「それで、読点のことだけど」
綾香は店の外の風景を何の気なしに見たのだろう、すぐにこちらに顔を向き直し、話を戻す。
「私も確認したけど、読点を使ったメールは一つも見つからない。やっぱり、この葉書を書いた人は相当送葉の事を知ってると思う。一つ一つで見れば疑わしくても、これだけ特徴が重なっていれば、そうとしか思えない」
こうなってくると、僕も違うのではないかとは言えなかった。この葉書を送ってきたのは僕や綾香同様、送葉の身近にいた人物だ。そうでなければ筆跡や文章の特徴を真似したりしないだろう。
僕は机に両肘を突いて頭を抱える。
「ごめん。これがわかったところで、僕の中に思い当たる人が一人しか浮かばない」
送葉の文字の癖を知っていて、文章の雰囲気まで似せられるくらいに送葉の事を知っている。そして、個人的に送葉の墓に行きそうな人物であり、僕にこのような葉書を送ろうと思いそうな人物。
そんな人物は僕の知る限り一人しかいない。
「まぁ、そうなるだろうね」
綾香は怒るでも、弁明するでもなく、ただそう言うとアイスコーヒーを啜った。ただ、綾香が今まさに僕に疑われていることに気付いていることは、その一言で察することが出来た。
「疑いたいわけじゃないんだ」
「知ってる。条件を絞っていけば、一番に疑われるのは私でもおかしくないかもしれない」
「なら、訊いてもいい?」
綾香は何も言わず、頷く。
「この葉書を僕に送ってきたのは綾香なの?」
コップに入った氷が、カラリと音を立てた。
「私じゃないよ」
綾香は僕の目をジッと見つめて、はっきりと否定した。そして、否定をした後も僕の目から視線を逸らさない。僕には綾香の大きく力強い瞳はとても嘘をついているようには見えなかった。僕はいつの間にか強張っていた身体の力を抜くため、息を吐く。
「そっか、そうだよね。疑ってごめん」
「信じるの?」
「綾香は嘘をついてるの?」
「ついてないけど……」
「ならいいじゃないか。僕だって友達は極力疑いたくない。違うと言うならそれでいいじゃないか。それに、綾香は僕の友達であって、送葉の友達だ。信頼は絶大」
僕は親指を立ててニッと歯を出して笑って見せた。
「絶大っていう割には今一回、私を疑ったよね?」
綾香は悪戯に笑う。
「いや、それは……ごめん!」
僕が慌てて謝ると、何が面白いのか、綾香は悪戯っぽく笑った。
「送葉は伝達のそういうとこに惚れてたのかね」
「どういうこと?」
「伝達のそういうところがいいところってこと」
「はぁ」
「察しの悪いところは良くないところ」
「上げといてすぐに落とさないでよ!」
「まぁいいわ。察しの悪い伝達君じゃ、この葉書の差出人が誰かいつまで経っても突き止められそうにないので、私も協力してあげよう!」
綾香は椅子に踏ん反り返ると鼻をフンと鳴らした。
「なんか、急にふてぶてしくなってウザいんだけど」
「力になれるかはわからないけど、協力くらいさせなさいな。私も送葉(仮)さんに興味が湧いてきた。悪ふざけでやってるようなら、ガツンと言ってやる」
綾香は右手の拳で左の手の平を叩く。どうやら調子が出てきたようだ。送葉の死で綾香もだいぶ気が滅入っていたようだけど、元々、綾香はこういう性格なのだ。責任感とか正義感といったものが強くて友達想い。僕はそんな綾香が協力してくれるなら素直に力強いと思った。僕は本当に友達に恵まれている幸せ者だ。
「じゃあ、お願いするよ」
「うん」
「それじゃ、早速だけど『たより』に来たついでにもう一つ綾香に話しておくよ」
「ほうほう。話しちゃいな話しちゃいな」
綾香の若干ウザいノリを無視して綾香の後ろを指さす。もう慣れたが、綾香が調子いい時はこのように、少し絡みが面倒臭くなる。
「あの絵、理工学部の湘南乃風さんって人が描いた絵なんだけど、見覚えない?」
綾香は座ったまま振り返って僕の指が指す方を見る。そして「ほえ~うまいな~」と言うと絵を見たまま「乃風さんは知ってるよ。一緒に研究したことあるし、美人だし、おっぱいでかいし」と言った。
「あ、やっぱそうなんだ」
「やっぱって何よ。胸の事? おっぱいの事なの?」
綾香は素早くこちらに身体を向き直す。綾香は、なにかイタいものを見るかのような蔑みの目で僕を見た。もちろん訂正する。
「違うって! 実は乃風さんとここで一緒にバイトしてるんだけど、前話した時、送葉と一緒に研究してたって言ってたんだ。だから、もしかしたら綾香も一緒にしてたのかなと思って」
「あぁ、なるなる」
綾香は合点がいったと数回頷く。
「それで、乃風さんが描いたあの絵がなんなの?」
どうやらこの様子だと、綾香はこの絵に関して何も知らないようだ。僕は一からこの絵が出来上がるまでの素性を綾香に明かした。
「つまり、乃風さんが描いたこの絵は、送葉が描いてた絵のレプリカってことね」
「そういうこと」
「それで、送葉が描いた本物の方は右下がほとんど描かれていないと」
「うん」
「そんで、伝達は右下に描かれるはずだったものが何か知りたいと」
「何も描かれなかったかもしれない。でも、そこに何か送葉の意志みたいなものが描かれるはずだったのなら、僕だけでもそれを知ってあげたい。例えそれが僕に向けられたメッセージでなくても」
「なるほど、ね……」
綾香は腕を組み、眉間にしわを寄せてしばし考え込む。僕は綾香が記憶を辿っている間、黙って待っていた。タイトルのわからないモダンジャズが店内を巡る。
綾香は一通り記憶を探ったのだろう、腕組みと眉間のしわを解き、そして「ダメだ」と言った。
「これに関しては私、何も分かりそうもない。多分、本物の絵を見てもわからない」
「それならそれでいいんだ。これはこの葉書と直接関係ないし。僕が知りたいだけで、解決しなきゃいけないってことでもないから」
僕は机の上に置いてある葉書を指先でトントンと叩きながらそう言った。
いくら仲がいいといってもお互いの事を何でも知っているわけではない。ましてや、この絵を描いたのは僕から見ても謎が多い送葉だ。綾香が知らなくてもなんらおかしなことではない。もしかしたら送葉亡き今、答えはもう迷宮入りしてるのかもしれない。ただの僕の興味に綾香を無理やり付き合わせてはいけない。
「何か分かったら知らせるよ」
「うん、よろしく」
「他に何かある?」
「いや、今のところ大丈夫。また何かあったら連絡する」
「その葉書の返事、出すんだよね?」
「そのつもり。ここで終わらしたら何も分からずに終わっちゃいそうだし」
「わかった。それじゃそのことについても連絡よろッ!」
「了解」
収穫のある話ができたと思う。葉書の送り主はまだ分からないが、手掛かりは掴めた。何より、送葉の死以降、お互いにどこか気まずくなって、疎遠になっていた綾香との関係を修復することができたことが一番の収穫だ。今日会っていなければ、もしかしたらそのままお互いに大学を卒業して、これから先の人生でも会うことはなかったかもしれない。お互いに気負わなくていいものをこの先ずっと、心に抱えていかなければいけなかったかもしれない。お互いがお互いに気遣って距離を取り過ぎたばかりに、いつのまにか終わってしまっていたという関係も、大切な人を唐突に失う時と同じくらい悲しいことだ。
綾香は店の外の風景を何の気なしに見たのだろう、すぐにこちらに顔を向き直し、話を戻す。
「私も確認したけど、読点を使ったメールは一つも見つからない。やっぱり、この葉書を書いた人は相当送葉の事を知ってると思う。一つ一つで見れば疑わしくても、これだけ特徴が重なっていれば、そうとしか思えない」
こうなってくると、僕も違うのではないかとは言えなかった。この葉書を送ってきたのは僕や綾香同様、送葉の身近にいた人物だ。そうでなければ筆跡や文章の特徴を真似したりしないだろう。
僕は机に両肘を突いて頭を抱える。
「ごめん。これがわかったところで、僕の中に思い当たる人が一人しか浮かばない」
送葉の文字の癖を知っていて、文章の雰囲気まで似せられるくらいに送葉の事を知っている。そして、個人的に送葉の墓に行きそうな人物であり、僕にこのような葉書を送ろうと思いそうな人物。
そんな人物は僕の知る限り一人しかいない。
「まぁ、そうなるだろうね」
綾香は怒るでも、弁明するでもなく、ただそう言うとアイスコーヒーを啜った。ただ、綾香が今まさに僕に疑われていることに気付いていることは、その一言で察することが出来た。
「疑いたいわけじゃないんだ」
「知ってる。条件を絞っていけば、一番に疑われるのは私でもおかしくないかもしれない」
「なら、訊いてもいい?」
綾香は何も言わず、頷く。
「この葉書を僕に送ってきたのは綾香なの?」
コップに入った氷が、カラリと音を立てた。
「私じゃないよ」
綾香は僕の目をジッと見つめて、はっきりと否定した。そして、否定をした後も僕の目から視線を逸らさない。僕には綾香の大きく力強い瞳はとても嘘をついているようには見えなかった。僕はいつの間にか強張っていた身体の力を抜くため、息を吐く。
「そっか、そうだよね。疑ってごめん」
「信じるの?」
「綾香は嘘をついてるの?」
「ついてないけど……」
「ならいいじゃないか。僕だって友達は極力疑いたくない。違うと言うならそれでいいじゃないか。それに、綾香は僕の友達であって、送葉の友達だ。信頼は絶大」
僕は親指を立ててニッと歯を出して笑って見せた。
「絶大っていう割には今一回、私を疑ったよね?」
綾香は悪戯に笑う。
「いや、それは……ごめん!」
僕が慌てて謝ると、何が面白いのか、綾香は悪戯っぽく笑った。
「送葉は伝達のそういうとこに惚れてたのかね」
「どういうこと?」
「伝達のそういうところがいいところってこと」
「はぁ」
「察しの悪いところは良くないところ」
「上げといてすぐに落とさないでよ!」
「まぁいいわ。察しの悪い伝達君じゃ、この葉書の差出人が誰かいつまで経っても突き止められそうにないので、私も協力してあげよう!」
綾香は椅子に踏ん反り返ると鼻をフンと鳴らした。
「なんか、急にふてぶてしくなってウザいんだけど」
「力になれるかはわからないけど、協力くらいさせなさいな。私も送葉(仮)さんに興味が湧いてきた。悪ふざけでやってるようなら、ガツンと言ってやる」
綾香は右手の拳で左の手の平を叩く。どうやら調子が出てきたようだ。送葉の死で綾香もだいぶ気が滅入っていたようだけど、元々、綾香はこういう性格なのだ。責任感とか正義感といったものが強くて友達想い。僕はそんな綾香が協力してくれるなら素直に力強いと思った。僕は本当に友達に恵まれている幸せ者だ。
「じゃあ、お願いするよ」
「うん」
「それじゃ、早速だけど『たより』に来たついでにもう一つ綾香に話しておくよ」
「ほうほう。話しちゃいな話しちゃいな」
綾香の若干ウザいノリを無視して綾香の後ろを指さす。もう慣れたが、綾香が調子いい時はこのように、少し絡みが面倒臭くなる。
「あの絵、理工学部の湘南乃風さんって人が描いた絵なんだけど、見覚えない?」
綾香は座ったまま振り返って僕の指が指す方を見る。そして「ほえ~うまいな~」と言うと絵を見たまま「乃風さんは知ってるよ。一緒に研究したことあるし、美人だし、おっぱいでかいし」と言った。
「あ、やっぱそうなんだ」
「やっぱって何よ。胸の事? おっぱいの事なの?」
綾香は素早くこちらに身体を向き直す。綾香は、なにかイタいものを見るかのような蔑みの目で僕を見た。もちろん訂正する。
「違うって! 実は乃風さんとここで一緒にバイトしてるんだけど、前話した時、送葉と一緒に研究してたって言ってたんだ。だから、もしかしたら綾香も一緒にしてたのかなと思って」
「あぁ、なるなる」
綾香は合点がいったと数回頷く。
「それで、乃風さんが描いたあの絵がなんなの?」
どうやらこの様子だと、綾香はこの絵に関して何も知らないようだ。僕は一からこの絵が出来上がるまでの素性を綾香に明かした。
「つまり、乃風さんが描いたこの絵は、送葉が描いてた絵のレプリカってことね」
「そういうこと」
「それで、送葉が描いた本物の方は右下がほとんど描かれていないと」
「うん」
「そんで、伝達は右下に描かれるはずだったものが何か知りたいと」
「何も描かれなかったかもしれない。でも、そこに何か送葉の意志みたいなものが描かれるはずだったのなら、僕だけでもそれを知ってあげたい。例えそれが僕に向けられたメッセージでなくても」
「なるほど、ね……」
綾香は腕を組み、眉間にしわを寄せてしばし考え込む。僕は綾香が記憶を辿っている間、黙って待っていた。タイトルのわからないモダンジャズが店内を巡る。
綾香は一通り記憶を探ったのだろう、腕組みと眉間のしわを解き、そして「ダメだ」と言った。
「これに関しては私、何も分かりそうもない。多分、本物の絵を見てもわからない」
「それならそれでいいんだ。これはこの葉書と直接関係ないし。僕が知りたいだけで、解決しなきゃいけないってことでもないから」
僕は机の上に置いてある葉書を指先でトントンと叩きながらそう言った。
いくら仲がいいといってもお互いの事を何でも知っているわけではない。ましてや、この絵を描いたのは僕から見ても謎が多い送葉だ。綾香が知らなくてもなんらおかしなことではない。もしかしたら送葉亡き今、答えはもう迷宮入りしてるのかもしれない。ただの僕の興味に綾香を無理やり付き合わせてはいけない。
「何か分かったら知らせるよ」
「うん、よろしく」
「他に何かある?」
「いや、今のところ大丈夫。また何かあったら連絡する」
「その葉書の返事、出すんだよね?」
「そのつもり。ここで終わらしたら何も分からずに終わっちゃいそうだし」
「わかった。それじゃそのことについても連絡よろッ!」
「了解」
収穫のある話ができたと思う。葉書の送り主はまだ分からないが、手掛かりは掴めた。何より、送葉の死以降、お互いにどこか気まずくなって、疎遠になっていた綾香との関係を修復することができたことが一番の収穫だ。今日会っていなければ、もしかしたらそのままお互いに大学を卒業して、これから先の人生でも会うことはなかったかもしれない。お互いに気負わなくていいものをこの先ずっと、心に抱えていかなければいけなかったかもしれない。お互いがお互いに気遣って距離を取り過ぎたばかりに、いつのまにか終わってしまっていたという関係も、大切な人を唐突に失う時と同じくらい悲しいことだ。