彼女は心に愛を飼っているらしい




そんな彼女は僕とは反対にいつもチャイムが鳴るギリギリに滑りこんで来るタイプで「セーフ」なんて陽気に言いながらも席についていた。


そんな誰にかけた言葉かも分からない言葉は誰にも拾われないのだが。


「今日は何かいいことありそう」

楽しげな表情を見せる彼女を無視して歩きだそうとした時、僕らは声をかけられた。


「雨宮と森谷、少しいいか?」

担任だ。

申し訳なさそうな声色で手招きする。
めんどくさいことを頼まれることはなんとなく分かった。


「実は職員室にあるプリントを教室まで運んで欲しいんだ。先生の机に束になっているから、それを二人で手分けして運んでくれ」

「はい」


きっと僕達が一緒にいたことで、仲がいいと勘違いされたんだろう。

彼女の返事に僕も後から続いて返事をすると、「じゃあよろしく頼むな」と言って担任は去って行った。


なにがいいことありそう、だ。


しょっぱなからこんなこと頼まれるなんて今日はついてない。

彼女に視線を移す。じとっとした視線を送ると、それに気づいた彼女は笑顔を向けてきた。



「今日は朝からキミと作業が出来るから特別な日かもしれない」

「めんどくさい」









ほぼ同時に放った言葉はまるで違うものだった。

同じことを頼まれていて、まるで違う言葉を見つけてきて口に出す僕ら。


そこに正しさは存在しないけれど、それぞれの生き方は存在するのかもしれない。


仕方なく、僕たちは並んで歩くと、そのまま職員室に向かった。


「失礼します」


ガラっと音を立てて、ドアを開け担任の机がある場所まで向かう。

そこには山のように積まれたプリントがおいてあった。


ひとつには付箋が貼ってあり、【配る用】と書かれている。

僕たちは付箋が貼ってあるものだけを手分けして持つことにした。



「失礼しました」


プリントを手に抱えた彼女は、歩きながらその紙に書かれた文字を見てつぶやく。


「オープンキャンパスか……」

その言葉を聞き、僕も同じようにプリントに視線を移した。


どうやら今日も進路関係のことをやるらしい。


「ねぇ、キミはもう行きたい学校とか決まってるの?」

「まぁ……おおかた」

目星はついている。

行きたいというよりは、父親がいくつか提案してきた学校だけれど。


仕事が休みの時は一緒に学校見学に行ってやるとも言われた。


こんな時だけ、僕の父さんは父親らしいことをする。小学校の頃の授業参観や運動会、そんな行事には一度も顔を見せなかったくせに。




「そっか~決まってるんだ。私、なんて書こうかなぁ」

彼女はまだ卒業後の進路までは決まっていないらしい。そもそも歌手になるという道がどういう道を辿るのか僕には分からない。


僕らが、自分たちの教室のドアの前まで来た時、ぴたりと足を止めた。

そして、僕たちふたりは顔を見合わせる。どちらも手が塞がっていて、ドアが開けられない。


すると彼女は思いついたように言う。


「足でいっか……よっ……」

よたよたとよろけながら、足を器用に使ってドアを空けようとする彼女を、僕はしかめ面で見た。

女子だろう。という感想を持ったことは言うまでもないのだが、彼女を止めようとした時、後ろから誰かがドアを空けた。


「……あ、小林さん。ありがとう」

「いーえ」


その誰か、はコバヤシさんという人らしい。

彼女は背が高く、細身のタイプだった。


相変わらず塗りつぶされた顔は、誰が誰であるか判別出来ないため、見ていることが出来なかったが、僕はうつむきながらお礼を言うと、教室の中に入った。


先に席に戻るコバヤシさんの後ろ姿を見つめながら彼女は嬉しそうにつぶやいた。


「話せた」


教卓にプリントを置くと、顔が塗りつぶされて見える僕を案じてか、コバヤシさんについて話始める。




「小林さんはね、目がきりっと二重でスタイルもいいでしょ?モデルみたいな人なんだよ。眉毛はしゅっとしててね、声は……って声は分かるよね?ハスキーでクール!」


彼女のテンション高めの声を遮るように僕は言う。

「興味ない」


すると、彼女は困ったような顔をした。


塗りつぶされていれば、皆同じ。他人と関わらなければ、誰が、誰、なんて必要のない情報だ。

僕は彼女をおいて先に席に戻ると疲れた身体を預けるようにそのままイスにもたれにかかった。


人生は必要か、必要じゃないか、のどちらかだ。


いらないものを取り入れたって、けっきょくどこかでそれが捨てられてしまうのなら、時間の無駄である。


無駄だった、やらなきゃ良かったは、損する言葉。知らない、なら平行線のままで済む。

だったら知らない、興味ないで十分だ。


僕はカバンから筆記用具を取り出すと、1限目の授業の準備をした。


その日は案の定、自分の進路にのっとって、学校訪問をする場所を第三希望まで書き出した。


決まっていないと言っていた彼女は何て書いたのだろう、と考えていたけれど、その疑問の答えは、次の日の放課後に返ってきた。



「ねぇ、聞いてよ!」


放課後、帰ろうとカバンを持ったところで、頬を膨らませた彼女がカンカンに怒りながらこちらにやって来た。




そして何も言わずに僕を見る。

明らかに何があったのか、と聞いて欲しそうな顔をしていた。

しかし、一向に尋ねて来ない僕にしびれを切らしたのか、彼女は自分の方から口を開いた。


「昼休みにね、進路のことで担任の先生から呼び出しがあったの」


そういえば、今日の昼休み。

お昼を食べると颯爽と姿を消した彼女は戻って来た時から、今と同じような顔をしていたような気がする。


「それでね、私の書いた進路希望調査を見てね、なんて言ったと思う?」


ご丁寧に間を空けてこちらの反応を伺うものだから、さすがに返事をしないのは可哀相になって「さあ」とだけ答えた。


「現実的な夢にしなさいだって。後ね、学校訪問の紙に書いた場所も怒られたの。アメリカなんて本気で書いたんじゃないだろって!」


アメリカ……?


僕はその言葉を聞いて心底呆れた。当然すぎる結果にかけてやる言葉さえ出て来ない。


「冗談で書いたと思ってるのかしら」

「そりゃ、そうだろ。だいたいそう言われるって想像出来なかったの?」

「だって先生が言ってたじゃない。しっかり自分と向き合って、やりたいことを自由に書いてみろって」


「それは常識の範囲内で、だろ?」





「私にとっては常識の範囲内だったわ」


本当にそうだったんだろうな。
僕は何度目かのため息をつくと、視線を彼女に移した。


彼女にとっての常識と、先生にとっての常識はかけ離れて過ぎていた。

それはきっとこれから先、彼女がどう真剣に伝えようとも理解出来ないくらいだろう。


そもそもそんなこと、理解なんてされるわけないのだから、しっかりとした現実味ある夢を書いておけば良かったのだ。


それなのに。彼女はいつまで経っても分からない。


「だいたいキミはさ、そんなに熱い夢を持ってるようだけど、それを追いかけて何になるの?」

「何ってなに?」

「だから、今キミがやっていることが形になると思っているのかってことだよ」

「何かにならなきゃ、やっちゃダメなの?やりたいからやる。やっていて、楽しい。それだけで幸せじゃない」

「幼い考えだな」


普段ならここで終わるはずの言い合いに彼女はひとこと言葉を添えた。


「キミの方が幼いよ。引かれた道しか歩けない。まるで子どもみたいね」


それはケンカ腰で、彼女にしては少し強い物言いだった。


自分の夢を否定されたことが相当嫌だったのだろうか。









しかし、僕がじっと彼女を見るとバツが悪くなったのか、とたんに目を逸らした。

だって……そうじゃん。とよわよわしい声をつけて。


「大人になったら自分の道を自分で選ぶよ」

「ウソ。キミは絶対選ばないよ。このままじゃ今のまま。ずーっとね」

「そんなの分からないじゃないか」

「分かるよ、そういうものだもん」


何を知ってそういうのか僕には分からない。キミは占い師でもあるまいし。

なんて伝えたいくらいだったけど、今回はなんだか僕の方が言い聞かされてしまったような気がした。


はあっと深いため息をつくと僕はカバンを持ち直して歩き出す。


「ちょ……っ!帰るの?」


その言葉に返事はせずにスタスタと歩いていく。


引かれた道を歩き続けた男の末路はどうなるのだろう。


一生その道に縋って生きていくのか、それともどこかで踏み出してみようと思うのだろうか。


僕の将来、大人になって自分ひとりで生きていけるとして、用意された道を捨ててまで自分の道を切り開いていこうと思えるのだろうか。


分からない。



少なくとも今は、彼女の言葉の方が正しいのかもしれない。




僕の将来そういうもの、で片付けられるのは悲しいけれどそういうものじゃない、と言い返せる自分がいない限り、僕はずっとこのままだーー。










***


時期は6月初旬。

ついに面倒くさい体育祭の日がやって来た。


日差しはさほど強くないものの、額にはじんわりと汗が浮かぶくらいには気温が高く、その汗を拭いながら、僕はああ面倒くさいと心の中でつぶやいた。


僕が自分で立候補した得点係りは、案の定、楽ではあったものの、彼女が常に隣にいたがために精神的な疲れは大きかったように感じる。もしかしたらまだ身体を動かしている方が楽だったかもしれない。


僕はすぐそばにいる彼女に視線を落とすと大きくため息をついた。


「どうしたの?そんなため息ついちゃって」


彼女は得点板の横にあるイスに腰掛けながら「あっ、転んだ!」とか「頑張れ、もう少し」だとか面識もない人にも応援を送りながら、得点を変えていた。


「もしかしてあのことだ?」


そんな彼女がまるで僕の弱みを握ったかのように、にやりと笑って言って来る。



「自分が運動音痴だったことに悩んでるんだ?」


ため息の理由はキミだとハッキリ言ってしまいたかったが、その話題を出されたら返す言葉が無い。


午前中に僕が参加したハードル競争、昼休憩を挟んでから行ったクラスリレーの結果は散々なものだった。






運動は苦手だ。参加しなくていいのであれば、家で勉強しているのに、ご丁寧にひとりひと種目は強制参加、だとかクラスのみんなで力を合わせて頑張りましょう!だとか、そんなことをうたい文句のように教師が言うから、逃げることも出来ず、参加する羽目になってしまった。


本当に迷惑だと思う。

僕の走りを見て笑われるのは目に見えている。
いや、笑われているだけならまだいい。

全員リレーなんてもっと悲惨だ。運動が得意で気合の入ったクラスメイトには決まってアイツのせいで、と言われるのだから。


「ハードルなんてぶつかってばかりだし、クラスリレーはめちゃくちゃ遅いし、ちょっと笑っちゃった」


「うるさいな、どうせ将来には活きてこないんだ。別にいいだろう」


「分からないよ?将来のキミは運動音痴だったばっかりにすぐによぼよぼのおじいさんになってしまうかもしれない」


彼女はわざとらしく両手を使って目じりをぐっと、下に引っ張ると、おじいさんのような仕草をしながら言った。


「得点、赤組に15点入れて」


僕はその言葉を無視して彼女に指示を出す。


これで僕達のクラスが属する白組が負けたら、ほとぼり覚めるまでお前のせいで、と言われ続けるのだろう。


きっと白い目を向けられながら。

まぁ、いいけど。こういうのは慣れてるし。