つーかそもそも、なんで誰も気が回らないんだよ。相手が萩原さんでなくても、こういう鈍感さは好きじゃない。
異動して来たての人間を、一人残して帰った奴の気が知れない。
無性に怒りがこみ上げる。
「すみません・・・私がうっかりしてて。ノー残業デーってこと忘れて、タラタラしてたんです。」
『そもそもさぁ、今日がノー残業デーだって知ってた?』
「・・・。」
言えよ、女子軍団。
あの昼飯時の大袈裟な宴は、見た目通りの薄っぺらさ。
『いいよ、もう帰って。あとは俺が締めるから。』
「岩田さんはまだ帰らないんですか?」
『俺も日報入れたらすぐ帰るよ。』
「じゃあ待ってます。」
思わず持ち上がった、逆上せた視線は。
「せっかくなので、ここの締め方を教えてください。」
真摯な姿勢に、柔らかく撥ね付けられる。
『・・・分かった、じゃあちょっと待ってて。』
湧き上がった下心が滑稽。そもそも、なんで今湧いた?
愚かな自分に首を振って、俺は立ち上げたPCの画面に集中しようとする。
「岩田さん、頭がすっごい濡れてます。」
『知ってる。傘、失くしたみたいでさ。駅から走って来たから。』
「ホットコーヒー飲みます?入れましょうか?」
『いらない。』
そんな事より、早く君を帰したい。
コーヒーなんて嗜んでる時間があったら、その分家へ。
怒り任せにキーボードを叩く。
理不尽な事が嫌いだ。
ノー残業デーを奪った同僚か。
奪われたのが、萩原さんだという事実か。
理不尽の正体が、分からない。
あまりに真剣な眼差しなので、思わず笑ってしまった。
『そんなまじまじ見る?』
「あ、ちょっと待って、私もやってみていいですか?」
一連のフロアの施錠方法、最後のパート。セキュリティカードを差し込み口に入れる段階で、彼女は手を伸ばした。
俺が入れたカードを一度抜いて、ウラオモテを確認してからもう一度入れる。
そんなに真剣に取り組まなくても、萩原さんが最終退出者になることなんて、そうそうないのに。
クソ、真面目だな。
「で、ここでさっきのパスワードを入れるんですね?えっと・・・」
前髪が、耳にかけるには短いらしい。何度も薬指ですくっては、小さな耳に押し込んで。
この人、ふざけたりくだらないことでバカ笑いしたり、するのかな。
そう言えば、笑ってるところを見たことがない。
微妙な表情で合わせ笑いをしているところは、よく見るけど。
あれ?
“よく、見る?”
なんで俺は、彼女を“よく見る”?
“ロックが完了いたしました。”
施錠完了を告げる機会アナウンスが流れた。
ホッとした顔つきの彼女が振り向く。
「岩田さん、出来た。」
ほころんだ口元。俺を見上げる、透明な目元。懲りもせず額に落ちた前髪。
繋がった視線を千切って、返事もせずに出口を目指した。
今、俺は。
確かに彼女を可愛いと思った。