「あの数学の問題難しかったね。合ってるか微妙」

「わ、私は理科の問題の方が…物理の計算苦手で…」

教室を出るときいろいろ話を聞く限り、香澄ちゃんは勉強が苦手らしい。模試の結果もかなりギリギリで、無理してk高校を受けたらしい。
受かるかわからないけど、一緒に入れたらいいなと思う。いい子だし、面白いし。

「でもなんでそこまでしてK高に入りたいの?この辺だったらN高とか、M女とか近いじゃない?」

「え、えっとね。実はか、彼氏の家がここから近くて…彼氏は県出ちゃうんだけど、帰ってきたとき会いやすいかなぁと思って」

「へぇ、彼氏いるんだ!香澄ちゃんかわいいからいてもおかしくないけど、彼氏のためって一途だね」

「わ、私なんかにはもったいない人だよ。かっこよくていつも頑張ってて…あ、穂積ちゃんは彼氏いるの?」

その質問に、思考が停止する。彼氏、そうか、みんないるよね、普通。
告白されたことがないわけじゃない。中学のときも2回くらいあった。ふたりとも、いい人たちだった。
けど、ダメだった。どうしても、ダメだった。

「…小学校のときから、忘れられない人がいて、さ。どうしても、彼じゃないとダメだな、って思ったら、付き合えなくて。彼氏はいたことないよ」

「穂積ちゃんもかわいいのに…純情ですね」

そんな単純なものなのだろうか。こんなしつこくねちっこい、未練がましい想いを、純情と呼べるのだろうか。
そこからなんとなく生返事しかできなくて、やっと校門だ、と思ったとき、懐かしい人が、そこに、いた。

何度も願った。忘れたいと。
何度も祈った、会いたいと。

そんな彼は、こっちに向かって微笑む。

「颯太くん!」

香澄ちゃんの声に我に返った。彼が近づいてくる。彼から目が離せない。
視線があったとき、彼が、目を見開いた。

「望、月」

「氷渡」

「颯太くん、穂積ちゃん知ってるの?」

「あ、ああ。小学校の、同級生」

ああ、なんだ。そういうことか。我ながらバカだ。非常にバカだ。
香澄ちゃんの、甘えるような声。優しい望月の微笑。二人の優しい空気。

私はバカだ。いつまでもバカだ。

「…彼氏?」

「あ、うん。中2のときから…」

「香澄」

彼女の名前を呼ぶ声は、澄んでいる。けれど私を見つめる瞳には、なんの色も、感情も、ない。

「…帰ろうぜ」

「う、うん。じゃあね穂積ちゃん。入学式、会えたらいいね!」

香澄ちゃんの声に、小さく手を振る。
ぱたりと落ちた手を、ただただ見つめる。二人は振り返らない。知ってる。

忘れていてくれなかったことを喜ぶべきか、嘆くべきか。
かっこよくなってた。筋肉もついてた。練習頑張ってるんだろうな。私の知らない望月を、香澄ちゃんは、たくさん知ってるんだな。

「…帰ろ」

まだ高校落ちてないぞ。何も悪いことしてないぞ。

なのに、涙を我慢できなかった。

君との糸が、ここで途切れてくれればよかったのに。



神様は、とんでもない悪戯っ子だったんだ。