呆れ気味に呟くその言葉じりを察するに、歴代の彼女にも同じような嫌味を繰り返してきてるのかもしれない。
「手とか出されなかったか?」
「えっ!?そんなのなかったよ!」
まさか、そんな制裁までしてきてる!?
「それならいいんだ。純香は頭にくると結構直ぐに手が出るタチだから」
タバコを吸う彼女の姿を思い浮かべ、ヤンキーだったのは男性陣だけじゃなかったんだと知った。
顔を引きつらせてしまう私に目を向け、大輔さんは車を路側帯に停めて向き直った。
「純香が何を言ってきても信用するな。あいつが俺のことを全部知ってるわけじゃないし、ケイにしか話してないことだってある」
(…うん。それはちゃんとわかってる)
心の中で納得しながら先週末のことを思い出した。
お父さんの遺骨を預けたお寺で、大輔さんが堰を切ったように泣き出したこと。
どんなに恨んでも嫌っても、やはり大事に思う気持ちがどこかにあって、忘れられずにいたんだと知った。
「俺が素直に泣けんの、ケイの前だけだから」
そう言って近づいてくる顔を薄目を開けた状態で見つめる。
深い筋の二重まぶたがすぐ目の前に寄ってきて、初めて触れる瞬間がくると感じる。
柔らかく湿った唇が自分のと重なった時のドキドキは、あの夏祭りの夜とは比べものにならないくらいに膨れ上がった。
「…泊まってけよ」
離れていった唇がそう言って囁く。
「イヤ」とか「ダメ」とか、そんな言葉が言い出せない雰囲気で、まるで魔法の呪文のようにも聞こえる。
服の下で大きく跳ね上がるくらいに心臓が鳴って、声も出せずに頷くだけになってしまう。
部屋へ行けばあのどんぶりで飼われたキャリコ金魚に出会って、大輔さんの指に吸い寄ってくる姿に嫉妬を覚える。
大きなベッドでこれ以上ないくらい大事に扱ってもらえる瞬間、私はまるで本物の姫にでもなったかの様な気分に襲われる。
身体中の力が抜けてしまい、全身が大輔さんの一部になったかの様に思う。
それを考える自分が恥ずかしくてなって、きゅん…と胸が鳴り響いた。
「…あ、でも、着替えだけは取りに帰りたい」
ふと現実を思い出した。
先週は結局、真綾の服を借りてご両親にお会いした。
オフホワイトのノーマルワンピだったから、印象としては悪くなかったと思うけど。
「泊まる度に真綾に相談というのも恥ずかしいし……」
顔が熱くなる私の頭を抱いて大輔さんが笑う。
その後で走りだした車の行く先は、家ではなく、いろんなブランド品を扱うブティックだった。
そこで頭から足元までのトータルコーディネートをされ、ついでに言うなら、際ど過ぎる下着までプレゼントされた。
(こ…こんなのって、いつ付けたらいいの……)
間違いなく今夜に決まってるのに狼狽える。
大輔さんに勧められるがままに買ってもらったのはいいけど、さすがに自分らしくない気がしてくる。
ドキドキはあり得ないくらいに増すし、おかげで何だか眩暈まで起きそう。
先週以上の胸の震えを感じて彼の家に着けば、あの鈴木さんというハウスキーパーが、ジロジロと遠慮もない視線を投げ掛けてくる。
「いらっしゃいませ」
挨拶する声も低くて怖い感じに聞こえるのは、きっと私が必要以上に緊張しているせいだと思う。
「お…お邪魔い、致します…」
吃るつもりもないのに、上手く舌が運べない。
構わなくてもいいと言われた鈴木さんが立ち去るまで、私の心臓はマックスに近い状態で鳴り続けた。
「行こう」
背中を押されて歩き出しながら思う。
人生はサイコロの目を振るように、前に前にしか進まないんだと。
そして、この階段を上り詰めた先で、私は彼だけのお姫様として変われる。
誰にも邪魔されたくない。
例えそれが、大切な彼の幼馴染と言えどーーー
「ん……」
彼の腕の中で目覚めた翌朝、私の脳裏には純香さんの言葉が浮かんだ。
『3回もしたら飽きるんだから』
瞼を開けてぼぅっと見定める視界の中に映る彼の輪郭。
半ば開いてる唇から漏れる呼吸に合わせて息をした瞬間、これ以上ないくらい幸せな気分に浸れるんだけど。
(もしかして、これも後1回きりでおしまいになるの?)
ぎゅっと抱きつくたくなって、でもやっぱり遠慮する。
体を動かせば起きてしまうと思い、どうしようかと迷った結果、そろり…と背中を向ける。
向ければ相手は離すまいとして近寄ってくる。
背中の上部に生温かい皮膚の感触が広がり、後頭部では髪の毛同士が縺れ合って擽ったい。
密着しているのは昨夜からも一緒の筈なのに、無防備な彼が背中側にいるというだけでドキドキの種類の異なる。
触れ合う度に彼のことが好きになっていくのに。
誰にも渡したくないという独占欲がどんどん深くなってしまうのに。
(3回ヤったら飽きてしまうの?今回のお泊りが2回目だとしたら、次の後は飽きられてしまう……?)
不安になり、ぎゅっと布団を握りしめた。
肩を竦める私に気づいたらしく、後ろから腕が伸びてくる。
「ケイ…」
指を絡めるようにして繋ぎ、肩口にキスをする。
唇が頬に近づいてくるのを温もりで感じて、ぞくっとしたまま身体中に力をいれた。
握り合ってる指ですら力むもんだから、緊張していることは直ぐにでも気づかれてしまったようで。
「可愛い」
ボソッと囁かれる言葉に胸が疼く。
そのうちに手は離されて、指先が自由に私の体を触り始める。
(あっ)
…と思う間もなく振り向かされ、口の中に滑り込んでくる舌先。
逃げ惑う隙も与えてもらえないくらいに舌を絡め取られて、あっという間に自分の口腔内に取り込んでしまう。
短い息と唾液の音だけが隙間から漏れて、それを聞くだけで身体中がゾクゾクとしてくる……。
唇から離れた舌先が首筋をなぞって胸の上を這う頃には、動悸を感じている自分が自分ではない気がしてきて、ブルブルと体が震えてしまう。
「…怖い?」
そう聞かれ、精一杯首を横に振る。
舌先を体から離した彼の手が伸び、髪を撫でてから甘い声で囁く。
「……感じてるのか?」
大きく胸が震えた。
上から見つめている瞳から視線も外せず、辛うじて瞼を伏せながら頷く。
「3回ヤったら飽きる」とかいうセリフはどこかに逃げて、自分は何度でも彼のことを感じていたいと自覚する。
小さく笑った唇が頬に落とされて、耳たぶに声が届けられた。
「……俺もだ」
ゾクッとする色気のある声と共に耳たぶを舐められ、全身が痺れの様な快感へと引きずり込まれていく。
私だけが知っているんじゃないこの快感を、自分だけのものにしておきたい気分に襲われる。
私でなくても良かった…と、彼には思われたくないーー。
「大輔さんの…一部にして…」
深く愛して欲しい。
貴方と繋がって、深いところで一緒になる。
海の底にある人魚の国のように、このベッドが私達のお城だとしたら、誰の手も届かないところへ連れて行って欲しい。
そして、私から二度と離れていかないで。
飽きたりしないでーーー。
「……愛してるよ」
その言葉を聞いたのも私だけだと思いたい。
「……私も…」
これ以上の言葉が続かない。
何度でもいいから抱いて。
私だけだと、身体中に教え込んで欲しい。
お互いが求め合うままに彼と時間を共にした。
朝ご飯に集まるのも忘れて、夢中で愛を贈り続けたーーー。
純香さんの言葉もオフィスへ来ると一時的に忘れる。
先週見せたデザイン帳に描いていた玩具が、試作品開発に向けて動き始めたからだ。
叔父でもある部長からデザイン画を見せられた時、同じチームの主任は『ほっこりするね』と言ってくれた。
その話を大輔さんにしたら『良かったじゃねぇか』と笑っていた。
オフィスでは確かに先々週までのような働きにくさは減ったように思う。
部署の人達にも慣れてきたし、ゆっくりと話すなら吃らなくもなった。
ただ、慣れればそれなりに答えづらい質問もされてしまうことが増えてくるわけでーー。
「…ねぇ、乃坂ちゃんてカレシいるの?」
ちゃん付けで私のことを呼ぶのは、同じチームで働く本田さんという女性。
この間、チーム主任が私のことを愚痴ってた時に雑用を押し付けてしまえばいいと言ってた人。
「えっ、あの…」
本田さんより私の方が年上。サラリとウソでもついてごまかしておけばいいんだけど、残念ながらそういうのはニガテでできない。
口籠ったと同時にアガってしまい、かぁっと顔が熱くなってしまった。
「わぁー、正直すぎるその反応。オモシロ〜い!」
茶化されると余計にアガる。
熱くなった顔を背けると、今度は男性社員から揶揄われる。
「乃坂さんて純だよね〜」
返し方がわからず、その場に居られなくなってしまう。
これまでとは違う意味で緊張するパターンが増えて、それはそれで困った。
それは更衣室でも同じだった。特に終業後の時間帯は足を運ぶのですら躊躇ってしまう。
中では着替えをしている女子達がいろんな噂をしていて、これまでは気にならなかったことも、やはりどうしても気になってしまう。
「副社長がさ…」
ピクンと反応して耳がダンボになってしまう瞬間、自分とのことがバレたんじゃないだろうかと心配する。
「今日も愛想悪くてヤだったー」
……悪いけどホッとした。
自分とのことが知れ渡ったとしたら、ここで服を着替えるのも遠慮したくなるだろう。
「あの人っていつも愛想悪いよね」
冷血漢と噂されてる彼は、オフィス内ではあまりいい評判を聞かない。
私は真綾から商談の影の功労者が大輔さんだと聞かされてるから、絶対にそんな人ではないと信じているんだけど。
「あんた達が思うような人じゃないよ、副社長は」
バサッとブラウスの埃を落としながら言い返した聖。
同じ話を真綾に聞かされてるから黙ってられなくなったんだと思う。
「どういう意味よ」
当然噂し合ってた子達は聞いてきた。
物事に動じない性格の聖は、「別にそういう人だと決めつけるのが変だって言うだけ」と流した。
(これじゃーまるで、聖が彼女みたい)
本来言い返すのは私の役目なのに、目立つのがイヤだから言い出せない。
実際の彼に甘やかされて優しくされてるのは、間違いもない私なんだけど……
「ごめんね、聖。ありがとう」
オフィスビルを出てからお詫びとお礼を言った。
聖は何のこと?と聞き返し、私は言葉足らずな部分を補足した。
「大輔さんのこと。愛想悪くないって言ってくれて…」
「ああ、なんだ、そのこと?だって本当でしょ?どう考えてもオフィスの外では別人だもんね、副社長は」
頭の中に何が浮かんだのか、ニヤッと笑って付け足す。
「ケイ以外は眼中にないって言うか、それ羅門さんも言ってたことなんだけどね」
口元に笑みを浮かべる聖をマトモに見れなくなる。
部署内と同じように顔を背け、頬に熱を感じた。
「副社長ってケイの前では素が出てるよね。見た目のカッコ良さよりも可愛い感じがする」
「か…可愛い?」
驚いた声を出す私に頷き、聖はこんなことまで言いだした。
「市民ボランティアの集まりがある時の彼ってデレデレなんでしょ?見てらんないって羅門さんが笑ってたよ」
「デ…デレデレ!?」
「気がつくといつもケイを見てるって。自分じゃ意識してないかもしれないけどな…って言ってた」
友人同士のカップルの話って怖い。
大輔さんがそんなふうに見られてたってことは、私も相当ガン見されてたに違いない。
「ヤダもう」
オフィス内だけでなく、外でも緊張するじゃないの。