「だから、なーんで、『俺はこうなんだから、相手もきっとそうなんだ』って公式が成り立つわけ?他人だって、たーにーんー。相手の思考が読めるわけもねえのに。確定しちゃってさー。“それ”が崩れた時、悲惨すぎね?もっぱら、相手が。まあ、どうでもいいけど。お前、見た目良くなっても本当に子供だよな」
自覚している。分かっている。他人より言葉にされれば、尚も向き合わなければならない。
相思相愛でも、俺と彼女は違う。育った環境からして違うんだ。父母、父方の祖父母と共に暮らし、一人娘として大切に愛され育てられてきた彼女。社会に出ても、盆や正月と言った祝日には必ず実家に戻り、家族団らんを楽しむ彼女はきっとーー家族から無視されたことはないんだろう。
泣き喚いてもほったらかしにされ、外出先では忘れ物のように放置され、気を引きたくイタズラをしても怒られず、いい子を演じても見向きもされず、自分の分のお箸と茶碗が家になく、部屋数は余っているのにあえて狭い納戸を自室にされ、リビングからは家族団らんの声ーー俺抜きで楽しむ声がいつも聞こえてきて、俺がリビングに顔を出した途端に無音となり、離れればまた声が。
『お前は産む予定がなかった。出来たから仕方がなく産んだ』
そんな産み落とされた者に対する最大の理不尽が理由だったと語られるような家庭で育った俺が彼女と釣り合うはずがない。
違うんだ。違う……けど。
俺が愛していると言えば、彼女は嬉しそうに同じ言葉を返し。
俺が抱きしめれば、彼女は幸せそうに抱きしめ返してくれて。
二人っきりで会いたいと言えば、何とか時間を作ってくれて。
撫でてほしいと甘えれば、その通りにしてくれて。
時間をーー瞬く間に過ぎてしまう錯覚を感じるほど幸福に満ち溢れている時間を二人で共有出来ている。
個々としての違いは確かにある。しかして、その違いすらも受け入れて愛することが出来た。互いに。
愛の重さも俺の方が上であることさえ、今となっては悩みの種ではなく喜ぶべきことなる。
彼女の俺に向けられる果てなき愛情(優しさ)よりも、俺は勝っている。際限なく膨れ続けているんだ。
毎日、毎秒、彼女に恋をしていた。
現実でも、画面越しでも、彼女の一挙一動が眩しいほどに思えた。
空っぽの空洞は温かい物で満ちている。されど、足りない。“足りてたまるものか”。
もっともっと、愛さなきゃいけない。
俺が愛せば、彼女は笑う。幸せになってくれる。そばにいてくれる。隣にいてくれる。語りかけてくれる。優しくされる。触れてもらえる。撫でてくれる。抱きしめてもらえる甘えさせてくれる受け入れてくれるみとめてくれるみたしてくれるいっぱいにしてくれるあいしてくれるあいしてくれているあいしていてくれているーー