食材の入った紙袋を手に帰宅した私たちは、さっそく夕飯の準備に取り掛かる。
と言っても、料理は私だけがしていて、識嶋さんはリビングのテーブルでノートパソコンを開き、仕事を始めていた。
……なんかこの光景って、ちょっと同棲してる恋人みたいだな……って、何考えてるの私!
違う違う。
そんなこと考えてる暇があったら、あれよ、あれ!
どうしたら識嶋さんがいい方向に変われるかを考えよう。
何かいいきっかけはないかとハンバーグのタネを手でこねながら思案する。
相馬先輩に相談するのもありだろうか。
それか他にいい友達でもいれば……ああ、そういえば社長が識嶋さんは友達も少ないとか言って──
と、そこまで考えて私は思い立った。
友達!
「それだ!」
目の奥を輝かせ、私は背筋をピンと伸ばす。
「どうした。頭でも打ったか」
私の声が大きかったのか、識嶋さんが怪訝そうな顔で私を見ていたけれど、構わず彼を振り返り。
「友達いりません?」
尋ねてみた。
すると識嶋さんは困惑した様子でさらな眉間に皺を寄せる。
「突然なんだ。本当に頭打ったんじゃ」
「私、立候補します」
彼の話を無理矢理遮って、ハンバーグのタネを掌にのせたまま挙手した。
「は?」
あ、口を開けて呆気にとられてる。
識嶋さんでもこんな顔するんだと、なんだか得した気持ちになりながら私はもう少しわかりやすく進言。
「識嶋さんの友達に、立候補です」
ようやく理解できたのか、識嶋さんはまだ多少動揺しているものの首を小さく横に振った。
「いや、俺にはそんなの必要は」
「いいものですよ、友達って」
「人の話を聞け!」
「嫌です」
「な、なんだと」
きっぱりと断った私に、彼は狼狽えて固まった。
ダメなのだ。
ここで私が折れては識嶋さんが嫌われてしまう。
本当はいいところもちゃんとあるのに、それがわかってもらえないままで人の心が離れていく。
それがどうしてか、私は嫌なんだ。
識嶋さんからしたら大きなお世話なのは百も承知。
それでも、きっかけがあれば変われる可能性があるのなら。
「あなたは捻くれて自分にまで嘘をつくから聞けません」
私が少しでも彼に近い存在になってフォローする。
「なりましょうよ、友達」
私の言葉に熟考しているのか視線を外し無言になってしまった識嶋さん。
あまりしつこくしてはいけないと、私はシンクで手を洗いながらこれが最後と思い伝える。
「会社ではさすがに無理でしょうけど、せめて、この家の中では」
ダメですか?
苦笑しつつ懇願すると、識嶋さんは小さく息を吐いて。
「……勝手にしろ」
まだ戸惑っているのか、視線を彷徨わせながらもパソコンへと向き直った。
少し強引だったかなと思うも、今はこれしかいいアイデアが思いつかないのでよしとし、私は引き続き煮込みハンバーグを調理する。
なかなかいい出来となった今夜のディナーを識嶋さんは「悪くないな」と遠回しに褒めてくれて。
上機嫌で部屋に戻った私はお風呂から上がると風に当たりにバルコニーへと出た。
少し強めの風に乗って、どこか遠くから車のクラクションが短く鳴り響く。
その音に誘われるように手すりへと寄れば、眼下に広がる夜景。
街を彩るように光る建物や車の明かりが美しく輝き、私の心もまた、最初にここに来た時とは比べ物にならないほど、明るいものになっていた。
識嶋さんに友達になろう、だなんて。
やっぱり人生、何が起こるかわからないものだ。
一陣の風が吹き、舞い上がる葉につられるように見上げた青い空には飛行機雲。
日曜日の昼時、私は夕飯の買い出しがてら、ウィンドウショッピングをしていた。
もうすぐ梅雨に入る時期。
どこのお店も夏を意識した商品が並んでいる。
爽やかな色合いが多い街並みの中を人並みを縫うように歩いていたら、知ってる人がこちらに向かってやってきた。
彼は私には気付かず、隣を歩く女性と会話をしていて。
彼女だろうか。
でも、彼女がいるという話を聞いたことがない私は、それなら見なかったことにする方がいいのかと悩む。
けれど、意外にも私に気付いた彼の方が気にした様子もなく声をかけてきた。
「高梨! 偶然だな」
「相馬先輩、こんにちは」
立ち止まり軽く会釈をすれば、爽やかなマリンシャツにバスクシャツを肩にかけた先輩の隣に立つ、ふんわりとしたうさぎのようにかわいらしい女性が私に綺麗なお辞儀をした。
「はじめまして。西園寺 優花(さいおんじ ゆうか)と申します」
ソプラノの透き通るような声で挨拶をされ、私は慌てて頭を下げる。
「高梨美織です、はじめまして。相馬先輩には会社いつもお世話になってます」
顔を上げると、西園寺さんは黒目がちな瞳を細め、奥ゆかしさを感じさせる笑みを浮かべた。
「そうなんですね。孝太郎先輩は会社でも面倒見がいいんでしょうね」
薄桃色のしっとりとした唇でふふふと優雅に笑えば、相馬先輩は「面倒見てるつもりはないんだけどな」と肩をすくめて。
「あ、高梨、昼飯はもう食ったか?」
「え? いえ、まだです」
「なら、俺らと一緒に食べないか? で、この辺りのいい店知ってたら教えてくれ」
いつもランチへ行くような気軽なノリで誘われた。
「いえいえ、さすがにデートの邪魔はできませんよ!」
馬に蹴られてはたまらないと、顔の前で両手を振って遠慮する。
と、二人は同時に両眉を上げてから顔を見合わせて笑った。
「え? え?」
なぜ笑うのかわからずに二人を交互に見ていれば、相馬先輩が違う違うと笑いをこらえながら説明してくれる。
「西園寺は大学の後輩。さっき偶然会ってさ、久しぶりだし、飯でも行こうかって話になったんだよ。でも、俺たちこの辺りの飯屋は詳しくないから悩んでたらお前に会ったってわけ」
「そうなんですよ。孝太郎先輩とお会いするのはもう一年振りくらいです」
西園寺さんは口元に手を添えて楽しそうに笑っていて、私は二人に苦笑いを向けた。
「なんだ、私てっきりお邪魔しちゃ大変だと勘違いしてました」
そして、先輩のプライベートにずけずけと入り込んではいけないと変に気を張っていたせいか、いつの間にか固まっていた体の力が抜く。
恋人ではないならお昼を一緒にするのは全然問題ない。
でも、初対面でも大丈夫なのかと西園寺さんに確認すると、彼女は嫌な顔ひとつせず「ぜひ」と言ってくれた。
それならばと、私はこの近くにある美味しいステーキ屋さんに案内する。
ここはたまに私も友人とランチに訪れるお店で、上質な黒毛和牛をリーズナブルで提供している人気店だ。
テレビでも度々紹介されていて、店内に入り席についてからその話をしたら、どうやら相馬先輩もおぼろげに記憶の中に残っていたらしく。
「確か無煙のロースターを使ってるんだろ?」
「そうです、それです!」
そこからはしばらくどこの焼肉も美味しいだオススメだのという会話をしていた。
西園寺さんもステーキは嫌いではないようで、彼女のオススメのお店も教えてくれて。
初対面のはずなんだけど、西園寺さんと私の年齢が同じという親近感もあってか、とてもいい雰囲気で食事を楽しんだ。
美味しいランチでお腹が満たされ、店を出る前にと相馬先輩がお手洗いに立つと、西園寺さんが「あの」と話しかけてくる。
そして、少し恥ずかしそうにしながら。
「高梨さん、良かったら私とお友達になってもらえませんか?」
嬉しいお願いをしてくれた。
こんな可愛らしい女性から友達になって欲しいと言われて誰が嫌な気持ちになるだろうか。
私は快く頷き、ぜひ仲良くしてくださいと伝えると、早速携帯のメアドを交換する。
直後、相馬先輩がお手洗いから戻ってきて、私たちは会計を済ませると退店した。
西園寺さんはこれからお迎えが来てくれるとかで、私と先輩は彼女と別れると駅に向かって歩き出す。
昼時を過ぎた街は人出も多くなり、賑やかさが増していて。
人にぶつからないように歩みを進めつつ、隣で歩調を合わせてくれている先輩を見上げた。
「相馬先輩ってお友達多いですよね」
「そうか?」
「そうですよ。しかも、あんなに可愛らしい子とか、御曹司様とかレベル高いお友達が」
「あー、まあ、玲司はたまたまだけど、西園寺は大学がそっち系の奴が多いとこだしな」
だから自然とな、と続けた相馬先輩はお金持ちや有名人が多く通う大学出身だ。
ということは、つまり、西園寺さんもお金持ちか有名人の可能性が高いということなんだろう。
芸能人……ではないと思うけど、私が知らないだけだろうか。
まあ、いい関係が築ければかまわない。
例えば、識嶋さんのように根は悪い人じゃないのなら。
にしても、先輩は本当に識嶋さんと幼馴染なんだなぁ。
さっきも怜司なんて呼び捨てにしてたし。
「先輩はすごいですね」
「何が」
「どんな相手でも堂々と隣にいて仲良しというか」
「怜司のこと言ってんなら、子供の頃から知ってるんだしすごくもないさ。高梨も、社長の息子だとか抜きにして言いたいことを言ってみてらどうだ?」
……言いたいこと言って返り討ちにあうのが容易に想像できるけど、識嶋さんの友達ならそれでも言うものなんだろうか。
私は「善処します」と曖昧に笑って、駅前で先輩と別れたのだった。
今日の夕飯はお好み焼きだ。
夕べ、食事中の会話の中で食べたことのないものは何かと聞いたら、食べたことはあるけど久しぶりに食べたいと思うものがあると言われて。
それが、お好み焼きだった。
子供の頃はよく食べていたそうで、私が作ってくれるというならそれがいい、と。
なので今、ダイニングテーブルにはホットプレートが置かれていて、その鉄板にはもうすぐ焼き上がりそうなお好み焼きが二つ並んでいる。
心なしか、向かいに座っている識嶋さんがそわそわしているように見えるのは気のせい──
「まだ焼けないのか」
ではないらしい。
「あと一分待ってください」
大きなヘラを持ち、私が答えると識嶋さんはおとなしくお好み焼きを見つめる。
うん、こういうところは可愛いなって思うんだよね。
普段きつい人だから余計そう思うのかもしれないけど。
ようやくお好み焼きが焼き上がり、ソースとおかか、マヨネーズに青のりを、識嶋さんに確認しながら乗せていく。
仕上がったものをヘラで切り分けて識嶋さんのお皿に乗せれば、彼は僅かに嬉しそうにしながら箸を手に持った。
そして、一口食べると「うまいな」と言ってまた口に運んでいく。
満足そうな彼に続き、私もお好み焼きを頬張って。
二枚目を焼いて少しした頃、ふと識嶋さんの箸が止まる。