決心のつかないまま、月日はどんどん過ぎて行った。
夏休みも終わりに近づき、遊びに行く海には、子供たちの姿が少なくなっていた。
夏も終わろうと暦の上ではしているのに、外の暑さは、夏真っ盛りと言う感じだった。
毎年、このくらいになると、やっと暑さに身体がなれてくる。そんなときに夏が終わりを告げる。
橘君は私に感情を出すように仕向けているのか、思っていることを伝える術を教えているのか、私をわざと怒らせるようなことをする。
今までの私は、自己完結の人間だった。相談する相手もいず、必要なかった。それが幼いころからの環境がゆえに、そのことが当たり前だったからだ。
だから橘君がわざと仕掛けたケンカを、会えば必ずしていた。けれど、それは後味の悪いものではなく、これでいいんだと、つっかえていた何かが流れていくような感じだった。
そんな私たちだが、お互いがものすごく近くに住んでいるのに、会えない日も多かった。
それは橘君が診察を再開すると、往診や夜間診療を始めたからだ。
人間と同じように夜に具合の悪くなる動物が結構いるらしい。猫は特に環境が変わることに対し、順応できない。だから往診が増えるそうだ。
今の病院は土日の休みは避けるらしく、私と休みがぶつからないのが原因でもある。
そうなってくると、会いたい気持ちから提案された転職をした方がいいのではないかと、気持ちがぐらついてしまう。
想いが通じ合えば会いたさに拍車がかかる。一時も離れていたくないのは私の方かもしれない。
そんなやましい気持ちで転職などしてはいけない。もっと落ち着いて考えて。自分に一生懸命に言い聞かせる。そう思うと、返事をできないでいた。
橘君はそんな私に急かすようなことはせず、じっと待ってくれていた。
この日は夏の終わりを告げる花火大会がある。
橘君は夜の診療を休んで、一緒に行こうと誘ってくれた。
「診察は?」
「親父」
「いいのかな? 大丈夫?」
「たまにはお願いしないとね。家族経営のいいところ」
それでも、橘君の仕事には変わりない。
花火大会にはいきたいけれど、遊びの為にお父さんを仕事にさせるのは申し訳なくおもう。
やっぱり行くのをやめよう、と言い出しそうになると、
「母親が言ったんだ。誘ってあげなさいって」
「お母さん?」
まだ、一度もお目にかかったことはない。
橘君と付き合って、ご挨拶をと思っているけれど、どうしてもそれが出来ない。
当然、橘君は私を分かっている人だけに、それを言ってはこない。
それをいいことに、私は、挨拶もしない無礼なことをしてしまっている。
「それで……」
「それで?」
「会いたいって」
「……」
大事な息子と付き合っている女を見たいのは、母親として当然のことかもしれない。
私の顔は一瞬で強張る。
「まだ、勇気がない?」
橘君の人の好い人が、ひねくれた私と付き合っている現実が私の心に突き刺さる。
世間で言ったら、医者は上位の職業に入る。そして、私は、自分も、育った環境も最低最悪な下位の人間だ。
私の身体にしみ込んだどす黒い血は、似つかわしくない。
「あの……」
「まだ、早い。もう少し後でいいよ。ゆっくりと進もう」
そういって、橘君はそっと抱きしめてくれた。
このまま、この人の腕を独り占めしていていいのだろうか。
もっと、育った環境が似た人がいいのではないか。
ずっと気になっていたことが、表面に出てしまった。
「黒川は決して自分を卑下しちゃいけない。俺の憧れの人なんだから」
「そんなこと……」
「頭が良くて、美人で、スタイルが良くて、気が利く。最高じゃないか」
いつもそう言って褒めてくれるけれど、自分が嫌いな私は、納得できない。
「写真を見せたんだ。そしたら母さんがとても美人だって。喜んでた」
「私はどこにでもいる顔をしているわ」
「いや、美人だ。高校の時も、隠れ美人だった。内緒の美人コンテストは断トツの一位だったぞ」
「なに?それ」
「男子が勝手に学年のランキングをした」
「ひどい」
「黒川は、断トツの一位だった」
「本当にひどい」
「俺はクイーンを彼女にした、キングだ」
「まったく、男子は子供ね」
「……自信をもって……君なら大丈夫。俺が選んだ人だから」
「橘君」
橘君は、私を操る操縦士の様だ。
上げたり下げたりと自由自在に操る。それも悪くないと最近になって思うようになった。
迷っていることが聞けるという環境は、私には初めてのことだ。これが相談というものなのだろう。
それでも、彼からの提案は相談出来ないことだ。
自分で納得するまで悩まなければならない。
それは、私にとって幸せな悩みだということは、知っている。
だから、楽しみながら悩むことにした。
夏休みも終わりに近づき、遊びに行く海には、子供たちの姿が少なくなっていた。
夏も終わろうと暦の上ではしているのに、外の暑さは、夏真っ盛りと言う感じだった。
毎年、このくらいになると、やっと暑さに身体がなれてくる。そんなときに夏が終わりを告げる。
橘君は私に感情を出すように仕向けているのか、思っていることを伝える術を教えているのか、私をわざと怒らせるようなことをする。
今までの私は、自己完結の人間だった。相談する相手もいず、必要なかった。それが幼いころからの環境がゆえに、そのことが当たり前だったからだ。
だから橘君がわざと仕掛けたケンカを、会えば必ずしていた。けれど、それは後味の悪いものではなく、これでいいんだと、つっかえていた何かが流れていくような感じだった。
そんな私たちだが、お互いがものすごく近くに住んでいるのに、会えない日も多かった。
それは橘君が診察を再開すると、往診や夜間診療を始めたからだ。
人間と同じように夜に具合の悪くなる動物が結構いるらしい。猫は特に環境が変わることに対し、順応できない。だから往診が増えるそうだ。
今の病院は土日の休みは避けるらしく、私と休みがぶつからないのが原因でもある。
そうなってくると、会いたい気持ちから提案された転職をした方がいいのではないかと、気持ちがぐらついてしまう。
想いが通じ合えば会いたさに拍車がかかる。一時も離れていたくないのは私の方かもしれない。
そんなやましい気持ちで転職などしてはいけない。もっと落ち着いて考えて。自分に一生懸命に言い聞かせる。そう思うと、返事をできないでいた。
橘君はそんな私に急かすようなことはせず、じっと待ってくれていた。
この日は夏の終わりを告げる花火大会がある。
橘君は夜の診療を休んで、一緒に行こうと誘ってくれた。
「診察は?」
「親父」
「いいのかな? 大丈夫?」
「たまにはお願いしないとね。家族経営のいいところ」
それでも、橘君の仕事には変わりない。
花火大会にはいきたいけれど、遊びの為にお父さんを仕事にさせるのは申し訳なくおもう。
やっぱり行くのをやめよう、と言い出しそうになると、
「母親が言ったんだ。誘ってあげなさいって」
「お母さん?」
まだ、一度もお目にかかったことはない。
橘君と付き合って、ご挨拶をと思っているけれど、どうしてもそれが出来ない。
当然、橘君は私を分かっている人だけに、それを言ってはこない。
それをいいことに、私は、挨拶もしない無礼なことをしてしまっている。
「それで……」
「それで?」
「会いたいって」
「……」
大事な息子と付き合っている女を見たいのは、母親として当然のことかもしれない。
私の顔は一瞬で強張る。
「まだ、勇気がない?」
橘君の人の好い人が、ひねくれた私と付き合っている現実が私の心に突き刺さる。
世間で言ったら、医者は上位の職業に入る。そして、私は、自分も、育った環境も最低最悪な下位の人間だ。
私の身体にしみ込んだどす黒い血は、似つかわしくない。
「あの……」
「まだ、早い。もう少し後でいいよ。ゆっくりと進もう」
そういって、橘君はそっと抱きしめてくれた。
このまま、この人の腕を独り占めしていていいのだろうか。
もっと、育った環境が似た人がいいのではないか。
ずっと気になっていたことが、表面に出てしまった。
「黒川は決して自分を卑下しちゃいけない。俺の憧れの人なんだから」
「そんなこと……」
「頭が良くて、美人で、スタイルが良くて、気が利く。最高じゃないか」
いつもそう言って褒めてくれるけれど、自分が嫌いな私は、納得できない。
「写真を見せたんだ。そしたら母さんがとても美人だって。喜んでた」
「私はどこにでもいる顔をしているわ」
「いや、美人だ。高校の時も、隠れ美人だった。内緒の美人コンテストは断トツの一位だったぞ」
「なに?それ」
「男子が勝手に学年のランキングをした」
「ひどい」
「黒川は、断トツの一位だった」
「本当にひどい」
「俺はクイーンを彼女にした、キングだ」
「まったく、男子は子供ね」
「……自信をもって……君なら大丈夫。俺が選んだ人だから」
「橘君」
橘君は、私を操る操縦士の様だ。
上げたり下げたりと自由自在に操る。それも悪くないと最近になって思うようになった。
迷っていることが聞けるという環境は、私には初めてのことだ。これが相談というものなのだろう。
それでも、彼からの提案は相談出来ないことだ。
自分で納得するまで悩まなければならない。
それは、私にとって幸せな悩みだということは、知っている。
だから、楽しみながら悩むことにした。