「…ん、……」

少女、立花蓮は呼ばれる声に気づき、まだ不鮮明な意識の中小さく目を開けた。覚醒しない意識の中、ぼやけた視界に見慣れた黒髪が映る。

擦った眠い目の下には小さな黒子。何度かまばたきをしてあくびをすると、涙が滲んだ。

わたし、また寝てたんだ。

そう思い蓮がもう一度目を擦ろうとした時、目の前から出された人差し指が涙をすくった。ひんやりとしたそれに蓮がくすぐったそうに吐息をもらす。

「ね、勇輔くんの手、つめたい。」

蓮がそう言うと、黒髪の男、田久間勇輔は目を猫のように細めて笑う。

「目、覚めただろ。」

鮮明になった視界で蓮の目に映ったのは、いつものように笑う彼で、ほっとする。

「うん、ごめん寝ちゃってた。今終わったの?」

「そ、遅くなってごめんな。」

勇輔くんの言葉に首を横に振ると、彼女は机の上の参考書やノートをまとめて、鞄の中に仕舞う。

結局途中で寝ちゃったんだ、帰ったら終わらせないと。

そう思い支度を済ませて最後にカーディガンを羽織ると、勇輔くんがこちらを見て待っていた。

「準備出来た、ありがと。帰ろっか。」

そう言って笑うと、彼は私の手に自身の手を絡ませて、いつもの様に歩き出す。

「あ、蓮。」

思い出したかのように勇輔くんが呟く。

「なに?」

「蓮、目つぶって。」

言われた通り目をつぶれば、彼の甘い香りがふわっとわたしの鼻腔をくすぐった。

そして、ひとつに重なる影。

甘い、とわたしは思った。香りも、この行為も、彼の行動のすべても。

まるでわたしに、気付いてほしいかのように。彼は、甘いと、そう思う。


重なった影が静かに離れたとき、勇輔くんが呟く。

「蓮、じゃあ帰ろっか。」

わたしは頷いて、この甘ったるい空間から逃げ出すため、彼に手を引かれながら教室を出た。