それは、あまりにもあっけなくて。
驚くほどに見事で墜落的な。
片想いの始まり。
「萩原さん、うちの近くに住んでるっぽい。」
矢島の言葉に、一拍ついていけなかった。
『だれ?萩原さんって。』
社食の日替わりランチAは、今日も争奪戦。
長い列に並びながら、先頭の様子に眼を凝らす。
「岩田・・・お前、ほんとサイテーだわ。
昨日異動してきたじゃん。歓迎会したじゃん!」
同僚の白い目に、昨日の記憶を辿る。
歓迎会。やったな、確かに。
________ああ。
主役でありながら端っこの方で俯いてた、あの人か。
「帰り、電車が一緒になってさ。同じ中目黒で降りたんだよ。」
『へぇ。送った?』
「・・・送らねーよ。お前とは違うの。
あーもう、岩田を王子様とか言ってる奴らに聞かせてやりたい。」
『そんな意味で聞いてねぇよ。笑』
別に、送ったかどうか聞いただけだ。
部屋にあがったか、重なってみたかなんて聞いてない。
第一、俺だって簡単に手を出したりしない。
社内恋愛なんてクソ面倒の極み。
「ちょっと話したんだけど、うちの会社には珍しいタイプだったわ。」
へぇ、と上の空な相槌を打ちながら、目前に来た日替わりランチAの売れ行きを伺う。
「なんつーか、女の精気がないんだよ。
うちの会社にありがちな、読者モデル感がない。」
『ああ、ね。』
それは、パッと見で俺も感じたかも。
課の大勢の前で、無駄に何度も頭を下げながら挨拶をする姿には。
一欠片の華も、感じなかった。
「だからかなぁ、話してても押し付けがましい感じがしないっつーか。
逆に、吸収されていくような気がしたんだよ。」
なんだそれ、と笑いかけたところで厨房のおばちゃんに目で注文を聞かれる。
焦がれた“日替わりA”のネギ塩唐揚げを皿に盛る手つきに、ホッと胸を撫で下ろす。
ガラスボウルの中、レタスに舞う赤と黄色のパプリカ。
ヨーグルトに蕩ける、ブルーベリーソースはバイオレット。
「あんな子、一個下の代にいたんだな。」
食欲を掻き立てる色彩の中で、矢島の言葉はやけに耳に残った。
例えば、飲み会や会議で参加人数を数える時。
間違いなく、彼女は最後の方で指を折らせるタイプ。
なのに俺は、それからなぜかいつも一番に彼女が浮かんだ。
出席入力のExcel回答票を作る時、気を抜くと彼女の名前を先頭で打ってしまう。
仕方ないので、最初はそう作って後から社番で並べ替える。
彼女の名は、俺の名の下に並ぶ。
これはこれで、落ち着かない気がしてしまう。
よっぽど矢島の話が耳に残ってるんだと、ぼんやり思った。
向かい奥、離れた位置の彼女のデスク。
長い髪の降りた背中が帰れば、机上が真っ直ぐに見える。そこはガランと空き机のように使用感がない。
備忘録に貼り付けられた付箋もなければ、転がったボールペンもない。
他の女子のデスクのように、オブジェのごとく並ぶ嗜好品もない。
ただ、デスクトップとキーボードと電話取次のためのメモがあるだけ。
どうしたらこんな整然と使えるんだよ。
“あんな子”
どんな子だよ。
浮かんでは消える。
無性になんかじゃない、何となく気になるこの感じ。
彼女のいないところで彼女を思い出すと、忘れ物をしたような気分になる。