十六時から二十一時までのスーパーは午後十八時がくるまで暇である。
来る客と言えば、子供連れの主婦が夕飯の仕度をする為に少しの材料を購入し、学校帰りの中学生や高校生が知れた程度の菓子類を購入していくだけだ。
仮に佑香のレジの前に列が出来たとしても、買う量はたいしたことがないので、アルバイト歴一ヶ月で仕事の能率が悪い佑香でもさばくことが出来る。
最も大変なのは、刺身や肉類などの消費期限の早い物のタイムセール時になる二十時半頃。
千二百円もする刺身がスーパーの閉店時間に近づくにつれて、最大七十パーセントオフになるのだ。
初めて作業をする際、七十パーセントオフと書かれたシールを見て、驚いた記憶がある。
馴染みの店だと思っていた場所の新たな一面を垣間見た瞬間だった。
その日は驚く程客の来ない日で、空いている時間は棚おろしをしていたのだが、それもすることもなくなり、レジの中で先程のイラストの続きを描き始める。
人間は男がいいか。
女がいいか。時の中に閉じ込められ、現代に生きているのに、生きていない。
息苦しさの中から生み出される新たな感情は、まるで……まるで……。
「篠村さん」
「うわあっ!」
唐突に背後から名前を呼ばれ、色気のかけらもないような叫び声をあげてしまう。
「ちょっと、驚きすぎですよ」
そう言って笑ったのは、佑香よりも二ヶ月先にここのスーパーで働いているらしい、大月智宏(おおつき ともひろ)だった。
「すいません」
謝りながらメモ帳をポケットの中にしまう。
「いえいえ、なんか暇だなと思って。僕篠村さんとあまり話した事もないし。自己紹介からどうかなと思って」
ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべながら、大月は言った。
柔らかな雰囲気にのまれ、佑香も笑みを返す。
「篠村です。えっと、広中(こうちゅう)美術(びじゅつ)大学、油絵学科三年です」
「へえ、篠村さんって美大だったんだね。俺は東京海洋(とうきょうかいよう)大学三年。史学部です。篠村さん東京海洋大学って知ってる?」
「えっと……」
「駅伝で去年優勝したとこだよ」
「ああ!」
確か両親が毎年元旦に見ている駅伝に出ていた気がする。
「まあ、俺は駅伝出るような人間じゃないけどね。篠村さんは、油絵好きなの?」
「好きですよ。大月さんは史学部だから、歴史ですよね?特に何を勉強されてるんですか?」
「俺は古代エジプトを中心に調べてるんだ。ほら、遊具王ってあったの覚えてる?あれで、興味湧いちゃって」
「遊具王って、カードゲームのですよね?まだアニメやってませんでしたっけ?」
「やってる、やってる。篠村さん、アニメ好きなの?」
「えっと……まあ。はい」
やや遠慮勝ちに佑香は言った。
初対面ではないが、あまり親しくない他人に自分がアニメオタクだとはあまり堂々と言える事ではない。
しかし、大月はそんな佑香の微妙な乙女心を気にする風でもなく、むしろ好感を持った様子でやや興奮気味にレジのブースに身を乗り出した。
「俺も好きだよ!アニメ。今期のアニメはイマイチじゃない?せいぜい面白くて、月明かりに。ってやつだと思うんだけど。ほら、コレナド制作してる会社が作ってるやつ。シングルファザーの男が子育てに奮闘する、よくあるような設定なのに、コレナドは本当泣けるシーンもあるし、下手なドラマなんかより全然面白い。俺、あのアニメが一番好きかも」
「コレナドは面白いですよね」
「篠村さんは、好きなアニメあるの?」
「ロボット系とかが、好きです」
「へえ、女の子なのにロボット系って珍しいよね。グランレゴンとか?」
「そうですね」
「俺、グランレゴンきちんと観た事ないかも」
「今度DVD貸しましょうか?面白いですよ」
「って、持ってるんだ」
「レンタルショップで借りても面白いんですけど、きちんと購入した人だけについてる特典アニメがあって、それが欲しくて」
「もしかして、ニコニコで時々ネタにあがってるやつ?」
「そうです。本編は使ったらいけない言葉が入ってたらしくて、地上波放送出来なかったみたいで」
「そうだったんだ。なんかめっちゃ観たくなってきた」
「貸しますよ。私のDVDでよかったら」
「いいの?」
嬉しそうに顔を綻ばせ、大月ははしゃぐ。
「ちょっと、そこ喋りすぎよ」
はしゃぐ大月を見て、パートの責任者のおばさんに注意をされた。
それに堪える様子もなく、大月は嬉しそうな表情で自分の持ち場に戻って行く。
「アニメ好きなんだな」
それが大月に対する篠村の最初の印象だった。