キミの笑顔が見たいだけ。



「菜都……手術のことは、これから話し合って決めよう」


「うう、ん……その必要はない、よ。あたしには、もう……っ時間がないの。だから……今、決めた」


「菜都、でも……」


「おと、さん……お願い。あた、しの……最後の……ワガママ、聞いて。まだ……諦めたく、ないの……生きる、ことを」


必死になって訴える菜都。


俺は……バカだ。


なんで諦めようとしてんだよ。


俺は……俺だって!


菜都の前で諦めないって誓っただろ?


助かる方法があるってのに、なにを弱気になってるんだ。


信じなきゃ叶わねーんだよ!


しっかりしろよ、俺。


ーーガラッ


気づくと部屋のドアを勢いよく開けていた。


「俺からも……お願いします!菜都に手術を受けさせてやって下さい!」


死ぬのが怖いって言ってた菜都が、こんなに必死に生きようとしてるんだ。


俺が諦めてどうすんだよ。


好きなら一番に味方になってやらなきゃダメだろ。


「晶斗……お前、なんでここに」


「菜都が大変な時に、のんきに授業なんか受けてられるかよ!頼むよ、オヤジ。医者だろ?すげーんだろ?菜都を……っ、菜都を助けてやってくれ……っ」


オヤジの目をまっすぐに見つめる。


視界の端っこには、ビックリしたような表情を浮かべる菜都がいた。


調子がよくないのか、青白い顔をしている。


呼吸も苦しそうだ。


「先生……あたしからも、お願い。助けて、下さい……っ」


生きることを諦めていた菜都の心の声。




「俺からも……頼むよ!菜都は……俺と同じ未来を歩いて行くって決まってんだ。病気なんかに、負けてたまるかよっ」


声がかすれて目の前がボヤけた。


泣くな。


男が泣くなんて、みっともない。


我慢しろ。


出てくるなって……っ。


これ以上、菜都にカッコ悪いところは見せたくねーんだよ……。


思いとは裏腹に涙が頬を伝った。


情けねーな……マジで。


カッコわりー。


「あ、あたしも……っ負けたく、ない。だから……助かる方法がある……なら、なんだって、する。たとえリスクがあったとしても、何もしないでいるよりかは、マシだもん……っ」


ベッドの上で菜都が静かに涙を拭った。


今までこんなに必死な菜都の姿を見たことがない。


それだけ本気だってことが伝わってきて、今度は俺はおじさんに向かって頭を下げた。


「手術を……受けさせてやって下さい……っ!」


カッコ悪いなんて言ってられるかよ。


みっともなくたっていい。


菜都が助かる道があるなら、それ以上のことはないだろ。


菜都の未来を諦めてほしくねーんだよ。


おじさんは神妙な面持ちで、なにかに迷っているようだった。


成功する確率は10%……。


失敗すれば死ぬかもしれない……。


決して高くはない成功率。


まだ余命があるにも関わらず、手術中に命を落とす可能性だってある。


簡単に答えを出せないおじさんの気持ちも、わからなくはない。


「お父、さん……っお願い。あたし、絶対に大丈夫。大丈夫、だから……」


まだ迷っているであろうおじさんの手を、菜都がギュッと握る。




「……わかった。菜都がそこまで言うなら、精いっぱい応援するよ」


おじさんの目から、涙がこぼれ落ちた。


それと同時に菜都の目にもブワッと涙があふれる。


「ありが、とう……っ」


手を取り合って涙を流す2人を見ていたら、俺までもらい泣きしそうになって見えないように背中を向ける。


今まで誰かのために一生懸命になったり、泣いたりしたことなんてなかった。


だけど今なら、大切な人のためならなんだってできる気がする。


菜都のおかげで俺は変わった。


「晶斗くん……菜都のために、ありがとう」


「いや、礼を言うのは……俺の方です」


初めて本気で好きになった。


人のためになにかしてやりたくなった。


失いたくないと、心の底から願った。


この先の未来に、菜都がいないなんて考えられない。


たとえどんな後遺症があろうと、一生眠ったままだろうと、生きていてくれさえすればそれでいい。


それ以上、望むことはなにもない。


だから頼むよーー。


菜都から未来を奪わないでやってくれ。





「なっちゃん、調子はどう?」


朝、矢沢先生は必ず病室を訪れる。


優しく微笑んでいる顔は晶斗にそっくりで、なぜかホッとさせられるんだ。


「顔色はいいみたいだな」


「調子いい、かな。今日は起き上がることができるから」


いつもはめまいがするのに、今日はそれがない。


「それはすごいな」


「えへへ」


頑張るって決めたから、もうくよくよするのはやめる。


少しでも可能性があるなら、未来を信じてみたい。


本当はすごく怖いけど、奇跡を、可能性を信じてみたい。


諦めたらそこで終わりだって教えてくれた、キミのために。


だからどんな時でも笑っていようって思った。


あたしの笑顔が好きだと言ってくれた晶斗のために、あたしのために泣いてくれた晶斗のために……。


あたしができることは、笑うことくらいしかないから。


何にも負けないくらい強くなりたい。


「前に詳しく説明した通り、治療が長引けば何年も帰ってこられないかもしれない。脳を触ることで、一生寝たきりの生活になるかもしれない」


矢沢先生はあたしの覚悟を再確認するように、真剣な眼差しを向けてきた。


「大丈夫です」


同じように真剣に返す。


もう迷わない。


「出発は1週間後に決まったよ」


揺るがない覚悟を目の当たりにした先生は、フッと頬をゆるめた。


「出発までに体調管理に気をつけないとな。飛行機に乗れなかったら、元も子もないだろう?」


「うん、頑張る」


あたしは、アメリカにある最先端の医療技術を持つ病院で手術することになった。


全世界でも症例の少ない手術で、なおかつ日本ではまだ取り入れられていない。


成功率が高いとは言えない困難な手術。




それでもあたしは迷わなかった。


だって、他に助かる方法がないから。


何もしないでいるより、悔いのないようにしたい。


「あたしがアメリカに行くことは、晶斗にはまだ言わないでほしいの」


「どうして?」


「ちゃんと、あたしの口から言いたいから」


そう、ちゃんと言わなきゃ。


「オッケー、わかったよ。俺はなっちゃんが帰ってくるって信じてるからな」


「帰ってこられるといいんだけど……」


なんて、信じていないわけじゃない。


でも……怖い。


もしもの可能性の方を考えてしまう弱い自分がいる。


ダメダメ、強くならなきゃ。


「大丈夫だよ、なっちゃんは。こんなに頑張ってるんだから、きっと神様も味方してくれる」


先生は励ますようにあたしの肩をポンと叩いた。


とても優しい眼差し。


「手術が成功して……日本に帰ってくることができたら……その時は」


そう、その時はーー。


キミと同じ未来を歩いて行きたい。


キミの隣で笑いたい。


そう思うんだ。


成功率10%のあたしの未来。


「信じて待てないほど、あいつはヤワじゃないよ」


「うん、わかってる。でも……」


優しい晶斗なら、何年でも待っててくれるって。


でも、もしうまくいかなかったら?


そのまま死んじゃったら?


きっと今以上に苦しめることになるでしょ?


そんな言葉が喉元まで出かかったけど、口にはしなかった。


先生はそれ以上何も言わず、ただあたしの頭を優しくポンと撫でてから病室を出て行った。




その日の夕方になると、疲れが出たのかフラフラした。


入院してからトイレ以外はほぼ寝たきりだったから、体力がかなり落ちてしまっている。


久しぶりに長時間起きているせいか、血の気が引いていく感覚がする。


情けないな、今のあたし。


今日は晶斗がお見舞いに来てくれるっていうのに。


学校が終わると一目散に来てくれた晶斗は、病室に入るなり心配顔を見せた。


「顔色悪いけど、大丈夫か?」


そう言いながらベッドのそばまで来ると、パイプ椅子に座って手を握ってくれる。


温かくて大きな手。


大好きな温もりだ。


「さっきまで元気だったんだけどね」


えへっと笑って見せても、よっぽど悪く見えるのか、不安げな表情は消えない。


「あんまムリすんなよ」


「うん、わかってる。でもね……晶斗がきてくれたから、なんだか嬉しいんだ」


体は疲れてるけど、心がこんなに弾んでるのは晶斗のおかげ。


あたしはいつだってキミに助けられている。


晶斗といると頑張ろうって思えるんだ。


「あたしね……晶斗と出逢えてよかったって思ってるよ」


「はは。なんだよ、いきなり」


晶斗は照れくさそうに微笑んだ。


変わらない笑顔。


両手で手を包み込まれてドキッとする。


「いきなりじゃないよ。前にも言ったでしょ?晶斗に出逢うために生まれてきたんだって。ほんとにありがとう……」


こんなあたしのそばにいてくれて。


励ましてくれてありがとう。


そんな晶斗にはちゃんと言わなきゃ。


伝えなきゃ。


「あたしね……アメリカに行くの」


「え……?」


「アメリカの病院で手術を受けるの」


「アメ、リカ?」


思いもしていなかったのか、キョトンとした様子の晶斗。




「今の日本の医学では治せないから、アメリカに行かなきゃいけないの」


声が震える。


喉がカラカラに渇いて、うまく息が吸えない。


「待ってて……」


ほんとはそう言いたい。


でも……。


でもっ。


「くれなくていいよ」


絞り出した声は、自分でも驚くほど冷静だった。


そう、待っててくれなくていい。


これ以上、あたしのワガママで晶斗を苦しめたくない。


不意に視界がボヤけて、生温いものが頬を伝った。


涙がバレないように、顔を必死に反対側に向ける。


でもきっとバレバレだ。


「なんだよ、それ」


「何年も帰ってこられないかもしれないし……どんな姿になってるかも、わからないから」


もしかしたら、二度と……帰ってこられないかもしれない。


だけど、それは口にしない。


「何年でも……何十年でも……俺は……っ」


「待たなくて、いい」


かすれたような晶斗の声を遮った。


泣いてちゃいけない。


ちゃんと想いを伝えなきゃ。


「晶斗は幸せになるために、しっかり自分の未来を生きて。あたしは……晶斗が諦めないでいてくれた命をしっかり守ってみせるから。頑張るから、だから……」


あふれる涙を手で拭う。


「もし、日本に帰ってくることができたら……今度はあたしから、会いに行くよ」


そして、気持ちを伝える。


「晶斗の気持ちが変わってなかったら……その時は」




「その時……は」


同じ未来を歩いてくれる……?


言葉に詰まって最後まで言えなかった。


涙がとめどなくあふれて止まらない。


握られたままの手が小さく震えていたけど、それはきっとあたしが泣いているせいで、晶斗の手が震えているわけじゃない。


ごめんね、ワガママなあたしで。


今まで散々振り回したのに、最後の最後までほんとにごめん。


待っててと言えば待っててくれる優しいキミを、これ以上縛りつけたくない。


数年後、数十年後、もし帰ってくることができたなら。


今まで何度も気持ちをぶつけてくれたように、今度はあたしから想いをぶつけるよ。


必ず探し出して、会いに行くから。


だから、待っててなんて言わない。


「考えは変わんねーんだな……?」


ボソッと呟いた言葉に小さく頷く。


「納得できねーけど……どうせ、言い出したら聞かねーんだろ?」


苦しげな、でもどこか諦めにも似たような優しい声。


こんな時でも笑ってくれるなんて、キミはどこまであたしを想ってくれてるの。


胸が張り裂けそうになりながらも、あたしは再び小さく頷いた。


「わかったよ……」


「ごめんね……ありがとう。ひとつだけ約束してくれる?」


涙を拭って、晶斗に向き直る。


「なんだよ、約束って」


真剣でまっすぐなその瞳に吸い込まれそうになる。


「どんな時でも笑顔でいて?あたし……晶斗の笑った顔が好きだから」


そう、キミの笑顔がーー。


たまらなく好きだから。




一緒にいて、どれだけ元気づけられたかな。


たくさん助けられたよ。


「笑顔でって……ムリ、だろ」


「晶斗が笑ってくれると、あたしも笑顔になれるんだよ」


普段はクールなのに、笑うと子どもみたいで。

無邪気なその笑顔が好きだった。


大好きだった。


「わかっ、たよ。じゃあ俺も、ひとつだけ言わせて」


涙をこらえて振り向くと、ぐっと顔を寄せてこられて思わずドキッとする。


ふわふわの茶髪と、髪の毛の隙間から見え隠れする小さなピアス。


耳にかかる吐息に、くらりとめまいがしそうになる。


「待たないって約束する。だから……っ絶対に……絶対に帰ってこい」


力強くて真剣な瞳が泣きそうに揺れていた。


不安なのはあたしだけじゃない。


晶斗も同じなんだ。


「うん……わかった」


10%の望みを捨てたくない。


「次に会う時は、笑顔でって約束しろよな」


大きな手のひらに頭をクシャッと撫でられた。


この手の温もりを忘れない。


ツラい時、悲しい時、苦しい時、逃げ出したくなった時ーー。


思い出して頑張るよ。


絶対に忘れない。


「笑顔で、ね」


「俺は……待たないからな。待ってねーから、絶対に帰ってこい」


「……っ」


待ってるから、絶対に帰ってこい。


そんな風に聞こえるのは、あたしのカン違いなのかな。