「なにがあったのかは知らないけど、少なくとも物に当たることはよくないと思うわ」
心配そうにしつつも真面目な表情をしている薫先輩。
彼女の言葉はおかしなことではないし、彼女は正しいと思う。
真面目だし、幼馴染……というより保護者のような感覚があるから、言わずにはいられないんだろう。
だけど、それでも、なんでもいいから章を甘やかして欲しかった。
抱き締めるくらいの勢いで、章に優しくしてあげて欲しかった。
薫先輩が相手なら章は受け入れて、素直に甘えることができるのに。
でも、薫先輩はそんなことはしない。
眩しいほどに、悔しいほどに、誰に対しても同等の扱いをする。
なんとも言いがたい感情に苛まれていると、戸川も同じ気持ちなんだろう。
苦い表情で、ふたりの様子を見守っている。
「薫には関係ねぇよ」
「章、」
「うるせぇ!」
どんなに口が悪くても、こんなにきつい言い方をしている章ははじめてだ。
薫先輩はびくりと肩を揺らしたところで彼は小さく息をする。
章を思うと、それだけで呼吸ができない。
酸素を取りこむことはこんなにも難しかったかなぁ?
「……頼むから、放っておいてくれ」
彼にかける言葉を、ここにいる誰も持っておらず、ただその場を立ち去る章の背をみんなして見つめていた。
彼は、1度も振り向かなかった。