奏士「ねぇ、お姉さん。僕の恋人にならない?」
蒼 「えっ。あ、あのね、奏士くん。
(こんなにたくさん人の通るところで、そんなに見つめないでよ。
何だか……胸が苦しくなるじゃない)」
人間というのは、5秒以上じっと見つめられると、
何とも言えない息苦しさを感じるものだ。
特に意識した相手なら尚更、心臓は持久走を走る時のように、
ドックンドックンと段々早くなっていく。
彼と視線が合った瞬間、
ハートがドキンと大きく波打って存在を教えてくる。
これって恋の始まり時に、一度は誰でも経験したことのある、
恋愛症候群の諸症状かもしれない。
奏士「ねぇ、お姉さん。しっかり固まってない?」
蒼 「だ、だって!いきなりあっけらかんとして、
『付き合わない?』なんて言われても、なんと返せばいいか」
奏士「僕は蒼さんが気に入ったから、素直にそう言っただけ。
自分を変えてみたいって思わない?」
蒼 「変えるって」
奏士「今すぐ返事しなくてもいいから、さっきみたくシカトはしないでよ」
蒼 「えっ。は、はい」
奏士「あっ、それから。
今度、そこの都立中央美術館で、
ダ・ヴィンチとかドラクロアなんかの絵画が集まる、
『西洋巨匠絵画展』があるんだ。
今度の日曜日なんだけど、一緒に行かない?」
蒼 「こ、今度の日曜日!?」
奏士「もしかして。
お姉さんの色を引き出した人とデートの先約あり?」
蒼 「えっ。せ、先約なんか、無いわよ。
日曜日の休みは、いつも……」
奏士「今現在、恋人居たりする?」
蒼 「いいえ!居ません。
現在は募集中で、と言うかね、一方通行の恋って言うか」
奏士「はい!じゃあ、デート決まり!
ここに11時待ち合わせね」
蒼 「えーっ!決まりって勝手に決めないでよ」
奏士「もしかして嫌?」
蒼 「嫌とかじゃなくて」
奏士「じゃあ、OKってことだね。
はい、メモ。
それに僕の携帯番号とメルアドを書いてるから」
蒼 「あっ。チケット代はおいくら?」
奏士「お金はいいよ」
蒼 「貴方は学生、私は社会人。
チケット代は払うわよ」
奏士「渡したチケットは美術館でバイトしてる油科の先輩から貰ったんだ。
それに学生でも、デート代くらいはあるからご心配なく」
蒼 「そ、そう。ありがとう。
じゃあ、お言葉に甘えるわ。
あっ。私の携帯番号、奏士くんに言っておかないとね。
えっと、携帯は」
奏士「ああ、今はいいや。後でメールで送って。
僕はこの後ファミレスでバイトがあるから、
すぐ返事返せないかもしれないけど、休憩入ったら必ず返事するからさ」
蒼 「ファミレス……バイトしてるんだ」
奏士「うん。駅前の“ファミリア”で火、木、土はね」
蒼 「(アルバイトしながら学費を稼ぎ、画家を目指してるのね)
そっか、分かったわ。あとでメールするね」
奏士「うん。じゃあ、またね。赤いメガネの蒼さん!
ラブメール待ってるから」
蒼 「うっ。ま、またね。
(だから、赤いメガネ言うなって)」
私は渡されたメモとチケット、そして彼の絵をしっかりと握る。
奏士くんは何事もなかったように筆を握り絵を描きだした。
私は振り返りながらいつもの駅へ向かった。
何度見ても彼の絵はとても綺麗で心を奪われる。
どうしてこんな色使いできるのだろう。
絵を売ってバイトしながら大学に通い、美術の専門分野を学ぶ。
何年か社会人を遣ってる私とは全く異なるオーラ。
自由奔放で別世界の住人のように感じるけど、
何故だか会うと自然と近寄れてしまう不思議な人。
それってこの絵のせいなのかしら。
それとも、私にはまだ見えない、彼が放ついろんな色に秘密があるのか。
今日は2日の木曜日。
今度の日曜日と言うと、あと3日しかない。
彼の勢いに負けてデートOKしてしまったけど、
本当にこれでいいのかな。
まだ恋人になるって返事したわけじゃないし、
これって友達としてのデートと受け止めればいいよね。
だけど……もし紺野さんと仲良くなれて、
万が一付き合おうなんて言われたらどうすればいいの。
奏士くんのペースに流されたままで、私は本当にいいのだろうか。
(青山のBスタジオ)
絵をじっと見つめながらあれこれと思いを巡らし、
深い溜息をついて電車に揺られている頃。
妹の茜は雑誌の撮影を終えて帰ろうとしていた。
スタッフ「茜ちゃん、今日凄く良かったよ!
長丁場の撮影、お疲れ様!」
茜 「ありがとうございまーす!お疲れ様でした!」
男性の声「茜ちゃん!」
この渋い声の主は、東光世(あずまこうせい)さん、36歳。
有名な写真家で、現在は“スター・メソッド”の契約カメラマンであり、
茜もこの会社のモデルをしているのだ。
“スター・メソッド”である神道社長とは無二の親友。
この度、社長が仕事を頼み込んだらしく、
エジプトのカイロから急遽、東京へ帰ってきた。
16歳の時から父親の転勤を含め、
アフリカやインド、東ヨーロッパなど世界中を旅して、
沢山の写真集を出している。
27歳の時に、最優秀ファインダーイメージ賞を受賞。
その後、最優秀ピクチャー賞、世界報道カメラ大賞と、
その道の大賞を総なめしてきた凄腕。
つい最近は、海外の戦地でシャッターを押していたらしい。
茜 「東さん、お疲れ様です!」
東 「茜ちゃん、お疲れ!
こないだ話していたMiruMiru特集号のことだけどさ、
君の双子のお姉さん、出てくれそうにない?
まだ無理そうかな」
茜 「あー。蒼ちゃんはこういう世界は頓と駄目なんで、
タイミングを見計らって、
もう一度話してみようとは思ってるんですけど……」
東 「そう。この仕事を依頼した渡来編集長がさ、
新年号の特集でこの企画をどうしてもやりたいらしくてさ。
来年にベイサイドシアターで開催される、
『アニメコスプレイベント』に先駆けて、
10月の第1週の土曜日に打ち合わせをするってうるさくてね」
茜 「え?10月第1週って、後1ヶ月しかないじゃないですか」
東 「だろ?何とか上手くごまかしてでも、連れてきてくれないかな」
茜 「あの、それって、私達じゃなきゃ駄目な仕事なんですか?
年齢的に私達じゃ際どいと思うし、
他にも双子のタレントさんいるじゃないですか」
東 「ほら、それは前にも説明したでしょ。
人気アニメ『ツイン・ビクトリア』の、
ポイボスとダイアナのキャラに合わせて、
正反対の性質を持つ双子じゃなきゃだめだって。
偏屈オヤジの拘りでね。
他のタレントさんは、大体みんな行動パターンが似てるから、
キャラに合う役者やモデル探すの大変なんだよね。
だけど、職業も思考も違う君たちは、
それにもってこいって訳だから頼むよ!
ギャラは弾むから、お姉さんにそこんとこもついといて」
茜 「はい、分かりました。頑張って説得してみます」
東 「じゃあ、宜しく!」
茜 「はい。お疲れ様でした。
蒼ちゃんがダイアナのコスプレして、カメラの前に立つ……か。
ファインダーから覗き見られてるシーンなんて…
浮かばないわぁ。
困ったなぁ。どう口説き落とそう」
東さんの外出する後姿をぼんやりと見つめ、
私が撮影に加わるシーンを妄想し、大きく溜息をつく茜。
その時彼女の許に、スタイリッシュな男性が近づいて声をかける。
彼は茜の彼、水城泰隆くん。30歳の双子座。
職業は美容師で、茜の専属スタイリストをしている。
そして、モデルや女優さん達の担当もこなす、カリスマ美容師でもある。
ヤス「茜!お疲れ!もう終わったのか?」
茜 「ヤスくん、お疲れ様!
うん、終わったから家に帰るとこだけど一緒に帰る?」
ヤス「ごめん。実は水曜サスペンスの担当スタイリストの七瀬が、
早咲きインフルエンザでダウンしたらしくてさ。
ヘルプで仕事依頼されたから、
今から赤坂のAスタ入りでまだ帰れないんだよ。
七瀬の奴、病気まで流行先取りしなくてもいいのにな」
茜 「そっかぁ、じゃあ後でうちに来る?
蒼ちゃんに例の話もしないといけないし」
ヤス「うん、終わり次第行くよ。また電話する!」
茜 「分かった。今日キムチ鍋だから用意しとくね。
お仕事頑張って」
ヤス「おっ!いいね~。キムチ鍋。
暑い中汗かきながら食うのサイコー!
じゃあ、行ってくるよ」
茜 「うん!行ってらっしゃい」