メリーさんを知っているだろうか?
別名キューピッドさま、日本ではこっくりさんと呼ばれることもある。
国や地域によってやり方は様々だが最もオーソドックスなのは文字を書いた紙の上にコインなどの小道具を使って占いを行うやり方だ。
その占いは百発百中、しかしメリーさんを行ったものは例外なく呪い殺される。
3ヶ月前、時葉警察署勤務の神保聡介はそのメリーさんと戦った。
都内の小学校で外傷が全く無い児童達が原因不明の昏睡状態になるという事件の調査中に神保は被害者達の共通点として皆意識を無くす直前にメリーさんで遊んでいた事を突き止める。
メリーさんで遊んでいたのは4人。内3人は既に昏睡していた状況で残りの1人から助けを求められた神保は警察には内密に単独で動き始める。
相手は都市伝説。
生き残りの少女を救おうと意気込んでみたものの、神保には人外に対する手段の知識など何も無かった。
そこで頼ったのは高校時代の級友であり現在は時葉町の外れの屋敷で画家をしていた蔵島翡翠であった。
学生時代、彼が占いやオカルトの話に詳しかったのを思い出した神保は駄目元で彼に協力を依頼し以後は2人で行動する事になる。
倉島家屋敷内の地下倉庫から翡翠は先祖が過去にメリーさんと戦った事が記された書物を、神保は倉島家の先祖が使っていたという古びた銀銃を取り出して対メリー戦の準備を進めた。
書物で得た知識をフルに活用した翡翠の策で翻弄され、正確な射撃の腕を持つ神保の銀銃に撃ち抜かれ、とうとうメリーさんは消滅した。
そんな常識離れした体験を経た神保は汗を掻きながら長い石段を昇り、再び倉島家の屋敷の門前に立っていた。
辺りは木々に囲まれ、屋敷の背景には大きな山々が並び立っている。
「くそ、何でこの階段はこんなに長いんだ」
愚痴りながら自分が登ってきた道程を振り返ると蝉がやかましく鳴き続ける時葉町を見下ろせた。
「こんなにも美しく、人々の活気に溢れている町に殺人鬼がいるなんて……」
犯人は被害者を殺害した後、20メートル以上ある建物の壁を飛び越えて走り去ったという唯一の目撃者であるOLの証言は誰も信じていなかった。3ヶ月前にメリーさんという非現実的な存在と戦ったこの神保聡介以外は。
「いるか翡翠! ひ~す~い~!」
今時インターホンが設置されていない厳格な木製の門を叩きながら大声で蔵島翡翠を呼び出す。
10回ほど叩き続けていると「うるっさい!」という怒りの声と共に勢いよく門が開かれた。
「何でお前はいつもいつも俺の仕事中に現れるんだ神保!」
「今からいくと留守電に入れておいたろう」
綺麗に磨かれたレンズの眼鏡を掛け、黒髪をしっかりとワックスで整えている黒スーツ姿の神保に対し、門から現れた蔵島翡翠の身なりはみすぼらしいものだった。
目つきの悪い三白眼、ぼさぼさに伸びきった黒髪天然パーマ、黒い無地のTシャツにグレーのジャージズボン、足には便所サンダルを履いている同い年の翡翠を見て神保は軽く嘆息する。
「また、絵画……いや『怪画』を描いてたのか?」
広い屋敷に一人で住む蔵島翡翠は芸術画家として大成していて作品の多くは美術商や画廊で高値で売買されている。
神保も学生時代に何枚か翡翠の描いた絵を見たことがあるのだが、そのどれもが気味の悪い化け物の絵だった為、以後翡翠の作品を『怪画』などと呼んでいた。
「ああ。お前が来るまで上手く筆が走ってたとこさ」
「そんなに僕を邪険に扱わなくてもいいだろう」
「学生時代からお前がここに来る時はいつも厄介事を持ってくるって相場が決まってるんだよ。帰れ帰れ」
心底鬱陶しそうに手を払う翡翠。
「厄介事とは失礼な。不登校気味の君の面倒を見てやってたんじゃないか」
「余計なお世話だ。厄介事じゃないっていうなら今日は何しに来たんだよ?」
「この町で殺人事件が起こったんだよ。だから捜査に協力を――」
「やっぱり厄介事じゃねーかっ!」
途端に門を閉じようとする翡翠の動きをあらかじめ読んでいた神保が笑顔のまま手と足を隙間に割り込ませて妨害する。
「あっ、てめ……」
「そんなに急いで決断しなくてもいいじゃないか。まずは話だけでも聞いてくれよ親友」
「誰が親友か!」
学生の頃から引きこもり気味で体力の少ない翡翠が警察として日々体を鍛えている神保に力で敵うはずも無く、数秒の力比べの後あっさりと門は開かれる。
「ぜぇ……話を……聞くだけだからな」
たった数秒の力比べで肩で息をしながら負け惜しみを吐く級友に不安を覚えながらも神保は久々の蔵島家へと足を踏み入れた。
前回訪れたときと変わらず、屋敷内は綺麗に清掃されているものの室内は薄暗くてどこか気味が悪いままだった。
「ずぼらな君が家の掃除はしっかりやるんだな」
「はぁ? 家政婦雇ってるに決まってるだろ」
「おのれ金持ち!」
「きゅ、急に怒るんじゃねーよ。ほら、入れ」
長い廊下を進んだ先、玄関から一番遠い所にあるのが故人であり翡翠の祖母である蔵島翠の部屋だ。
5畳のこじんまりとした和室には小さな机や本棚が置かれていて人が住んでいるという生活感に溢れ、屋敷内の不気味さとはかけ離れた空間で疲れを癒してくれるような暖かさがあった。
「さて、んじゃあ話を聞こうか」
客人に茶も出さずに翡翠は畳にあぐらを掻いて座る。神保も室内に入り畳の上で正座した。
「昨日、この町で殺人事件が起こった」
「それはさっき聞いた」
なぜその事件の捜査に自分が必要なのかということを翡翠は聞きたがっているようだった。
「被害者は俺達と同じ24歳の男性。それもかなりの美青年だったみたいだ」
「だった? 妙な言い回しだな」
「遺体は上から下まで複数個所の皮膚や肉が食い千切られていた。検査の結果遺体に付いていた歯型は人間のものだったらしい」
その台詞を聞いた翡翠が顔をしかめる。
「猟奇殺人だよ。その犯人がまだこの町にいる」
「確かに異常な事件だが、ただのカニバリズムな人間の仕業かもしれないだろ。俺を……俺の婆ちゃんの知識を必要とする根拠は何だ?」
翡翠の問いに神保はスーツの胸ポケットから数枚の写真を取り出して畳の上に並べる。
写真には現場の周りの風景が写されていた。
「この事件には目撃者がいるんだ」
「ほう、化け物でも見たってのか?」
「その通りだ」
そう言って神保は一枚の写真を指差す。それは目撃者の視点から現場を撮影した写真だった。
いくつかの換気扇が回っている壁に囲まれた狭い裏路地の真ん中には、遺体があったとされる白線が引いてある。
「見てくれ、目撃者が通ってきた狭い道以外被害者の周りは建物の壁で囲まれている形になっているだろう?」
「ああ、そうだな」
「一番低い建物でも高さ17メートル以上ある。犯人はその壁を飛び越えて逃亡したと目撃者は言ってるんだ」
そこまで説明して神保は畳に並べた写真を丁寧に纏めて胸ポケットに戻す。
「明らかに人外の者だ。他の捜査官達は目撃者が錯乱しているなどとして信じようとはしなかったが、数ヶ月前にメリーさんをこの目で見た僕は信じることが出来た」
「だから……また俺に協力を?」
「そうだ。対抗するにはこちらも超常的な力と知識がいる」
「お前なぁ……」
事情を聞き終えた翡翠は呆れたように嘆息する。
「前にも言ったがこういう案件には専門家が存在する。俺達が動かなくてもそいつらが解決してくれる」
「君の知り合いの専門家は今、この町にいるのか?」
「……いや、また海外だ」
痛いところを疲れたように両目を瞑った翡翠が顔を横に振った。
「その人は多忙を極めていると前に言ってたな。戻ってくるのにまた2、3ヶ月は掛かるんじゃないのか?」
以前にした会話の細かいところまで覚えている神保の台詞に翡翠は眉間に皺を寄せる。
「一応聞くけどよ、この件に俺が協力しなかったらどうなる?」
「目撃者のOLのアリバイはしっかりある。犯人が特定できなければ事件は迷宮入りして警察の面子は丸つぶれだ」
「本音を言えよ神保。お前が面子なんざ気にするタマか」
首を横に振りながら言う翡翠の追求に神保は諦めたように視線を下ろし、胸ポケットに収められた写真に手を当てる。
「被害者の男性は……来週に大学時代から付き合っていた女性と結婚する予定だった」
「お前の知り合いなのか?」
どこか責め立てる様に強く尋ねる翡翠。
「いや、会った事も無い。けれど……俺は被害者や残された者達の無念を少しでも晴らしてあげたいんだ」
「何故そう思う?」
「理由なんかない。ただ、自分が動くべきだと思った」
真っ直ぐな視線で神保ははっきりと答えた。
「他人に感情移入しすぎるのは学生時代からお前の悪い癖だ神保。いつかはその使命感で自分が死ぬぞ!」
「僕達が動かなければきっとこれからも殺人鬼はこの町で人喰いを繰り返す! お願いだ翡翠、僕に力を貸してくれ!」
「お前……!」
正座したまま深く頭を下げる神保に翡翠はそれ以上何も言えなくなり、しばらくして観念したようにまた大きなため息をつく。
「人間離れした能力に人喰いの習性を持っているのなら、恐らく相手は〝グール〟だろうな。日本では〝餓鬼〟ともいう」
犯人の大まかな予想を言い立てながら立ち上がった翡翠は祖母の部屋の中心に敷かれた畳2枚を重そうに引っぺがす。
畳の下には祖母が使っていた秘密の地下蔵へ繋がる入口が眠っていた。
この地下蔵こそ生前の蔵島翠が超常的な存在と戦ったありとあらゆる記録を残してある2人の切り札だった。
「下等悪魔の一種だが素人が何の対策も立てずに戦えば痛い目に遭うって婆ちゃんの手記を昔読んだことがある」
「翡翠……!」
「丁度次の絵には醜い悪魔を描いてみたいと思っていたんだ。面倒くさいが協力してやるよ神保」
「ありがとう翡翠。お礼に今度寿司でも奢るよ」
渋々と言った感じだが協力を約束してくれた事に嬉しそうに立ち上がった神保はもう一度深く頭を下げた。
「いいよ寿司なんて。しょっちゅう食ってるし」
「おのれ金持ちィ!」
「きゅ、急に怒るんじゃねーよ」
こうして神保聡介と蔵島翡翠は人喰いチエちゃんを倒すため、再び『蔵島翠の地下蔵』へと続く階段を降りていくのであった。
「あ、そういえば」
「なんだよ?」
携帯のライトで足元を照らしながら階段を降りる途中、神保が背後から声をかけてきたので足を止めて振り返る翡翠。
「以前、メリーさんを倒した時に借りた銀銃を今まで返しそびれていたんだが……」
「なんだそんな事かよ。あれはお前にやるって言ったろ?」
「しかしな、君の祖母の遺品だろう」
「いいのさ。おまえが持ってる方が婆ちゃんも喜ぶ」
銀銃が仕舞われていた埃をかぶった木箱には恐らく蔵島翠が書いたであろう達筆な字でこうメッセージが残されていた。
人知れず正義を成さんとする者へ、この銃を残す――と。
別名キューピッドさま、日本ではこっくりさんと呼ばれることもある。
国や地域によってやり方は様々だが最もオーソドックスなのは文字を書いた紙の上にコインなどの小道具を使って占いを行うやり方だ。
その占いは百発百中、しかしメリーさんを行ったものは例外なく呪い殺される。
3ヶ月前、時葉警察署勤務の神保聡介はそのメリーさんと戦った。
都内の小学校で外傷が全く無い児童達が原因不明の昏睡状態になるという事件の調査中に神保は被害者達の共通点として皆意識を無くす直前にメリーさんで遊んでいた事を突き止める。
メリーさんで遊んでいたのは4人。内3人は既に昏睡していた状況で残りの1人から助けを求められた神保は警察には内密に単独で動き始める。
相手は都市伝説。
生き残りの少女を救おうと意気込んでみたものの、神保には人外に対する手段の知識など何も無かった。
そこで頼ったのは高校時代の級友であり現在は時葉町の外れの屋敷で画家をしていた蔵島翡翠であった。
学生時代、彼が占いやオカルトの話に詳しかったのを思い出した神保は駄目元で彼に協力を依頼し以後は2人で行動する事になる。
倉島家屋敷内の地下倉庫から翡翠は先祖が過去にメリーさんと戦った事が記された書物を、神保は倉島家の先祖が使っていたという古びた銀銃を取り出して対メリー戦の準備を進めた。
書物で得た知識をフルに活用した翡翠の策で翻弄され、正確な射撃の腕を持つ神保の銀銃に撃ち抜かれ、とうとうメリーさんは消滅した。
そんな常識離れした体験を経た神保は汗を掻きながら長い石段を昇り、再び倉島家の屋敷の門前に立っていた。
辺りは木々に囲まれ、屋敷の背景には大きな山々が並び立っている。
「くそ、何でこの階段はこんなに長いんだ」
愚痴りながら自分が登ってきた道程を振り返ると蝉がやかましく鳴き続ける時葉町を見下ろせた。
「こんなにも美しく、人々の活気に溢れている町に殺人鬼がいるなんて……」
犯人は被害者を殺害した後、20メートル以上ある建物の壁を飛び越えて走り去ったという唯一の目撃者であるOLの証言は誰も信じていなかった。3ヶ月前にメリーさんという非現実的な存在と戦ったこの神保聡介以外は。
「いるか翡翠! ひ~す~い~!」
今時インターホンが設置されていない厳格な木製の門を叩きながら大声で蔵島翡翠を呼び出す。
10回ほど叩き続けていると「うるっさい!」という怒りの声と共に勢いよく門が開かれた。
「何でお前はいつもいつも俺の仕事中に現れるんだ神保!」
「今からいくと留守電に入れておいたろう」
綺麗に磨かれたレンズの眼鏡を掛け、黒髪をしっかりとワックスで整えている黒スーツ姿の神保に対し、門から現れた蔵島翡翠の身なりはみすぼらしいものだった。
目つきの悪い三白眼、ぼさぼさに伸びきった黒髪天然パーマ、黒い無地のTシャツにグレーのジャージズボン、足には便所サンダルを履いている同い年の翡翠を見て神保は軽く嘆息する。
「また、絵画……いや『怪画』を描いてたのか?」
広い屋敷に一人で住む蔵島翡翠は芸術画家として大成していて作品の多くは美術商や画廊で高値で売買されている。
神保も学生時代に何枚か翡翠の描いた絵を見たことがあるのだが、そのどれもが気味の悪い化け物の絵だった為、以後翡翠の作品を『怪画』などと呼んでいた。
「ああ。お前が来るまで上手く筆が走ってたとこさ」
「そんなに僕を邪険に扱わなくてもいいだろう」
「学生時代からお前がここに来る時はいつも厄介事を持ってくるって相場が決まってるんだよ。帰れ帰れ」
心底鬱陶しそうに手を払う翡翠。
「厄介事とは失礼な。不登校気味の君の面倒を見てやってたんじゃないか」
「余計なお世話だ。厄介事じゃないっていうなら今日は何しに来たんだよ?」
「この町で殺人事件が起こったんだよ。だから捜査に協力を――」
「やっぱり厄介事じゃねーかっ!」
途端に門を閉じようとする翡翠の動きをあらかじめ読んでいた神保が笑顔のまま手と足を隙間に割り込ませて妨害する。
「あっ、てめ……」
「そんなに急いで決断しなくてもいいじゃないか。まずは話だけでも聞いてくれよ親友」
「誰が親友か!」
学生の頃から引きこもり気味で体力の少ない翡翠が警察として日々体を鍛えている神保に力で敵うはずも無く、数秒の力比べの後あっさりと門は開かれる。
「ぜぇ……話を……聞くだけだからな」
たった数秒の力比べで肩で息をしながら負け惜しみを吐く級友に不安を覚えながらも神保は久々の蔵島家へと足を踏み入れた。
前回訪れたときと変わらず、屋敷内は綺麗に清掃されているものの室内は薄暗くてどこか気味が悪いままだった。
「ずぼらな君が家の掃除はしっかりやるんだな」
「はぁ? 家政婦雇ってるに決まってるだろ」
「おのれ金持ち!」
「きゅ、急に怒るんじゃねーよ。ほら、入れ」
長い廊下を進んだ先、玄関から一番遠い所にあるのが故人であり翡翠の祖母である蔵島翠の部屋だ。
5畳のこじんまりとした和室には小さな机や本棚が置かれていて人が住んでいるという生活感に溢れ、屋敷内の不気味さとはかけ離れた空間で疲れを癒してくれるような暖かさがあった。
「さて、んじゃあ話を聞こうか」
客人に茶も出さずに翡翠は畳にあぐらを掻いて座る。神保も室内に入り畳の上で正座した。
「昨日、この町で殺人事件が起こった」
「それはさっき聞いた」
なぜその事件の捜査に自分が必要なのかということを翡翠は聞きたがっているようだった。
「被害者は俺達と同じ24歳の男性。それもかなりの美青年だったみたいだ」
「だった? 妙な言い回しだな」
「遺体は上から下まで複数個所の皮膚や肉が食い千切られていた。検査の結果遺体に付いていた歯型は人間のものだったらしい」
その台詞を聞いた翡翠が顔をしかめる。
「猟奇殺人だよ。その犯人がまだこの町にいる」
「確かに異常な事件だが、ただのカニバリズムな人間の仕業かもしれないだろ。俺を……俺の婆ちゃんの知識を必要とする根拠は何だ?」
翡翠の問いに神保はスーツの胸ポケットから数枚の写真を取り出して畳の上に並べる。
写真には現場の周りの風景が写されていた。
「この事件には目撃者がいるんだ」
「ほう、化け物でも見たってのか?」
「その通りだ」
そう言って神保は一枚の写真を指差す。それは目撃者の視点から現場を撮影した写真だった。
いくつかの換気扇が回っている壁に囲まれた狭い裏路地の真ん中には、遺体があったとされる白線が引いてある。
「見てくれ、目撃者が通ってきた狭い道以外被害者の周りは建物の壁で囲まれている形になっているだろう?」
「ああ、そうだな」
「一番低い建物でも高さ17メートル以上ある。犯人はその壁を飛び越えて逃亡したと目撃者は言ってるんだ」
そこまで説明して神保は畳に並べた写真を丁寧に纏めて胸ポケットに戻す。
「明らかに人外の者だ。他の捜査官達は目撃者が錯乱しているなどとして信じようとはしなかったが、数ヶ月前にメリーさんをこの目で見た僕は信じることが出来た」
「だから……また俺に協力を?」
「そうだ。対抗するにはこちらも超常的な力と知識がいる」
「お前なぁ……」
事情を聞き終えた翡翠は呆れたように嘆息する。
「前にも言ったがこういう案件には専門家が存在する。俺達が動かなくてもそいつらが解決してくれる」
「君の知り合いの専門家は今、この町にいるのか?」
「……いや、また海外だ」
痛いところを疲れたように両目を瞑った翡翠が顔を横に振った。
「その人は多忙を極めていると前に言ってたな。戻ってくるのにまた2、3ヶ月は掛かるんじゃないのか?」
以前にした会話の細かいところまで覚えている神保の台詞に翡翠は眉間に皺を寄せる。
「一応聞くけどよ、この件に俺が協力しなかったらどうなる?」
「目撃者のOLのアリバイはしっかりある。犯人が特定できなければ事件は迷宮入りして警察の面子は丸つぶれだ」
「本音を言えよ神保。お前が面子なんざ気にするタマか」
首を横に振りながら言う翡翠の追求に神保は諦めたように視線を下ろし、胸ポケットに収められた写真に手を当てる。
「被害者の男性は……来週に大学時代から付き合っていた女性と結婚する予定だった」
「お前の知り合いなのか?」
どこか責め立てる様に強く尋ねる翡翠。
「いや、会った事も無い。けれど……俺は被害者や残された者達の無念を少しでも晴らしてあげたいんだ」
「何故そう思う?」
「理由なんかない。ただ、自分が動くべきだと思った」
真っ直ぐな視線で神保ははっきりと答えた。
「他人に感情移入しすぎるのは学生時代からお前の悪い癖だ神保。いつかはその使命感で自分が死ぬぞ!」
「僕達が動かなければきっとこれからも殺人鬼はこの町で人喰いを繰り返す! お願いだ翡翠、僕に力を貸してくれ!」
「お前……!」
正座したまま深く頭を下げる神保に翡翠はそれ以上何も言えなくなり、しばらくして観念したようにまた大きなため息をつく。
「人間離れした能力に人喰いの習性を持っているのなら、恐らく相手は〝グール〟だろうな。日本では〝餓鬼〟ともいう」
犯人の大まかな予想を言い立てながら立ち上がった翡翠は祖母の部屋の中心に敷かれた畳2枚を重そうに引っぺがす。
畳の下には祖母が使っていた秘密の地下蔵へ繋がる入口が眠っていた。
この地下蔵こそ生前の蔵島翠が超常的な存在と戦ったありとあらゆる記録を残してある2人の切り札だった。
「下等悪魔の一種だが素人が何の対策も立てずに戦えば痛い目に遭うって婆ちゃんの手記を昔読んだことがある」
「翡翠……!」
「丁度次の絵には醜い悪魔を描いてみたいと思っていたんだ。面倒くさいが協力してやるよ神保」
「ありがとう翡翠。お礼に今度寿司でも奢るよ」
渋々と言った感じだが協力を約束してくれた事に嬉しそうに立ち上がった神保はもう一度深く頭を下げた。
「いいよ寿司なんて。しょっちゅう食ってるし」
「おのれ金持ちィ!」
「きゅ、急に怒るんじゃねーよ」
こうして神保聡介と蔵島翡翠は人喰いチエちゃんを倒すため、再び『蔵島翠の地下蔵』へと続く階段を降りていくのであった。
「あ、そういえば」
「なんだよ?」
携帯のライトで足元を照らしながら階段を降りる途中、神保が背後から声をかけてきたので足を止めて振り返る翡翠。
「以前、メリーさんを倒した時に借りた銀銃を今まで返しそびれていたんだが……」
「なんだそんな事かよ。あれはお前にやるって言ったろ?」
「しかしな、君の祖母の遺品だろう」
「いいのさ。おまえが持ってる方が婆ちゃんも喜ぶ」
銀銃が仕舞われていた埃をかぶった木箱には恐らく蔵島翠が書いたであろう達筆な字でこうメッセージが残されていた。
人知れず正義を成さんとする者へ、この銃を残す――と。