突然、私のスカートのポケットに入った携帯が鳴った。


私は力なく、携帯をポケットから取り出した。

ディスプレイには「お母さん」と表示されていた。

私の場合、この「お母さん」は彼の母親のことを指している。



私に両親はいない。


否、その表現は的確ではない。

私が記憶もはっきりしないくらい幼い頃に、二人とも逮捕された。


罪状は、殺人だ。

極刑にはならなかったらしいが、無期懲役判決が出たらしい。


それくらいのことしか知らされていないし、敢えて調べようとも思わなかった。



興味がなかった。


私には両親は存在しなかったと思うことにしたのだ。

私は突然、この世に生まれ落ちたと思うことにした。


両親が逮捕された後、私は母方の叔母に引き取られた。母親の妹だ。

しかし叔母はもともと姉との折り合いが悪かったらしく、当然その娘である私のこともよく思っていなかった。

厄介者として扱って、ただ私が死なないようにするだけだった。


まだ、養ってくれただけでも感謝しなければならないのかもしれない。

でも、とても「お母さん」と呼ぶ気にはなれなかった。


そして、初めて私を娘として見てくれたのは、彼のお母さんが最初だった。

だから、私は彼のお母さんを「お母さん」と思うことにしたのだ。



私は、電話に出た。

なるべく、心を落ち着かせて、いつもどおりの声になるようにした。


「もしもし」

『ゆりちゃん?』


彼のお母さんは私のことを「ゆりちゃん」と呼ぶ。

自分にもし娘が出来たら、ちゃん付けで呼ぶのが夢だったらしい。


「はい。優梨花です。何かご用ですか?」


どうやら、携帯に慣れないらしく、かなりの確率で電話の持ち主が電話に出るはずなのに、彼のお母さんは毎回、私かどうか確認してくる。


『そう!ゆりちゃん、今すぐうちに来れる?ちょっと渡したいものがあって』


彼のお母さんの声は少し興奮気味だった。


この状況で、わざわざ電話を掛け、しかも今すぐ来いというからには、彼に関係した何かなのだろう。

行ってみようと思えた。


「分かりました。今すぐ行きます」


そう言って、私は電話を切った。

電車が止まっているので、タクシーを使うことにした。


数時間でも生きる目的が出来て、しかもそれはきっと彼関連の何かで、ほんの少しだけ心が軽くなった。


さっきまで、重苦しいまでにゆっくりと澱んでいた時間が、進み始めるのを感じた。



彼の家に着くまで、あまり長く感じなかった。