愛され系男子のあざとい誘惑

「それ、あげるわ。私、着ないし。タンスの肥やしになってたから」

「な、何言ってるの。ダメだよ、こんな高い服」

「あっ、こら動くな」

ワンピースですっかり満足していた私に「それで終わりじゃないから」と大きなコスメボックスを出してメイクとヘアアレンジもし始めた京香。

私はただ鏡の前に座って彼女の言うようにジッと目を瞑るだけ。でも「あげる」なんて言われても困る。


前の職場で働いていたときはこのワンピースのブランドを着てる後輩がいた。自慢してたことを覚えてる。

『このスカートめちゃくちゃ安くて一着10000円だったんですぅ』


そう言ってた後輩の顔を思い出して嫌な気分になった。


「ちょっと、優美。顔がブサイクになってるわよ。メイクしにくいでしょ」


「・・・私ね、前の職場人間関係のトラブルで辞めたんだけど、ある後輩にね、なんか目つけられてハブられたんだ。それでね職場にも居づらくなってやめたんだ」


「ちょっと、なんで今そんなマイナスな話をするのよ。もしかしてその後輩がその服を着てたの?」


「この服じゃないけどね」


「あのね、服に罪はないのよ。その女があんたをいじめた女でもその女が気に入って買った服なんだからね!でもそのブランドを見るとマイナスイメージだって言うなら今からプラスに変えてきなさいよ。嫌われるの嫌よ、誰だって
今までモヤがかかっていたものがスーッと取れた気がした。京香の言葉で。そっか。服に罪はないか。今までどちらかと言うと好きだったフェミニン系の洋服。


パステルカラーの色合いも生地もふわふわとした感じも。前の職場でもそんな服装をよくしていたけれど、後輩のイメージがこびりついてわざと着ないようにしていた。


ここに来るのもジーンズやTシャツといったカジュアルなものは避けてきていたけれど、封印したフェミニン系のふわふわの服は着なかった。


いつも地味で色味もないようないたって平凡なトップスとパンツ。


「・・・ねぇ、京香。今度、一緒に洋服選んでくれる?」


鏡越しに私がそう言うと「もちろんでしょ」と京香は笑顔を浮かべた。よかった、私。あの辛かった職場を辞めて。こんなにも素敵な友達に出会うことが出来たから。


彼女は、瞬く間に私をシンデレラのようにに仕上げてくれた。短くて黒髮だった私の髪の毛はヘアウィッグを使ってキャラメルブラウンのゆるふわパーマに変身した。


「うん、可愛い。てか変わりすぎて彼が気づかなさそうだわ。まあそれもありか」

「 すごいね。髪型が違うと別人。これならショートもロングも楽しめていいね」
つけまつげにアイシャドウ。決してケバくならないように私に合った色合いで作り上げてくれた京香。これなら少しは自信が持てる。京香に感謝しながら鏡を見つめていた。


「えっ?!なんで下?」

バッグや靴も合うものを用意してくれて、きわめつけはゴールドの透かしフリルがついたパールのイヤリング。


耳に違和感は感じたけれどさりげなく髪を耳にかけると揺れるのが可愛かった。


エレベーターの前に着くと、京香は上ボタンを押した後、隣に並んだもう一台のエレベーターの下のボタンを押した。不思議に思っていると、あっさり「私は行かないから」と言い放った。

「無理、無理だよ。いくらこんなに綺麗にしてもらえたとはいえ、一人であんなところに行くなんて無理!」


「シンデレラの魔法使いだって、舞踏会には一緒に行かないでしょ?私はここまで。その代わり明後日にはいろいろ聞くから頑張ってくるのよ」


「そんな、無理だって」


「無理じゃない。やるの。自分から動かなきゃ気づいたときには手遅れだってこともあるの。やってから後悔しなさい!」


22階に上行きのエレベーターが到着して、無理だと拒む私を京香はそのエレベーターに押し込んだ。


「頑張るのよ」と背中を押され、不安しか残らないけれどこんなに可愛くしてもらった京香に感謝しつつ覚悟を決めて閉まるエレベーターから京香に手を振った。
エレベーターが54階に到着した。ゆっくりとエレベーターを降りる。少し足を進めると目に入ってきたのはMoon Mirrorの文字。

お店の前までやってきた。バーだと聞いていたから隠れ家のようなお店を想像していたけれど、先を見ても少し薄暗い廊下が続いてるだけでワンフロア全てがお店みたいだった。

こんなに高級感の漂うお店に一人で入る勇気なんて持ち合わせていない。やっぱり帰ろうと諦めようとしたところ「いらっしゃいませ」と声を掛けられてしまった。


「お一人様ですか?」


そう聞かれ、俯いていた顔をすっと上げるとそこに立っていたのはあの日、藤沢さん、いや藤澤社長の後ろにいた女性だった。どうしよう。こんなところまで会いにきたのかと怒鳴りつけられるだろうか。


「カウンター席でよろしいですか?テーブル席も空いているんですが、今日は特別なバーテンダーがいますのでカウンターがオススメですが、いかがなさいますか?」


「・・・カ、カウンター席でお願いします」


なんであんなことを言ってしまったのだろう。つい、女性にどちらにしますか?と聞かれ答えてしまったものの「かしこまりました」と店内に案内されてしまい、もう後戻りはできない。
「こちらへどうぞ」


案内されたカウンター席は全面ガラス張りになっていてキラキラと輝く夜景が見渡せる特等席。

バーカウンターにはたくさんのお酒が並んでいて、普通のバーですら行ったことのない私は借りてきた猫のようにおとなしく座っていることしかできなかった。


「しばらくお待ちください」とここまで案内してくれた女性が離れてしまい、ますますどうしていいのかわからない。


私の他にも何名かカウンター席に座っているけれど、みんな常連客のようでバーテンダーさんたちと親しそうに会話をしていた。


「大変、お待たせいたしました」


ポツンと一人場違いな場所にいて、居ても立っても居られない気分になった私は席を立とうと決めた。でも、そんなときだった。聞き慣れた声が私の耳に届いたのは。


「あれ?もしかして優美ちゃん?」



バーカウンター越しに私の目の前に立っているのは紛れもなく、藤澤社長。白い長袖シャツを着て、その上から黒いベスト。


更にはキュッと黒のネクタイをしていて、髪もワックスで固めてあった。
「びっくりした。すごい可愛いよ、優美ちゃん」

目の前の藤澤社長に見惚れて、何も言えないでいた。聞きたいことが山ほどある。どうしてここにいるんですか?バーテンダーをしているんですか?あの女性は誰ですか?


でもそれを聞けないくらい、彼が来た瞬間ザワザワと騒つく人たち。さっきまでの和やかな空気が一瞬にして変わった。やっぱり彼はすごい人なんだ。そう改めて思った。


「せっかくだし、何か作ろうか?お酒は強いほう?」


「あ、あの・・・藤澤しゃ・・・」


「社長」と言い掛けるとそっと唇に人差し指を当てられた。そして、バーカウンターから少し身を乗り出し、私の耳元で囁いた。


「社長は禁止。今はヒロって呼んで」


そっと離れた彼は私にニコッと微笑んで「わかった?」と優しく言うので、心臓が今にも飛び出しそうなくらいドキドキとしていて何も考えられない私はただ、コクコクと頷いた。


あんな言い方ずるい。あんなことをするなんてずるい。彼の人差し指が私の唇に触れた。ニコニコと笑いながら、私のお酒を考えてくれている藤澤社長の人差し指ばかり見ている私。


なんだかとても悪いことをしてるような気分にさせられた。
藤澤社長は慣れた手つきで何種類かのお酒を手に取り、シェーカーに入れるとカシャカシャと振った。ドラマでは見たことあるけれど実際に見るのは初めて。


やっぱりこんなに素敵なオーラのある人がシェーカーを振っているとサマになる。お客さんの視線もみんな藤澤社長に釘付け。


「はい、優美ちゃん。可愛い優美ちゃんにぴったりのカクテル、『ピンクレディ』」


そう言って差し出されたグラスの中には、可愛らしいピンク色で上の部分が白くなっている二層式のカクテルだった。


カクテルなんていつぶりだろう。前の職場の飲み会以来かもしれない。でも、こんなに本格的なカクテルは初めて。


「アルコールは入ってるけれど、甘めで飲みやすいと思うよ。ちなみにピンクレディの由来はイギリスで上映されてた舞台なんだって。そこの打ち上げで初めて披露されたことからその名がついたらしいよ」


「そうなんですか。い、いただきます」


藤澤社長と目を合わせるたびに入ってくる夜景。バーカウンターにいる社長の後ろにある全面ガラス張りの窓が夜景を映し出すから社長と夜景を一緒に見てはまた惚れ惚れしてしまう。


いつまでもただジッと見ていたいけれど、せっかく作ってくれたカクテルを飲まないわけにはいかない。私はグラスを手に取り、そっと口をつけた。
「甘い。それにとても飲みやすいですね。お酒というよりはジュースみたいです」


「うん。卵白が入っていて、それがお酒らしさを消しているからお酒があまり得意じゃなくても飲みやすいんだ」


「へえ。カクテルに卵白なんて入ってるんですね」


「似たようなもので卵白を入れるクローバークラブっていうのもあるんだ。クローバークラブはレモンジュースやライムジュースを使う。これもまた飲みやすくてオススメなんだけど、飲んじゃう?」


ああ、そんなにお酒が強いわけじゃない。むしろ空きっ腹にカクテルなんて酔いがすぐに回ってくるに決まってる。わかってる。


だけど、ちらっと私を見て軽く微笑んで、「飲んじゃう?」なんて子犬のように可愛く聞かれたら確実に「飲みます」と答えるに決まってる。だって、私、この人が好きなんだから。


藤澤社長のペースで出されるカクテル。まるでそれは社長のような感じがした。見た目はとても綺麗で甘くて、口にするとクセになる。



やめられなくてもっと、もっとと欲しがるけれど・・・ハマると危ない。
「あれ?優美ちゃん。少し目がトローンとしてきたけれど大丈夫?」


「・・・はい。大丈夫です」


嘘、全然大丈夫じゃない。懸念していた通り、空きっ腹にカクテルはやばかった。今は何杯飲んだのかすらもわからない。とりあえずピンクレディとクローバークラブを飲んだのは覚えてる。

そのあとはまた彼の「飲んじゃう?」という小悪魔なささやきに「はい」と頷いた。次に出てきたのはコーヒー牛乳のような見た目で甘いカクテル。


それも美味しい、美味しいと言いながら飲んだ。軽く出されたカプレーゼなんかも食べながら飲んだけれど、もう酔いが回ってきていた。


「そんな姿、誰にも見せたくないな。もうそろそろやめておく?」


「まりゃまりゃ、のめますー」


「いいの?俺、今はバーテンダーだから手加減しないよ。もしかしたらめちゃくちゃ優美ちゃんを酔わせて、あわよくば連れて帰っちゃうかもしれないよ。それでもいい?」


「・・・そのいいかた、ずるいです。いいとしか言えない」


「じゃあ、最後の一杯。ビトウィーンザ、シーツ。意味はね・・・」



パッと目を開くと私は大きなベッドの上だった。ここはどこだろう?頭が痛い。


ゆっくりと体を起こすと赤茶色の可愛い二人がけのテーブルと椅子が見える。そのテーブルに一枚の紙が置いてあることに気づいた。


ベッドから降りて、その紙を手にする。読んだ瞬間、顔が真っ赤になった。昨日の夜の出来事が鮮明に蘇ったから。



『昨日はとても可愛かったよ、優美ちゃん』