ヤンキー上司との恋はお祭りの夜に 2

母を亡くしているという事実に同情をしているつもりではなく、ただ一人で寂しさを乗り越えてきたであろう社長に、一人ではないんだと伝えたい気持ちばかりが働いていた。


「私がいますから」


それこそ何の助けにもならない存在だとは思うけど。


「寂しくなったら、私が一緒にご飯を食べてあげます!」


上から目線もいいとこ。
一度目の定食屋さんも二度目のお蕎麦屋さんでも、支払いをしたのは社長なのに。


「これからだって社長が行こうと誘えば、どこだって付いて行きます!いつだって、呼んでくれても構わないですから!」


社長のことが心配というよりも気になる。
私の知らない社長のことをもっともっと知り尽くしてみたい。



(私……)



ぎゅっと手の平を握りしめた。



(この人のことが好き……)



見たこともない優しい顔をして笑えるんだと知った。
人付き合いが苦手な訳ではなく、経験値が低いだけだとわかった。

そのままで大人になったから接し方がわからず怖さを感じる時がある。
上手く言葉が出ずに切れそうになった契約を弟の大輔さんがカバーしてきてくれている。


『大輔とは血の繋がらない兄弟だけど、僕にはないものを持つ大事なビジネス上のパートナーとして認めているよ。』


大事なことはきちんとわかっている。
兄としても社長としても、祐輔さんは大輔さんのことを家族として認めている。



(だから、私も……)



私も社長の大事な人間の一人になりたい。
心を許して、甘え合えるような関係になってみたい。



「社長……」


ううん、祐輔さんと呼ばせて。


「祐輔さ……」


ビクン!と彼の体が浮いた。
少しだけ体を引いて顔を見上げると、目を丸くして表情を強張らせている。


驚かせてしまったんだと気づいた。

人とは深入りした関係になりたくないと書いていた、身上書の一文を思い出した。


『母が亡くなった後、僕は誰かと別れるのは懲り懲りだと思った。誰かと深い関係になって、その人の死を見送るのは嫌だ。
何もできずに送ることになるのなら浅い関係だけでいればいい。その方が胸が痛まなくて済む。』


確かにそうだと思う。
でも、私は彼に深入りして欲しい。


「社長の……祐輔さんの特別な人間の一人にして下さい。私は……貴方のことを…好きです……」



いつの間にか胸の奥に滑り込まれた。

後にも先にもこんなに気になる人はいない。

この男性に甘やかされる自分を想像したらドキドキする。

この人に抱かれたらきっともう離れたくなくなる。



「社長は……どうして私にあの身上書を渡してくれたの……?」


その答えがずっと気になっていた。
何度も断ったのに、家に電話をしてまで約束を掴もうとした意味を知りたい。




「僕は……」


重そうな唇を開いて声が出た。

その唇の先を見つめながら、高ぶる胸の音を耳いっぱいに感じていた。



「僕は……君に真心を送りたい」


高鳴る胸の音を聞いていた耳に届いてきた言葉。
「好き」とか「愛している」とか、そういう意味の言葉ではない。


「まごころ?」


漢字に変換するのですら面倒くさく感じる。


「これは僕の亡くなった母が言っていた言葉だ。『愛』と書いて『真心』と読めるような人を好きになりなさい…と」


たった一つだけ習った人付き合いの基本。
社長の眼差しは熱く、そして輝きを増して私の方に向けられていた。






一瞬意味がわからず、ぼんやりとして社長の顔を見つめた。彼は私から視線を外すと、フラつきながらデスクへと回り、凭れ込むようにして椅子に座った。



「片桐さん」


いつもと同じように抑揚のない言い方で呼ばれ、小さく「はい」と、擦れそうな声を出す。


「僕の代わりに運転を頼んでもいいか」


顔を見ながら聞く人にノーという返事はできない。



「はい…わかりました」


了承する言葉を返し、差し出されたキーを受け取る。


「向こうで待ってていいから」


目を合わさず、キーを握った手元だけを見た。

他には言葉を掛けてこない社長に背中を向け、二、三歩だけ前に進む。

頭の中では、「真心を送りたい」と言った社長の言葉が渦を巻いていた。

「愛」と書いて「真心」と読める人を好きになりなさいということはつまり……


(つまり、それは愛を送りたい…という意味?まさか、社長は私にそういう意味でそれを言ったの……?)


振り返ると、椅子に座っていた人が立ち上がり、スーツの上着を羽織ろうとしている。
眠気のせいかぎこちない動作が気になり、逆戻りして肩口を摘んだ。


「あ……」


驚いたように顔を向けた社長が、眠そうな顔を綻ばせる。


「サンキュ」


こんな場所でそんなふうに砕けた言い方をするのか。
そんなに微笑まれたら、私の胸がどれほど疼くかも知らないで。


「社長はズルいです」


苦しくなっていくばかりの胸の前で、ぎゅっと手を握り締める。
こんな苦しさを感じるのは、この人がハッキリと言ってくれないせいだ。


「私は社長を好きだと言ったのに……どうしてハッキリと答えを出してくれないの……」


言い出したら涙が溢れてしまった。
泣かなくても話せることを涙を零しながら訴えてしまった。


「私は意味深い言葉よりも、単純な言い方の方が好き。社員を将棋の駒と称するような、頭の回転良さは持ち合わせていません!」


好きなら好きでいい。
お母さんの言った言葉よりも、社長の男としての声が聞きたい。



「社長は、私をどう思っているの……」


泣きながら顔を見つめるなんて、蛍ならともかく自分がする立場になろうとは思わなかった。

もっとずっと、ダメダメな男にグイグイと迫られることだけを夢に見続けてきた。

だから、今のこのシチュエーションは、理想との差があり過ぎている……。



社長は一瞬口籠った。
慣れないことを言わせようとする私に少しばかり恨めしそうな目を向ける。



「…さっきから言っているだろ」


泳ごうとする目線を外すまいとして、彼の両頬を包み込んだ。
ピクッと顔を引きつらせた社長の目が、私の眼差しに向き合う。


固く閉じられた唇が開いた。

出てくる言葉を全身で聞こうと努力した。



「……君のことが好きだって言ってるんだよ。そうでなければ、あの身上書を渡したりしない……!」


ビクン!と背筋を伸ばしたのは私の方。
重なりだした唇の熱さに、胸の奥が張り裂けそうなくらいときめいた。



「…あっ………ふっ………」


チュッ、チュッ…と音を立てて吸われ始め、足の力が抜けそうになる。



「しゃ…ちょ…」


容赦もない感じで唇を求められ、腰の力までもが抜けそうになった。



「真綾」


抑揚のない声じゃない。
熱を含んだ声が私の心をさらう。


(社長………ううん)


「祐輔さん……」


離れた唇の隙間から一瞬だけど名前が呼べた。

その後はまた、激し過ぎるキスの応酬に押される。


「…はっ……んっ……」


何がどうなってもいいと思うほどに追い詰められて、ようやく社長の唇が離れていく。



「…っはぁ……」


吐息を漏らす私の体を抱き寄せ、ぎゅっと息継ぎがしづらいほどに力を込めた。




「手に入った」


短い言葉は何だか泣いているようにも聞こえる。


「君がこの部屋に初めて来た時から、ずっと手に入れたいと考えていた」


アップしていた髪のパレットを外され、零れ落ちるようにバラけた髪の毛に触る。



「真綾……」


そんな熱っぽい声で名前を呼ばれたことなんてない。


ドキン、ドキンと胸を震わせながら「はい…」と小さく答え、改めて彼と目を見合わせた。


深入りしたくないと言った人の瞳の中に自分の姿が映っている。
 


ようやく入り込めたんだ…と、確かに実感する。


私は、社長の特別な人間の一人になれたんだ………。




「社長……」


色気のない呼び方をしてしまった。


「申し訳ありませんが…続きはご自宅でしてもいいでしょうか?」


深い意味に取られても仕方のないような言葉を言った。
臆面もなく言えるもんだと、自分自身を呆れる。


「そうだな。もう少ししたら大輔もここに来るだろうし」


行こう…と肩に手を回された。
それもオフィスを出るまでは待って下さい…と、軽く拒否をしてから社長室を後にした。



オフィスを出て30分後には社長の自宅へ到着していた。
続きは自宅で…とは言っても、できるような雰囲気ではない。



「お帰りなさいませ」


玄関先でハウスキーパーの女性が迎える。
緊張気味に社長の背後に立つ私に睨みを利かせ、無遠慮に爪先から頭の先までを眺めた。



「ただいま。鈴木さん」


壮年層の女性の名前を呼び、靴を脱いで上がろうとする彼。


「…あの、こちらの方は?」


私の方へ目を向け、鈴木という女性が尋ねる。


「ああ、オフィスで秘書をしている片桐さん。僕が寝不足なもんだから運転を代わってもらったんだ」


シャワーを済ませたら着替えて再び出社すると伝えると、鈴木さんは納得したように頷き、社長の背中を見送った。


「…あっ、そうだ」


振り返った人の目が私を捉える。
ドキッとする胸の音を聞いて、彼の目を見返した。


「片桐さんも中で待っておいてくれ。鈴木さん、彼女を和室へ通してあげて」


それだけ言うと、自分はヨロヨロしながら廊下の奥へと向かって歩く。

私は鈴木という女性に睨まれたカエルようにオドオドとして、彼女に上がるよう促されるまで動けなかった。



「こちらでございます」


先導されるがままついて行った。
和室というのを聞いて、社長は私が和室好きだというのをリサーチしているのかと思った。


一階の隅に設けられた障子戸を開け、鈴木さんが「中へ」と促す。


「失礼します」


軽い会釈をしてスリッパを脱いだ。
青い畳の表面に足先を乗せて前を見ると、立派な仏壇が置いてある。



一瞬だけ息を飲んだ。
でも、すぐに社長のお母さんのものだと気づいた。



「お座布団をどうぞ」


青緑色の綺麗な分厚い座布団を出され、「お構いなく」と言った。
その上には乗らない私の態度を確かめて、鈴木さんは「失礼します」と部屋を出た。


障子が閉まるのを確認して仏壇の方へ歩み寄る。
出された座布団よりも厚みのある紫色のものを避け、仏壇の前に座った。


仏壇には綺麗な生花が活けられていた。
花の横には小さなフォトフレームが置いてあり、その中には微笑みを浮かべる女性の写真が飾られている。


社長と同じくアッサリとした顔立ちだけど綺麗な人だ。切れ長の眼差しと薄い唇がよく似ている。



初めましての意味を含め、蝋燭に火を灯させてもらった。

紫色をした線香を手に取り火に翳した瞬間、「あっ…」と気づくものがあった。



(この香り……)


社長の側へ寄った時に香ったものと同じ。
コロンなのかと思ってたけど、線香の香りだったんだ。



(どうりで、鼻をくすぐると思った)


ようやく解ってホッとした。
私と会う前、社長はいつもこの仏壇にお参りをしてたんだ。



(片桐真綾と言います。よろしくお願いします)