「ただいまー」
声を張り上げる事はしないけど、未だに守っている教え。
私にとってずっと当たり前の事だから。これからも。
リビングに近づくにつれ、微かに聞こえる話し声に扉の前で立ち止まる。
声の聞こえる方向に耳をすます。
だいぶ一方的に話したあと、すぐ頷く声が遠くに聞こえて、なんだ電話かと安堵する。
無意識にドアノブの上で止まっていた手で扉を開け、ダイニングテーブルの方へと向かう。
キッチン寄りのテーブルの上は、必ず目が行くから。
床にスクールバックを置いて、頼まれていたものを袋ごとテーブルにのせる。
ストック場所はわかるが、声をかけるのも気が引けるので目立つ所に置いておく。
ついでに乾いた喉を潤そうと、キッチンにまわり冷蔵庫を開ける。
お茶でも飲もうかと思い、声のする方に目を向ける。
「うん、わかったよ。はーい、それじゃあねー」
食器棚からコップを取り出せば、間延びした母の声が電話相手にそう告げた。
自分と母のとそれぞれにお茶を注ぐ。
電話が来る前は、多分ほかの事でもしていたのだろう。
グラスが出ていなかったから、休憩するつもりではなかったみたいだし。
「あら、おかえり。
ごめんなさいね、お姉ちゃんから電話が来ていたの」
「うん、ただいま。
全然いいよ、それより電話よかったの。用事だったんじゃないの?」
私が帰って来て、不自然なくらいに丁度良く切られた電話を見る。
どっちにしろ部屋がある2階にすぐ上がる予定で。
邪魔をしても悪いから、お茶だけ持って行こうと思っていた。
「いいのよ、今週末帰ってくるって言ってただけだから。
置いたままのものが急ぎで必要だからって」
そう話す母にお茶を手渡すと、ありがとうと言って受け取った。
今は離れて暮らす姉は、こうしてたまに連絡を寄越しては帰ってくる。
「そ、帰ってくるんだ」
自分で発したあまりにも素っ気ない声に呆れる。
特に会話はないし、楽しみにするとしたならちょっとした手土産くらい。
母は姉が帰ってくるたびに様子を聞きたがるけど。
そこまで歳は離れていないけど、社会人になった姉とは距離がある。
それは当たり前なのだろうけれど、どちらから共なく心理的にも程々を保っている。
(だからと言って、こんなに無関心でいいのか)