「私たち、そろそろなんじゃないかなって思ってるんだ」
 私のその声は、私と目の前の男子生徒以外誰もいなくなった生徒玄関に静かに響き渡った。
 目の前に居る男子生徒っていうのは私の彼氏である藤井伊月。伊月とはかれこれ1年半付き合ってる。
 去年の冬、まだ付き合ってなかったけど周りからのサポートで2人で帰る日が続いてて、その日も他愛ない会話をいつものようにしてたはず。流れで伊月に好きな子がいるって話になって、しつこく問い詰めてたら「…じゃあ腹を割って話すけど、千尋。好きです。俺と付き合って下さい。」って言われたんだっけなあ。私は予想なんて全然してなかったからあまりの嬉しさににボロボロ泣いちゃって。会う友達に「どうしたの!?えっ、振られた!?」って心配されたんだっけ。
 伊月との念願のお付き合いは確かに幸せで充実してた。ケンカすることもほとんどなくて伊月は私のことをよくわかってくれてた。お互いに近すぎず、遠すぎず、ちょうどいい距離感を保ってて周りからも羨まれるカップルではあった。
 そんな完璧かと思われる伊月に私は密かに不満を抱いていた。それは、伊月が奥手すぎるってこと。好き、だなんて滅多に言われないし付き合って1年経ってもキスはおろか手さえ繋いだこともなかった。デートもデートらしいデートはしてなくて、私はもっと毎日に刺激が欲しかった。最初は私も恥ずかしいのでいっぱいで、手を繋ぐとか考えてなかったけどあまりにも何もしてこないから私にそんな魅力ないんだって凹んだこともあったけ。付き合って何カ月かしたころには何かもう諦めついてたっていうか。だから、何となく恋人らしくないというか、友達の延長線上みたいで私の伊月への気持ちはしだいに薄れていった。
 そして今日、夏休み終了10日前。私は学校開放日に伊月を呼び出し、別れを告げている。
「……そっか」
 それだけ言って私から目を逸らした伊月はいつもの伊月のようにみえた。……あんまりショック受けてないのかな。安心したような、寂しいような、複雑な感情が胸に溜まる。
「……あのね、別に伊月以外に好きな人ができたとか、伊月のこと嫌いになったからとかじゃないんだよ。ただ、私たち受験生であと数カ月後には離れちゃうでしょ?それまでにいつかは別れなきゃって思ってた。それが今なのかなって」
「あー、うん。最近あんま会えてなかったしなー……。」
 ここまで話を切り出していてなんだけど、伊月への想いが冷めたってことは何となく言いにくかった。伊月の私への愛は今でも確かに感じてたから、それを言う事は後ろめたさがあった。
 これってやっぱり、ずるいのかな、なんて……
「でも俺はまだ、千尋のこと好きだし、別れることに納得はできてない」
 好き、って単語を伊月の口から久しぶりに聞いて少しだけ動揺してしまった。そっか、そうだよね……
「でも、でもね。私たちがこれから成長していくには必要な別れだと思うの。伊月はバレーに専念するため、私は夢に向かって励むため。そのためにはこの別れは必要なんじゃないかなって」
 少しの沈黙の後、伊月が微かに口を開き、また閉じた。伊月は今、何を考えているのだろう。何を言おうとしてるのだろう。そして伊月が再び口を開く。
「……わかった。いや、わかりたくないんだけど、千尋が悩んでたってことは凄く伝わった。ごめんな、1人で悩ませて。俺、千尋と居る時間がすげー好きで、幸せだなぁっていつも思ってた。でももう、終わりにしなきゃいけないんだって千尋の話聞いてわかった」
 その言葉を聞いて私はなんて酷いことを言っているのだろうと気付かされた。私の気持ちは冷めても伊月は本気で想っててくれたのに。
「しばらくは無理かもしれないけど、俺がまともに話せるようになったら友達として接してほしい。別れたからって距離を置かれるのはやっぱり、つらいから」
「うん、それはもちろんだよ。私も伊月とはずっと友達でいたいって思うから」
「ありがと。……じゃあこれからは友達、ってことで」
 そう言って私の前に差し出された右手を私の右手で握り返す。伊月の手ってこんなに大きかったんだなぁ。
「じゃあ、俺、先に帰るな」
「うん。ありがと、話聞いてくれて」
 私の言葉に寂しそうに微笑み伊月は私に背を向けて帰って行く。私はその背中が見えなくなるまでただひたすら眺めていた。