聡のピストとは違って、ギヤが固定されているわけではない。

微妙に調節しながら2人の歩く速度に合わせてゆっくり進むのは、そう難しいことではない。

聡は、ピストレーサーを手で押しながら、カツンカツン言わせて歩く。

前と横を、原色使いの派手な男達に囲まれて歩くと、目立つ。

多少ご近所の目を気にしながら、あけりは小声で答えた。

「いえ。今の父はよくわかってません。……私、小学生の時から2年前まで自転車に乗ってたんです。けっこう真面目に。」

……前の父のことは、敢えて言わなかった。


薫も、聡も、驚いたらしい。

「そうなん!?……知らんかったよ。」

「うん。私も、君が自転車乗ってるって知らんかった。……去年の夏から、その赤いピスト、たまに見かけててんけど、まさか聡くんやとはねえ。びっくりした。」

「……確かに、よく驚かれる。派手やろ?これ。……師匠の師匠のお古。」


あけりは、ドキッとした。

聡の師匠は薫だとさっき言ってた。

薫の師匠は……泉勝利だ。


「……すごい……タイトルホルダーのフレームもらったんだ……。」

あけりの頬が紅潮する。

愛しげに、聡のピストのフレームにそっと手を伸ばした。

冷たい……。

クロモリと呼ばれるクロムモリブデン鋼のフレームが冷たいのは当たり前だ。

だが、あけりは、かつての持ち主の冷たい一面を思い出して……震えた。


「……2年前って言った?……今は?もう乗らんの?」

薫が振り向いてそう聞いた。

自分のことだけでなく、師匠の泉勝利のことまで知っているなら、本当に競輪に詳しいのだろう。

こんなに綺麗な子が競技会に出ていれば評判になるはずだが、聞いたことがない。


薫の質問に、あけりは苦笑した。

「乗れなくなりました。内臓疾患で。……もがくと、肺が出血するんです。」

「え……。」

薫は絶句した。

聡もまた眉根をひそめて、心配そうな顔になった。

慌ててあけりは言葉を足した。

「あ。普通の生活をする分には、大丈夫です。今はイイお薬もありますから。でも、飛んだり跳ねたり走ったりはできなくて。」

……全然、普通じゃない。

体育の授業にはほとんど参加できないだろう。

そもそも、自転車乗りだった子が、自転車に乗れないなんて……。