栞は壁際に直立したまま目の前の床に視線を落としていた。廊下に漂う空気は鉛のようで、ともすれば自身の脚がずぶずぶと飲みこまれて行くような気さえしていた。
一部の隙さえないくらい丁寧に磨き抜かれた床は、備え付けの椅子や壁を淡く写しだしている。けれども白すぎる色合いのせいかどこかよそよそしく、ただでさえ沈痛な栞の心境をより一層重たげなものにさせていた。
救急車で町の中央病院へと運ばれた生徒会長はそのまま集中治療室へ入れられていた。事態は極めて深刻だった。状況を説明した医師たちの表情は一様に硬く、暗かった。
壁に沿って並べられた長椅子には生徒会長の父、祖父母、それに何人かの親戚たちが岩のように待機していた。彼らは互いに一言も話さないどころか身じろぎの一つもなく、いっそ動くことを忘れてしまったかのようだった。
それでも、手を組むでもなく合掌するでもなくただひたすらに座り心地がいいとは言えない長椅子に腰かけたままでいるというあり様そのものが、祈りと言い表されるにふさわしい何かを成していることに違いはなかった。
栞は彼らから少しだけ離れた場所で付き添いの教師たちとともに立っていた。栞は病院側の対応によって室内用のトレーナーに着替え、身体に付着した血はきれいに拭き取られている。
栞は救急車から降りた自分に向けられた病院スタッフたちの視線を思い出していた。
少なくともまっとうな人間に向けられるものではなかった。ほんのわずかなあいだだけではあったが、恐れと嫌悪感とが剥き出しになっていた。
けれども、実際に恐ろしい目に遭っているのは自分ではなく生徒会長だった。他人の目を借りることで、生徒会長に巣食っているものがどのような存在なのかを間接的にうかがい知ることができた。
栞は生徒会長が闘う相手の厄介さを思いながら目を閉じ、一心に願い祈った。生徒会長が戻ってきてくれるならそれでいい。願いを叶えてさえくれるのであれば理由も相手も何でもよかった。
ふと念仏のような何かを聞いた気がして辺りを見回すと、正明の父の口が小さく動いていた。何を言っているかは分からないものの、深刻極まりない表情は懺悔でもしているかのようだった。声は次第に大きくなり、ついには叫び声に変わっていた。
「もう充分だろう! いい加減にしてくれ! 正樹が一体何をした!」
正明の父は血走った目を見開いて立ちあがり、握りしめた拳を振り上げた。けれども、異常を見てとった親戚たちが素早く駆け寄ると半ば力づくで椅子に下ろしてしまった。
「わきまえろ」
生徒会長の祖父らしき老人から諭された生徒会長の父はなおも肩で荒く息をしながら、なおも廊下の壁を睨み付けていた。
と、その時突然集中治療室の扉が開かれた。看護師が慌てた様子で治療室を出ると、どれほども経たないうちに数人の医師たちとともに再び治療室へと戻っていく。
待機している者たちに異様なほどの緊張が走った。
──いよいよか。
あえて口に出すまでもなく、誰もが同じことを考えていることが容易に見て取れた。さらに数分後、扉を開けて出てきた一人の医師を親戚たちがわっと取り囲んだ。
けれども医師はすぐに語り出そうとはしなかった。何をどう話せばいいのか理解が追いついていないのは明らかだった。が、ふうと息を吐き出すと硬い面持ちを崩さないまま一語一句を噛みしめるようにゆっくりと話し始めた。
「患者の意識が回復しました。血圧、心拍数ともに正常値へ向かって上昇中です。体温はほぼ平常まで回復しました」
そこまで言いかけたところで、医師は押し黙った。親戚たちはまばたきすら忘れ、全てを見逃すまいとばかりに目を見開いている。
「実は我々もまだ信じられないのですが」
話の途中で医師の腕をがし、と掴んだ者がいた。生徒会長の父親だった。すがるように二の腕を掴む手は細かく震えている。言葉に言いだそうとはするものの、頬が震えてしまっているせいで上手く言葉が出てこない。
──どうなんだ? 助かったのか?
今にも飛び出しそうな両目が雄弁に語っていた。
「山は越えたと見ていいでしょう。我々も上手く説明が付かないのですが……。全く、奇跡としかいいようがありません」
言葉の後半部分はけれども廊下中に響き渡る歓声にかき消されてしまった。
生徒会長の父は目の前にいる医師を押しのけると、礼の一言も言わないまま部屋の中へ入ってしまった。それを追うように、他の親戚たちも後に続いて行く。扉の向こうから、看護師たちの慌てた声が漏れてくるも、彼らが退散する気配はない。
結局、ものの数秒も経たないうちに、廊下は先ほどの医師と教師と栞だけになっていた。
「あの、先生」
栞の感情を抑えた声色に、医師はようやく表情を和らげた。
「大丈夫です。もう心配はいらないでしょう。後は体調が回復するのを待つだけです。と言ってもいくつか検査などがありますから、すぐ退院とまでは行きませんが」
医師の言葉に、教師と栞は顔を見合わせた。危機は去った。そのことにお互いようやく安堵の息を吐くことができた。栞は安心ついでに力が抜けてしまい、くたっと座りこんでしまった。
「すみません。安心したら力が抜けてしまって」
医師と教師に支えられて栞が何とか立ちあがったところに、生徒会長の父が戻って来た。後ろには親戚たちを引き連れている。
どの顔も先ほどまでとは打って変わって穏やか表情へと変わっていた。栞からすれば、外見が同じまま中身が入れ替ったかのようで、薄気味悪いものがあった。
「姫野さんでしたね」
「……は、はいっ!」
話しかけたのは生徒会長の父親である。まさか自分に用があるなどとは思いもよらず、栞は自分の名を呼ばれたことに一拍遅れて気が付いた。
「正樹に……息子に会ってやってください。あなたに話があるとのことです」
「わ、私ですか?」
部外者に過ぎない自分などがしゃしゃり出ていいものだろうか。生徒会長に呼ばれたという喜びから一瞬遅れ、遠慮がちな疑問が湧いた。けれども、断るのもどうかという思いと、少しでも早く会いたいという本音から導かれる結論は同じだった。
改めて医師に確認してみれば、集中治療室に入るには衣服や消毒などの準備が必要だった。栞は生徒会長の父へ深く一礼し、入室準備のためにその場を後にした。
「滝上会長」
支給された白衣姿の栞がベッドの脇から恐る恐る声をかけると、
「そんなに心配しなくても聞こえている」
すでに酸素マスクを外してしまっている生徒会長から返ってきた返事はそっけないと言えば余りにもそっけなかった。だがそれこそが栞にとっては何よりも求めていたことだった。間違いなくいつも通りの生徒会長がそこにいた。
輸血こそしてはいるものの危機を知らせるようなものは何もなく、学校での顛末が嘘のようだった。無愛想に横たわる手を握ってみると、先ほどとは違う確かな温もりを感じられた。
「よかった」
栞はまだ力を入れられないでいる生徒会長の手を両手で何度も撫でた。自然と涙が溢れてくるのを、抑えることができなかった。
生徒会長は身を起こそうとしたものの早々に諦めると目を閉じ、再び身を横たえた。失われた体力が戻るには、まだ時間が必要だった。
「栞」
「……は、はい!」
「どうした、ぼうっとして」
「い、いえ。何でもありません」
栞は顔が紅潮するのを感じて俯いた。生徒会長が初めて自分を名前で呼んでくれたことが嬉しくもあり、また恥ずかしくもあった。
「まあいい。……オカルト研についてだが、廃部はなしだ」
「オカルト研……ですか?」
何故この状況でオカルト研究会なのか。予想外の話題に栞は面食らった。
「今この町に龍神がいる」
「え?」
「言葉の通りだ。伝説の龍神が現れたのだ」
栞は何と言葉を返していいか分からなかった。立て続けに分からないことを言う生徒会長の意図を読み切れないでいた。
「必ずしも龍神ではないかも知れない。だが龍神に近い何かであることは間違いない」
「あの、でも、どうやって」
「俺の身体からきれいさっぱり呪いが消えた」
生徒会長は腕を上げてするものの、指先を動かすことしかできなかった。腕から力を抜き、息を整えながら次の言葉を探した。
「こんなことをできるのは龍神くらいしかいない。……どこにいるかは俺にも分からん。だが……いることは確かだ」
生徒会長は一旦息を整えた。呪いと出血により、一気に言い切るだけの力は残されていない。
「俺が龍神をこの目で確かめるべきだ……だがそれは無理だ」
生徒会長は天井を見つめたまま長く息を吐き出した。
「いずれにしろ、賭けは奴らの勝ちだ。研究会の存続を認める」
生徒会長の表情には悔しさも苛立ちもなく、むしろどこか晴れやかでさえあった。
「栞」
まだ何かあるのだろうか。栞は生徒会長の目を見つめた。
「俺の側にいてくれ」
何の前置きもない、実に生徒会長らしい一言だった。
栞は呆気に取られ、目を瞬いた。
が、言葉の意味するところを解すると一転、表情をほころばせた。
「はい!」
上手い返事や言い回しは、全く浮かんでこなかった。代わりに、栞は生徒会長の言葉に対して全力で肯定して見せた。この時を一生忘れまいとするかのように、何度も、何度もうなずきながら。
「そうか……ありがとう」
栞の返事を確かめた生徒会長は、安心したからなのかスイッチが切れたように眠りの中へと落ちていった。
栞は、静かに寝息をたてる生徒会長を飽きることなく見つめていた。苦しみから解放された、どこまでも穏やかな寝顔だった。
オカルト研究会との賭けなど、どうでもよかった。七瀬とのことさえ、どうでもよくなっていた。今の栞にとっては、何の価値もないことだった。こうして生徒会長と共にいられるだけで十分だった。自分だけの何物にも代えがたい勝利を、栞はかみしめていた。
神社の秋祭当日、町はこれ以上ないくらいの晴天に恵まれていた。
高く蒼く澄みきった空には雲一つなく、開け放たれた窓の向こうからはカーテンを揺らす柔らかな風とともに祭囃子が聞こえている。
七瀬は制服の冬服にクリーム色のセーターという装いで、部室の机に腰掛けたまま退屈げに両脚を揺らしている。
隣りにいる学ラン姿の優馬は、机の上にうず高く積み上げられたノートのうち一冊を広げ熱心に読み耽っている。
つい先日、何の前触れもなくやってきた生徒会役員たちが大量のノートをオカルト研究会に置いていったのだ。明らかに正明のものだったが、いくら生徒会長を問い詰めても知らぬ存ぜぬを繰り返すばかりだった。
とはいうもののノートの中身は質、量ともに圧倒的で、優馬は卒業までに正明との連名で研究誌としてまとめる上げることを決意していた。
「ていうかさ、もうちょっとタイトル何とかならないの?」
優馬が先日書きつぶしたばかりの一冊目のノートに視線を落とす。そこには、太いマジックペンで「真相解明! 龍神伝説の謎」と書かれている。
まとめ、などというのはほんの名ばかり。実際には正明が参照した資料や調査結果を書き取っていくうちに余白が埋まってしまっていた。資料をまとめるどころか、学ぶべきことの多さにまず圧倒されている、というのが現状である。
「何で?」
心底分からない、という顔の優馬に七瀬は小さなため息を吐いた。
「とにかくオカ研が残ってよかったわね」
「そうだね」
生徒会長選挙が終わり、圧倒的大差で当選した栞が次期会長となっても、オカルト研究会を廃部にするという連絡は一向に来なかった。一週間、また一週間と待つうちに二ヶ月が経ち、いつの間にか来年度部活動予算計画などという一覧表の中にちゃっかりオカルト研究会が入っていたのである。ただ予算そのものは相変わらずの0円だったのだが。
そんなわけで、優馬たちは部室を追われることもなく活動を続けている。
「そう言えば、この町から心霊現象がなくなったのってやっぱり龍神の力なのかな」
「かも知れないね」
龍の道から戻ってきた優馬たちが最初に目にしたのは、真っ二つに裂け黒こげになった大木だった。神社の境内に踏み込んでから元の世界に戻るまで、余りにも非現実的な体験ではあったが、紛れもなく事実だったのだと確信している。
なぜなら、あれから町中至るところにあった心霊現象がぱったりなくなってしまったのだ。いくら霊感に覚えのある者が試したところで、結果は同じだった。
龍神が龍の道を再び開き、身動きとれずにいた死者たちをあるべきところへ還した。誰が何と言おうと、例え笑われようと、優馬はそう信じている。
けれども本題は別のところにあった。
「雷雲の中を駆け巡る龍の大群を見た」と語る者が続出したのだ。
報せはあっという間に全国を駆け巡り、ご利益にあやかろうという参拝者が雪崩を打って神社へ押し寄せてきた。つい先日まで閑散としていた駐車場には他県ナンバーの観光バスが所狭しとひしめき合い、平日でさえも正月以上の賑わいを見せるようになっていた。週刊誌やワイドショーも競うように龍神伝説を取り上げ、関連情報を目にしない日はないほど人々の関心と話題を独占していた。
そんな中で行われることとなった秋祭には多くの参拝者、観光客が訪れ、土産物屋や旅館は突然降って湧いたブームの到来に嬉しい悲鳴を上げていた。現代に蘇った龍神伝説は、町のかつての賑わいをも蘇らせようとしていた。
優馬はと言えば、そんな町の熱狂から完全に距離を置いていた。オカルト研究会にも意地の悪い注目が集まったが、優馬は一向に記事を書こうとしなかった。既に正明のノートに触れていたため、ゴシップ記事への興味を完全に失っていた。
「私、結局お父さんにお礼言いそびれちゃった」
優馬は「んー」と呟きながら思案し、「いいんじゃないの?」と返した。
「ちょっと。私真面目に言ってるんだから」
「いや、だからさ、正明さんは満足してたんじゃないかなって話。七瀬の元気な姿を見られた上に町の呪いも消えたわけだし。思い残すこと、なかったと思うよ」
気色ばむ七瀬に苦笑しつつ、優馬は落ち着いた口調で答えた。
「そうかな」
「ほら、最後だってすごく満足げな顔してたし」
「そっか。うん、そうかも」
七瀬が納得したところで会話が途切れた。祭囃子が沈黙をとりなす様に賑やかさを増すと、優馬はようやく窓の外へ視線を向けた。
「優馬、ホントにお祭見に行かなくていいの?」
「いいよ。やることやらないといけないしね」
が、外を見ていたのもほんの束の間、優馬は再びノートに視線を落とした。
「私はまあ、優馬がいいって言うなら」
いいんだけど、と言い掛けたところで七瀬はにやりと笑った。
「今日さ、朝一番に栞に会って来たんだよね。着物着てお化粧して、すっごい綺麗だった。本物のお嫁さんみたいだったんだから」
祭一番の見物は花嫁行列であり、人力車に乗った若い男女が古い町並みを回り最後に龍神に誓いを立てる、というものである。
その昔滝上一族の若者が龍神に祈願したところ村一番の器量よしと結ばれた、という龍神伝説のきっかけとなった逸話を契機に始まったのだが、近年は人口減少に伴い途絶えてしまっていた。これを、今こそ好機と捉えた住民たちが肝入りで復活させたのだ。
本来であれば本物の結婚式として男女を募るところだが、急きょ選ばれたのは正樹と栞である。滝上家の跡取りとしてのお披露目という意味合いが滲んでいるのは確かなものの、理由はそればかりではなかった。
生徒会長を退いた正樹と次期会長となった栞の交際は周囲からも広く歓迎され、新婚夫婦のような仲睦まじさは巷の評判となっていた。気の早い大人たちによるお膳立ての結果ではあったが、話題の二人が主役を務める花嫁行列は注目の的となっていた。
「見とかないと後悔するかもよ?」
「だからいいんだって」
「ほんとに?」
「ほんとに。ていうか栞と喧嘩したんじゃなかったの?」
自分の声に苛立ったものを感じた優馬は、ノートに目を通すのを諦め、顔を上げた。
「えっとね、うん。栞とは仲直りしたの。色々あったけど、もう全部片付いたから。それよりもさ、一緒に会長もいたんだけど何かすっごい仲良くってさ、ほんとに夫婦みたいだった。会長は私にものっすごい嫌そうな顔してたけど」
「ふうん」
七瀬は暫く優馬の反応をうかがっていた。けれども優馬は相変わらず興味を示そうとはしなかった。七瀬は優馬の様子にほっとした表情を浮かべながら、改めて優馬が広げているノートを見つめた。
これは優馬も知らない話ではあるが、正明のノートはさらにもう一冊残されていた。七瀬の母が正明の遺言を秘蔵していたのだ。
タイトルすらないノートには、その手に抱くことなく別れなければならないわが子への想いが震える文字で綴られていた。七瀬はノートを渡されるとともに、これまでひた隠しにされていた様々のことを涙ながらに打ち明けられたのだった。
ここへ至り、七瀬は母との和解をようやく果たすことができた。それもこれも、龍神伝説を巡る戦いに挑んだからこその結果であり、何より優馬がいたからこその勝利であった。
七瀬は棚に飾ってある両親の写真を見つめた。洞窟へ自分を助けに来たときに優馬が持っていたものだ。シンプルな枠の中に、何の屈託もない幸せな笑顔が並んでいる。
七瀬はもう一人ではなかったし、一人だと思っていた時でさえ決して一人ではなかった。教えてくれたのは、他でもない優馬だった。
胸の中に温かなものを感じながら、七瀬は語りかけた。
「ところでさ、優馬」
「なに?」
「今日これから、時間ある?」
「これを読むだけだから、予定は何もないけど」
「そっか」
七瀬は何かに考えを巡らせるかのように空を見上げた。呪いがきれいさっぱり消えた町の空は、以前よりも透き通って見えた。
「あのね。私、今日滝上家の集まりに呼ばれてるんだよね」
「どういうこと?」
優馬の言葉に非難めいた響きがあるのも当然だった。滝上家こそ町に巣食っていた呪いの元凶であり、七瀬親子を苦しめた元凶なのだから。
「おじいちゃんがね、って言っても分からないか。とにかく滝上家を束ねてる人から、今度一族で集まるからお母さんと一緒に遊びに来なさいってお誘いがあったの」
「行くの?」
「当たり前よ。だって滝上家がお父さんの名誉を認めてくれたっていう証拠だもの。胸張って堂々と行くわよ。あ、それでね、私のところに話を伝えに来たのが何と会長だったの。あの時の顔、優馬にも見せてあげたかったなー。もうね、すっごい機嫌悪いの。『たとえ家が認めても、俺は絶対に認めねえ』って顔に書いてあるわけ。もう笑いをこらえるのが大変でさー」
七瀬はこみ上げてきた笑いに思わず吹き出した。けれどそれも一瞬のこと。こほんと軽く咳払いして表情を引き締めた。
「でね、栞も会長と一緒に行くんだよね。今日のお祭が終わったら会長、ってもう会長じゃないのか。えっと、前の会長と一緒に行くって」
優馬は話が読めず訝しげな表情を浮かべていた。それを自分に話してどうするのか、と。
「優馬にも、私と一緒に来て欲しいんだけど」
優馬はなおも七瀬の真意が掴めずにいた。生徒会長が栞を連れていくのはまだ分かる。自らの交際相手として親戚一同に紹介するためだ。跡取りという立場上、また祭の主役を張る手前、そういったこともおろそかにはできないのだろう。
だとしたら、七瀬が自分を連れていくのはどういうつもりなのか。
「……えぇ?」
優馬はビクンと身体を硬直させ、目を大きく見開いた。七瀬は、そんな優馬から目を逸らすことなく静かに見つめている。
優馬は、七瀬が冗談を言っているのではないのを悟るとみるみる顔を紅潮させた。
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
「あ、もしかして怖いの?」
余裕たっぷりに、優馬の反応を楽しむようにわずかな笑みを浮かべる七瀬の瞳は、優馬が淵へ飛びこまされた時と何も変わらないいたずらっぽさを保っている。一方で、かつてショートカットだった髪は腰まで届くほどになり、見違えるほど大人びた身体を艶やかになぞっている。
変わること、変わらないこと。それらは無数に重なり合いながら新たな自分を作っていく。龍神の一件で自分も少しは変われたんじゃないか。そう思う一方で、優馬は痛切に悟らざるを得なかった。自分はきっと目の前にいる少女には一生敵わないのだ、と。
「その前にさ、なんて言うか、えっと」
優馬は何度か大きく深呼吸。背中にどっと汗が滲んでくるのを感じながら、今までのことを振り返る。七瀬と再会して今までずっと振り回されっぱなしだった。これからもきっとそうに違いない。けれども嫌なのかと聞かれれば、決してそんなことはなかった。
むしろ考えるべきはこれからのことだった。ひょっとしたら、今後も生徒会長こと滝上正樹と幾度となく対峙することになるかもしれない。となれば龍神伝説の一件は本番どころか、ほんの始まりに過ぎない。
──会長と戦う覚悟はある?
七瀬が問いかける意味はそういうことだ。
優馬は空を見上げた。神社の奥で光を浴びたあの日灰色に濁り切っていた空は、青く果てしなく晴れ渡っている。今の自分ならきっとやれる。そんな気がした。
優馬は覚悟を決め、七瀬をまっすぐに見据えた。七瀬は優馬のことを少しだけ眩しげに、けれども表彰でも受けるような誇らしさで見返した。
「聞いて欲しいことがあるんだ」
優馬が緊張した面持ちで切りだすと、穏やかだった風が突如部屋の奥まで吹き抜けた。風を受けたカーテンが大きくはためき、優馬と七瀬を覆い隠す。風が収まってみると、薄地の白い生地が七瀬を柔らかく包んでいた。
優馬は、これまで全く縁のなかった状況にとまどいつつも懸命に言葉を紡いだ。途中から頭の中は真っ白だった。七瀬がどんな表情で聞いているかも分からなかった。果たして上手く言えたのかどうか、七瀬のみが知るところとなった。
優馬が言い終えると、沈黙が訪れた。時間にしてみれば、ほんの数秒。けれども、二人にとっては時が歩みを止めてしまったかのように濃密な瞬間だった。
額に汗かく優馬に、名残りを惜しみながらも七瀬は小さくうなずいた。もはや言葉は不要だった。互いに身を寄せ合うと目を閉じ、柔らかな感触を重ね合った。
すると、二人の結末を待ちかねていたかのように空に号砲が弾けた。町中に聞こえるほどの破裂音が響き渡ると、やや遅れて拍手や歓声が微かながらも聞こえてくる。
願いに応える神の祀りが、今まさに始まろうとしていた。
廃部寸前のオカルト研究会で部長を務める臆病な高校生、小暮優馬と幼なじみの転校生秋山七瀬は、「神社に伝わる伝説の龍神」を見つければ研究会存続を認めるという生徒会長との賭けに挑む。
龍神を探すうち、二人は神社奥の洞窟へ迷い込み謎の光を浴びる。その後幽霊や悪霊を見聞きできるようになる。
この力を使ったところ、幽霊から、今は龍神が町にいないこと、再び龍神を呼ぶにはあの世へ続く「龍の道」を再び開く必要があると知らされる。二人が光を浴びた場所は「龍の道」の入口だった。
再度洞窟へ赴いた二人は、危険な目に遭いつつも龍の道へと辿りつく。二人に試練を与えた龍神であったが、二人の勇気を認めて龍の道を開くとともに、再び町へと現れる。
この時、町の多くの人々によって龍神が目撃されたため、優馬は生徒会長との賭けに勝利することとなる。
また、優馬の勇気を認めた七瀬は優馬からの告白を受け入れ恋人同士となる。