恐る恐る鍵を鍵穴に差し込み、自宅の中へ入る。居間の電気はまだ明るくついていた。


「……ただいま」


小さな声で居間のドアを開けると、厳しい表情をした父親と心配そうな表情をした母親が佑香の帰りを待っている。



「おかえり」


厳しい表情を崩さないまま、父親は佑香に言った。


「ただいま……」


「飯は食べたのか?」


「……ううん。まだ」


「早く食べてしまいなさい」


食卓についたまま、父親は佑香に夕飯を食べるよう促す。


それに佑香も従った。


母親が用意してくれていた夕飯をレンジで温め直していると、父親が佑香の名前を呼ぶ。


返事をして、父親の正面に座った。


「最近、何度も夜遅くに帰ってきているようだが、何をしてるんだ?」


「……」


言葉につまる。


父親にどうやって大月との楽しい時間を説明すればいいのか分からなかった。


恋心を父親に訴えるには、あまりに滑稽に思えるし、だからと言って誤魔化すことも出来ない気がした。


「別に男の人と付き合ってるならそれでもいい。お前だってそれなりの付き合いをしてもおかしくない年頃だ」


「え……」


もしかしてバレているのだろうか。


驚いている佑香に父親は溜息をついた。


「だけどな、佑香。絶対入りたいと言って入った美大のはずなのに、絵も描かず、夜中まで男の人と遊びまわる事が本当にお前のしたかったことなのか?」


父親の言葉が胸に突き刺さる。


何も言えないでいる佑香に父親はそれ以上何も言わなかった。


レンジが温め終了を告げる音を静まり返った居間に響き渡せる。


しかし佑香は動く気になれなかった。


気を利かしてか、黙って聞いていた母親がレンジの中にある佑香の夕食を取りに行く。


「……」


大月との関係はきっと父親が考えているような関係じゃない。


ただ、ずっと一緒に話をしているだけなのに。


その事を伝えたいのに、言葉が出て来ないのは、佑香の中にどこかしら期待をするような気持ちがあったのかもしれなかった。


「もう一度、今後の将来をどうしたいのか自分で決めなさい。佑香が決めた事は誰も文句は言わない」


そう言って父親は席を外した。


明日は朝から会議が入っているらしい。



母親も気を利かしてか、居間を出て行った。


一人残された部屋の中で佑香は朦朧とした思考の中考える。 


本当に自分のやりたいこと。


将来。好きな人。


天秤にかけること自体間違っている。


ましてや大月と付き合っている訳ではない。


来月のコンクールに向けての油絵作品を一週間も放置していることも事実だった。


美大に合格した際に、父親は自分の書斎をベッドルームに無理矢理移動させ、佑香専用のアトリエとして部屋を譲ってくれた。


「ありがとう」と言った佑香に「やれるだけやってみろ」と言ってくれたのも父親だった。


恋心に少しばかり浮かれ過ぎていたのかもしれない。


椅子から立ち上がり、部屋を移動する。


ドアを開け久々にキャンバスの前に立った。


一週間放置されたキャンバスの上に塗られた油絵の具は、すっかり乾ききっている。


ジャクソン・ポロックの真似ごとをしていた表現は、ただの真似で滑稽に思えた。