「行くんだね」


玄関に座る背中だけに聞こえる様な小さな声で呟く。



「まぁな」


「私を置いて?」


「仕方ないだろ、お前コレに入んねぇんだから」


そう言って彼は振り向いて、立ち上がると右手に待っている大きな鞄を見せてくる。


「…頑張ったら入るもん」


「入んねぇよ」


あ…えくぼ。


「もうそのえくぼも見れないんだね…」


彼が私にだけ見せる笑った時のえくぼ。

大好きだった彼のえくぼ。


そんな彼の笑顔を見た瞬間、我慢していた気持ちが溢れた。



「写真家なんて辞めてずっと側にいてよ……日本にいてよ。

行かないで…」


確かにこれは本心。

写真家の彼と出会い、付き合って2年して海外で活動するのが夢だと教えてくれた。

そしてその3年後の今日、彼は夢を叶える一歩を踏み出す。

そんな彼に本心なんて



「そう…言えたらいいのにね、小心者の私には言えないや」


言えるわけがない。


「…1日で帰って来るよ」


「……そんな分かりきった嘘なんて聞きたくない。

一生日本に帰って来ないくせに」


「…待っててくれとは言わない」


“待ってて”

その言葉を言われたら何年、何十年だって待っていられる自信がある。

けれど彼は私が求める言葉をくれない。


「けど、忘れないでくれ。

俺と一緒に過ごした日々を、俺という存在がいたことを、忘れないでくれ」


彼は思い出として私を縛る。

だって私をずっと大切にしてくれた彼が叶えられない未来に独り私を縛るなんて事できないから。


「…本当に帰って来ないんだね」


最後の悪あがきは、


「あぁ…あっちで頑張るって決めたからな。

帰る場所があったら諦めてしまうから切り捨てる」


「…そう」


一筋の涙と、最大級の苦しみを得てしまった。


私が泣き崩れ大声を上げたのは、彼の背中が玄関から消え、暫く経ってから。


そして私は知らない。



この一年後、偶然見つけた彼が私だけを撮ったアルバムに

君と過ごした日々は愛しい時間だったと書かれた字を見てまた泣き崩れることを



この時の私は知らない。



【未来】