その穏やかな声を耳にすると、癒やされると同時に後悔に苛まれてしまう。


「うん。ごめんね？遅くなっちゃって…」

「いや、大丈夫です。それより先輩、風引いちゃいますよ、はいこれ…」


カタンと椅子を引いて真向かいに座ると、すっとタオル地の大きめなハンカチを差し出された。
ソレを「ありがとう」と微笑み返しながら受け取って、濡れた髪を遠慮無く拭かせてもらう。


今、目の前にいるのは、私と同じ専攻の1年でサークルも同じの海野佳人（うみのよしと）くん。
黒髪のサラサラ感と、清潔感のある白シャツが似合う所と、更に縁のない眼鏡が、なんとも『優等生』という雰囲気を醸し出していて、とても彼らしい。


そういう所が…。
いいな、と密かに思ってた。
後輩として。


『好き』という言葉の重みとは自覚がない程、強くなる。
だから、今、私の前にいるこの人は、物凄く誠実で眩しいくらいだった。




ザァー…。


雨は強くなる。
全ての音をかき消すかのように。


「先輩は、春が好きですか？」

突然流れ込んでくる声。
とても優しくて、変わらずおだやかな声。

「…え？」


急な問い掛けに、私は思わず聞き返してしまう。


「俺は春が好きです。先輩みたいで…」


彼はそれに対して、気を悪くした素振りもせずに笑ってくれた。


「そっか…えと、私も…好き、だよ？…春」


不意に視線を逸らして、私は溜息を吐くように小さく答えた。
『好き』だなんて、いきなり過ぎて胸が痛い。
ずっと敏感になっている、その言葉。
でも、彼が今言ったのは私のことじゃなくて、春のこと。
そう思うとなんとなく、居心地が悪かった。
いたたまれないような瞳をした私に、彼はにこにこと笑顔を注いでくれる。


真っ直ぐで、とても真摯的な人。
……甲斐くんとは、全く『正反対』な人。


私が好きになった人には、もう既に誰かのもので。
私はその苦しくて切ない現実から逃れる為に、以前から好意を寄せてくれていたという彼と、付き合うことにした。

『甲斐くんとはまるで正反対』の彼と。