「瞬一おはよ!」


その声は、教室のどこからか聞こえてきた。

今まで周りの話し声なんて全く耳に入っていなかったのに、突然頭の中をいっぱいにされている名前が聞こえて、危うく声が出そうになった。


声の元を振り返る。

瞬一と彼の名前を呼んだのは、私のクラスメイトだ。


その横には今いちばん会いたくなくて、でももう会えなくなるのは辛い人の姿があった。

おはよう、とたったひとこと返事をしたその一瞬の彼の声だけで、自分の心がこんなにもぐらぐらと揺れてしまうことに驚く。


私は机の上に広げたノートに目を落として、なるべく気配を消すことに徹した。

彼が学校で声をかけてきたことはない。すれ違った時に会釈をするくらいだ。

違うクラスの彼が私のクラスにやってくるのは私の知る限りでこれが初めてだけれど、他の誰かに用件があるのかもしれない。


「どうしたの?お前」


聞き耳を立てているつもりはないのに、彼とクラスメイトの会話が刺すように私の耳に入ってくる。


「んーちょっとねー」


彼はそう言葉を濁しながら、歩みを進める。

足音がどんどんこちらに近づいてくる。


でもまだ分かんない!

私の前の席にいるのは、サッカー部のキャプテンで人気者の阪口くんだ。

阪口くんは友達が多いから、彼と仲が良くてもおかしくない。


そんな私の切実な願いも虚しく、彼は私の真横で歩みを止める。


「橋本、ちょっといい?」


地味でほとんどクラスメイトとも話さない私が、他のクラスの男子から声をかけられるなどという珍しい光景に、クラスの何人かが気づいて注目しているのが分かった。

例に漏れず、先ほど彼に挨拶をしたクラスメイトもである。

その居たたまれなさと、彼に話しかけられた焦りで、何の言い訳も思いつかず、昨日と同じようにこくこくこくと頷いてしまう。


はやく、早くこの時間を乗り越えたい…!


すると、彼はふわっと頰を綻ばせた。


「じゃあ、行こう」


彼は私の右手を掴むと、いつもの彼よりはほんの少しだけ強引に、でもそれ以上に優しく、私を立ち上がらせた。

クラスメイトの注目がさらに集まる。

彼はそれに気づいていないのか、気づいていて無視をしているのか、私の手を引いてそのまま教室を出ていく。