「……そうか……よかったな。」

泉は一瞬、瞳を潤ませたが、すぐに気を取り直して、薫に言った。

「ほな、薫もがんばらんとな。いつまでも、都合よく使われてるばっかり違(ちご)て、そろそろ結果出しや。」

かつてとは明らかに違う……薫を、婿とでも思っているのかはっぱの掛け方も優しい。


「……一番、都合よく薫さんを使ってるの、しょーりさんなのに。」

あけりが口をとがらせると、泉はニヤリと笑った。

「アホか。薫は俺の弟子やっちゅうねん。……まあでも、今度、決勝戦で一緒になったら、本気で、死ぬ気で走ってみ。俺を千切るつもりで。……したら、優勝やわ。」

冗談っぽいけど、冗談じゃない。

泉は本気でそう言っていた。


「……師匠の屍を越えて行け……ってことっすか?」

薫が尋ねると、泉は薫を小突いた。

「お前が引っ張ってるのに、何で、俺を越えるねん。アホか。」

「慣用表現なのに……。」

そうこぼした薫に、泉はフンと鼻で笑った。

「俺がお前の踏み出しに遅れても、俺が他の選手に競り負けても、落車しても、お前は俺の気持ちを背負って走れゆーてんねん。」


……しょーりさん……まさか……。

不安が胸に渦巻く。

泉は、引退を視野に入れているのだろうか。


まだ早い。

いや、早すぎる。

ドキドキと胸が大きく鼓動する。


あけりも、薫も、泉の競走に魅せられているファンでもある。

定年までて走ってほしい……なんて、さすがにそれは厳しくても、第一線で活躍できる脚があるうちは……がんばってほしい……。


あけりは不安そうに薫を見て、それから泉に向かって言った。

「あの……友人の聡くんは、薫さんよりも、しょーりさんの脚質に近いんです。……来年、競輪学校受けるらしいので、よろしくお願いします。」

泉は片頬だけ上げて、目を伏せた。



お料理が運ばれてきた。

今日は、泉の希望で広東料理のコースを食べにきた。


よく冷えたジャスミンの香りがとても心地よくて……あれ?

気持ち悪い?

あけりは、口許まで運んだジャスミンティーのグラスを慌ててテーブルに戻した。

そして、はたと気づいた。


……これって……もしかして……いや、もしかしなくても……ドラマでよくある、あれ?

私、妊娠した!?