『夏希のために言ってるのよ。人として当たり前のことくらい、ちゃんとしなさい』

 呼び方が変わり、わたしのためというのが口癖になった。

 まるで笑顔を封印したように無表情で、とても厳しくなった。それこそ鬼ババだ。

 中学生になったのだから、と言われてもそれじゃあわたしは納得出来なかったし、そんな母さんが嫌だった。

 出来るだけ関わりたくないし話したくもなかった。

 いかに母さんを遠ざけるか、そう考えることもしょっちゅうあった。

 自分のことは自分でやりなさい、とわたしにしつこく言い出すからだ。

 
 校外学習の日のお弁当の卵焼きはかなり雑で、いつも綺麗な形をした卵焼きじゃないことにわたしは不満だった。

 だから、当て付けのように残した。

 『出されたものはきちんと食べなさい。じゃなきゃ、次からは自分でお弁当を作りなさい』

 わたしは聞こえないふりをした。

 もう、たくさんだった。
 

 入院するようになったときお父さんは泣いていたけれど、わたしは清々していたし、しばらく帰ってこなくていいと思った。
 
 肩の荷が降りた。そんな、気持ち。

 小言を言われるのも、あなたのために言ってるのよ、と押し付けられるのも、毎回同じ台詞を聞くのもうんざりだったから。


 癌だと知ったのは母さんが亡くなる一ヶ月前だ。


 奏多と何度かお見舞いに行ったけれど、

 『ここに来ている時間があるなら、父さんの手伝いをしなさいよ。言われる前に、自分から行動して』

 冷たい言葉が返ってくるばかりだった。 


 このひとは、ホントにわたしの母親なんだろうか。