「大ちゃんの味方になるのも、彼女になるのも私しかいないと思ってきたから、今更他の人を認める気にはなりません」
本堂に響き渡る声が落ち着いてる。
その声を受け止めながら自問自答するのが大事だ。
「大ちゃんの寂しさを受け止めてやるのが私の役目だと信じてきました。大ちゃんに寄り添い、傷を癒してあげたいと思ってきた。でも……」
口にするのが怖い言葉ほど勇気がいる。
できれば言いたくもない答えほど、特に時間がかかる。
「………私じゃ…ないみたい……です……」
泣きそうになって声を殺した。
純香の目から溢れそうな涙を仏はただじ…っと見つめている。
その眼差しから目線を落とすと、ポタポタ…と涙が光って落ちた。
「私は……大ちゃんにとって…何だったの……でしょうか……」
途切れ途切れに押し出された言葉にも、仏は答えを出してはくれない。
どんな思いに対する答えも、出すのはやはり、自分以外にはない。
「……どうすればいい……」
迷っているわけではない。
既に出ている答えを認めたくないだけだ。
ぐずりながら涙を手の甲で拭う。
意を決したかの様に仏に目を向けた純香が、力強く言い放つ。
「大ちゃんに答えを聞きます。そして、その答えに応じる」
長い時間をかけて思いを募らせてきた妹が、やっと前を向こうとした。
その瞬間に立ち会えたことを感謝する。そして、答えを導き出した妹を褒めたい。
「兄さん」
後ろで胡座をかいてる俺に目を向け、涙を拭いた奴が笑う。
「私がフられると思ってるんでしょ?」
憎らしそうに聞いてくる純香にほくそ笑む。
「ああ。多分な」
つーか、間違いなくフられるだろうけどな。
「もしも、万が一フられなかった時はどうするの?」
いや、万が一とかゼッテーにねーだろうから。
「その時は私に散々酷いこと言ったと謝ってくれる?」
「……ああ。そんなの安い御用だ」
「じゃあ兄さんの言う通りにフられた時は?」
「俺がお前に合いそうな相手を探して紹介してやるよ」
檀家廻ってネタ集めでもしといてやるか。
「大ちゃんにも負けないような人にしてよね」
「バカ言え。そりゃ当然に決まってるだろ!」
プッ!と笑った顔が小さい頃のまんまに見えた。
長いトンネルの出口を、妹はやっと見つけた様な気がする。
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翌々週の集まりがあった日、純香は大輔を外へ連れて行った。
二人の様子を見つめていたケイちゃんが、チラッと俺の方に目を向ける。
「気になる?」
俺の質問に声を出さず、不安そうに頷く。
「大丈夫。心配しなくてもいいから」
純香は確実にフられて、片思いに決着はつくんだ。
そして、明日から俺は純香のカレシ探しを始めなくちゃいけない。
5分程度の話し合いで二人は外から戻ってきた。
さっきと変わらない態度でいる大輔を前にして、ケイちゃんは聞きたくても聞けない雰囲気を出している。
「……ねぇ」
純香が意地悪そうな目をして微笑む。
それに顔を引きつらせたケイちゃんは、真剣な表情で「はい…」と答えた。
「私の大事な幼馴染を守り通してやってよ。でないと貴女のこと、彼女としては絶対に認めてやらないからね!」
爽やかに笑う妹の恋は終わった。
花売り娘の未来が薔薇色である事を、今はとにかく拝むだけだ。
(……合掌)
手を心の中で合わせ、俺は妹の幸せを念じた。
『僧侶と花売り娘』おしまい。
最近の私の生活は、まるでボードゲームの上を走るコマのように目紛しい。
大輔さんの家に泊まった翌日はご両親と会い、自分の家族にも紹介をして、久しぶりにデザイン帳まで開いた。
その翌日には聖からの勧めもあって、叔父でもある商品開発部の部長にデザイン帳を見せた。
部長は私の描いていた商品アイデアに驚き、早速部署内で検討しようと皆を集める。
先週末、私の扱いに困っていたチーム主任も同じチームで働く社員も唖然としながら話を聞いていた。
こっちは思いつきで描いてたものがまさか実用化に向けて検討されるとは思わなかったもんだから焦って、かなり心臓がバクバクと鳴った。
『気楽におやり』と言ってくれた会長の言葉を思い出して、質問されるがまま答えているうちにお昼前になった。
聖に頼まれていた大輔さんの友人を紹介する件についてメッセージを送り、すぐに戻ってきた短い返事の内容を彼女に教える。
その翌日、三人で羅門さんの店で食事をすることになったのは幸いだったのかどうか。
いろいろとあった後で、聖は羅門さんと付き合うことにしたんだ…と教えてくれた。
「そう…」
私は少し複雑だった。
聖が無理をしているんじゃないのかな…と、ふとそんなふうに思ってしまったから。
でも、羅門さんの悪口を話してる時の聖は楽しそうだった。
相変わらずケンカばっかしてると言いながらも、その後も案外上手くいってるらしい。
聖とのことがあった後、今度は純香さんからの挑戦状みたいな言葉を聞かされ、「負けませんから」とは言ったものの、あんな啖呵を切らなければ良かった…と、その帰り道では思い始めていた。
「何かあったのか?」
大輔さんは黙っている私の様子がおかしいと思ったみたい。車の運転をしながらチラ見して聞いてくる。
「何も」
多く語ると話さなくてもいいようなことまで喋りそうだった。
努めていつもの自分らしく見せていたつもりではあったんだけど……。
「ケイの嘘は直ぐにバレるからやめとけ」
見透かされてしまった。
純香に何を言われたんだ?と聞かれ、何も答えずにいたら返ってマズいと思った。
それで……
「純香さんは大輔さんのことをよく知ってるって。だから自分を越えていけれるかどうか張り合おうって……」
本当は少し違うけど、大輔さんに全てを話してもいけない。
私の意地みたいなものもあったし、何よりも純香さんは彼の大切な幼馴染である。
私には幼馴染と言えるような人はいない。
でも、もしもいたとしたら、その人はやはり普通の友人とは別格な感じがするだろうと思う。
その人のことを悪く聞かされたら気分も良くないと思う。だから、自分が頭にきたことは極力内緒にしておこうと考えた。
「……純香の言いそうな事だな」
呆れ気味に呟くその言葉じりを察するに、歴代の彼女にも同じような嫌味を繰り返してきてるのかもしれない。
「手とか出されなかったか?」
「えっ!?そんなのなかったよ!」
まさか、そんな制裁までしてきてる!?
「それならいいんだ。純香は頭にくると結構直ぐに手が出るタチだから」
タバコを吸う彼女の姿を思い浮かべ、ヤンキーだったのは男性陣だけじゃなかったんだと知った。
顔を引きつらせてしまう私に目を向け、大輔さんは車を路側帯に停めて向き直った。
「純香が何を言ってきても信用するな。あいつが俺のことを全部知ってるわけじゃないし、ケイにしか話してないことだってある」
(…うん。それはちゃんとわかってる)
心の中で納得しながら先週末のことを思い出した。
お父さんの遺骨を預けたお寺で、大輔さんが堰を切ったように泣き出したこと。
どんなに恨んでも嫌っても、やはり大事に思う気持ちがどこかにあって、忘れられずにいたんだと知った。
「俺が素直に泣けんの、ケイの前だけだから」
そう言って近づいてくる顔を薄目を開けた状態で見つめる。
深い筋の二重まぶたがすぐ目の前に寄ってきて、初めて触れる瞬間がくると感じる。
柔らかく湿った唇が自分のと重なった時のドキドキは、あの夏祭りの夜とは比べものにならないくらいに膨れ上がった。
「…泊まってけよ」
離れていった唇がそう言って囁く。
「イヤ」とか「ダメ」とか、そんな言葉が言い出せない雰囲気で、まるで魔法の呪文のようにも聞こえる。
服の下で大きく跳ね上がるくらいに心臓が鳴って、声も出せずに頷くだけになってしまう。
部屋へ行けばあのどんぶりで飼われたキャリコ金魚に出会って、大輔さんの指に吸い寄ってくる姿に嫉妬を覚える。
大きなベッドでこれ以上ないくらい大事に扱ってもらえる瞬間、私はまるで本物の姫にでもなったかの様な気分に襲われる。
身体中の力が抜けてしまい、全身が大輔さんの一部になったかの様に思う。
それを考える自分が恥ずかしくてなって、きゅん…と胸が鳴り響いた。
「…あ、でも、着替えだけは取りに帰りたい」
ふと現実を思い出した。
先週は結局、真綾の服を借りてご両親にお会いした。
オフホワイトのノーマルワンピだったから、印象としては悪くなかったと思うけど。
「泊まる度に真綾に相談というのも恥ずかしいし……」
顔が熱くなる私の頭を抱いて大輔さんが笑う。
その後で走りだした車の行く先は、家ではなく、いろんなブランド品を扱うブティックだった。
そこで頭から足元までのトータルコーディネートをされ、ついでに言うなら、際ど過ぎる下着までプレゼントされた。
(こ…こんなのって、いつ付けたらいいの……)
間違いなく今夜に決まってるのに狼狽える。
大輔さんに勧められるがままに買ってもらったのはいいけど、さすがに自分らしくない気がしてくる。
ドキドキはあり得ないくらいに増すし、おかげで何だか眩暈まで起きそう。
先週以上の胸の震えを感じて彼の家に着けば、あの鈴木さんというハウスキーパーが、ジロジロと遠慮もない視線を投げ掛けてくる。
「いらっしゃいませ」
挨拶する声も低くて怖い感じに聞こえるのは、きっと私が必要以上に緊張しているせいだと思う。
「お…お邪魔い、致します…」
吃るつもりもないのに、上手く舌が運べない。
構わなくてもいいと言われた鈴木さんが立ち去るまで、私の心臓はマックスに近い状態で鳴り続けた。
「行こう」
背中を押されて歩き出しながら思う。
人生はサイコロの目を振るように、前に前にしか進まないんだと。
そして、この階段を上り詰めた先で、私は彼だけのお姫様として変われる。
誰にも邪魔されたくない。
例えそれが、大切な彼の幼馴染と言えどーーー
「ん……」
彼の腕の中で目覚めた翌朝、私の脳裏には純香さんの言葉が浮かんだ。
『3回もしたら飽きるんだから』
瞼を開けてぼぅっと見定める視界の中に映る彼の輪郭。
半ば開いてる唇から漏れる呼吸に合わせて息をした瞬間、これ以上ないくらい幸せな気分に浸れるんだけど。
(もしかして、これも後1回きりでおしまいになるの?)
ぎゅっと抱きつくたくなって、でもやっぱり遠慮する。
体を動かせば起きてしまうと思い、どうしようかと迷った結果、そろり…と背中を向ける。
向ければ相手は離すまいとして近寄ってくる。
背中の上部に生温かい皮膚の感触が広がり、後頭部では髪の毛同士が縺れ合って擽ったい。
密着しているのは昨夜からも一緒の筈なのに、無防備な彼が背中側にいるというだけでドキドキの種類の異なる。
触れ合う度に彼のことが好きになっていくのに。
誰にも渡したくないという独占欲がどんどん深くなってしまうのに。
(3回ヤったら飽きてしまうの?今回のお泊りが2回目だとしたら、次の後は飽きられてしまう……?)
不安になり、ぎゅっと布団を握りしめた。
肩を竦める私に気づいたらしく、後ろから腕が伸びてくる。
「ケイ…」
指を絡めるようにして繋ぎ、肩口にキスをする。
唇が頬に近づいてくるのを温もりで感じて、ぞくっとしたまま身体中に力をいれた。