しばらくして、2階から降りてきた沙織の姿は、僕が想像していた沙織より酷(ひど)かった。


 僕は沙織をこんなにしてまで苦しめてしまったと、改めて自分の身に訴えた。

 「沙織」彼女を見て呼びかけた。

 だが無言で、僕の前のソファに座った。

 そして手を握りしめ、下を俯いている沙織にもう一度名前を呼んだ「沙織」と

 「どうして、どうして来たの」俯きながら小さな声で沙織は言った。

 「迎えに来たんだ。とはいっても今、沙織が帰る家はここだけどね」

 沙織は黙っていた。そして

 「あなたは私をどこへ連れ出そうとしているの」

 「もちろん、僕にところに」

 「貴方は読んだんでしょ、私が置いてきた手紙を」

 「ああ、読んだ。読んだから知っている君の病気を。君がどうして僕の前から姿を消したのかを」

 「それなら、どうして今来るのよ。家にまで押しかけて」

 「そうだ、押しかけて来た。もう一度君を、沙織を僕のところに戻すために」

 「そんなこと言ったって、私の記憶は、あなたの記憶が消えてしまうかもしれないのよ。私の気持ち解っていないじゃない。あの手紙読んでも、全然あなたは解っていないじゃない」


 沙織は声を大きくして、僕に怒鳴るように言う。


 「そうだよ、解ってない。解りたくない。そんな事。そんな事俺は解りたくない」


 僕も声が大きくなった。それでも沙織の両親は黙って僕らを見守ってくれていた。

 「あなたは馬鹿なの。私はあなたの事、達哉の事忘れたくないから、忘れたくないから辛くても、どんなに辛くても達哉の事失いたくないから……こうしたのよ。

そんな私の気持ちも分からないほどの馬鹿だったのあなたは」


 「ああ、大馬鹿だ俺は。例え沙織が俺だけの記憶を失くしたとしても、俺はそれでいい。


だから、俺はそれまでの間でいい、いやそれからも俺は沙織を愛し続ける。だから俺は大馬鹿なんだよ」


 「ば、ばか。貴方が辛いだ、だけで、しょう……」


 沙織は涙を流した。たくさん沢山の涙を流した。馬鹿、馬鹿と言いながら。

 「沙織、戻って来い。僕のところへ。そして一緒に作ろう二人の思い出を。例えそれが失わようとも、めいいっぱい二人で思い出を作ろう」