「あ!待ってよ。まだいいじゃん。」
彼は、玄関の前で大げさに両手を広げて仁王立ちした。

「借りたビデオ返さなきゃならないから。」
アタシは、適当な理由を言って、ドアノブに手をかけた。すると、太郎は背後からアタシの背中を突かんでくる。襲われてしまうのだろうか。モテナイ男はタチが悪い。レイプまがいのことは何度かされたことはあるが、いずれも手切れ金をむしりとってきた。だが、コイツは金もないし、何より生理的に受け付けない。

「やめてよぉ!!!」
アタシは、そう言って扉を開けると、勢いよく外へと飛び出した。不運にも、2Fのボロアパートのその部屋からは急勾配な階段が続いていた。アタシは、予想通り階段を踏み外し、そして中ほどまでズズリと滑り落ちてしまった。赤いハイヒールだけが、むなしく地面を転がっていく。

ドアノブに手をかけたままの太郎は、手をかそうともせず、缶ビールを持ったままキョトンとしていた。だから、もてないんだよ!テメエは!アタシは、立ち上がり、肩についた土ぼこりを払うと、ハイヒールの方まで、手すりをつかみながら片足でケンケンしていった。
ようやく、両脚で立ち、後ろを振り返ると、階段の手すりによっかかったままの太郎がいた。

「ヤリたいんなら、風俗…」
アタシがそう言いかけたとき、キョトンとしていた太郎が口を開いた。
「あのさ…オレさ、ヒト、殺しちゃったんだよね…」
アタシの中で、何かが崩れ落ちるのを感じた。崩れ落ちた何かを確かめる前に、それは背後を通過したトラックの轟音の彼方に消えていってしまった。